第十一章 幼馴染の英嗣
「忠嗣様、この度は急なお願いをいたしまして、申し訳ございません」
英嗣が深々と頭を下げると、忠嗣は笑って答えた。
「私と左大臣殿との仲じゃ。気にすることはない」
「ありがとうございます。さっそくではございますが、こちらが例のものでございます」
英嗣は懐から白い懐紙に包まれたものを取り出し、そっと開いた。
中から現れたのは、一体の藁人形だった。
「これは……」
忠嗣は思わず声を上げた。
「幸、見てごらん」
「はい、お師匠様」
幸は英嗣の隣に腰を下ろし、懐紙の上の藁人形をのぞき込んだ。
そのとき、ふわりと幸の焚きしめた香の匂いが英嗣の鼻をくすぐった。
英嗣は一瞬、胸の内がざわつくのを感じた。
忠嗣はその様子を横目で見ていたが、何も気づかぬふりをして、幸に尋ねた。
「どう思う?」
「はい、お師匠様。この藁人形、不思議なことに首がございません。それに、何かに引きちぎられたようにも見えます」
「そうじゃな。妙な人形じゃ。しかし、藁はずいぶんと傷んでおる。これでは、使い古された人形のようで、本当に呪詛に用いられたものかどうか、見当がつかぬな」
「はい。ただ、お師匠様。これほどボロボロになっているわりには、藁そのものは新しいように思えます。何か、違和感がございます」
幸は首をかしげ、じっと人形を見つめた。
「英嗣殿、これが置かれていたときの様子を聞かせていただけますかな」
忠嗣が尋ねた。
「はい。この藁人形は、中宮殿の縁の下で見つかりました。人形はそのまま置かれており、呪詛の文や箱のようなものはございませんでした。ただ、周囲には藁が散らばっていたとのことです」
「そうですか。では、中宮殿のどなたを狙ったものなのかも、まだわからぬのですね」
幸が尋ねると、英嗣はうなずいた。
「実は、この日、中宮殿と本殿を結ぶ渡り廊下の戸の鍵が、なぜか外されておりました。そのため、結衣姫様が外へ出て、中庭に迷い込まれるという騒ぎが起きたのです。それが、今回の一件を調べるきっかけとなりました」
「なるほど。では、その折には、誰もが出入りできる状態だったということですな」
忠継はそう言うと、再び藁人形に目を落とした。
そして、何かに気づいたように、ふと視線を止めた。
「……」
幸は師匠の顔を見た。
「お師匠様?」
「幸。私は明日、内裏の陰陽寮へ参る。おまえは、しばらくこの庵に残っておりなさい。よいな」
「はい、お師匠様」
幸は素直に答えた。
「英嗣殿、今宵はもう遅い。こんなあばら家では、ろくなおもてなしもできぬが、どうぞゆっくりしていってくだされ。幸も、久しぶりに皆と語らいたいであろう」
そう言うと、忠嗣は席を立ち、明日の出立の支度に取りかかった。
幸もまた、師匠の後を追い、その手伝いに向かった
残された英嗣は、あの日将之から、幸のことが気になると打ち明けられた話を思い返していた。
それ以来、どういうわけか、幸を一人の女性として意識してしまう自分がいる。
今まで、そんなふうに考えたことなどなかった。幼い頃から知っている、気心の知れた幼なじみ。それが幸だったはずだ。
いったい、自分はどうしてしまったのだろう。
「参ったな……」
英嗣は頭をかいた。
そこへ、長尾が部屋に戻ってきた。
「幸さん、本当にお美しくなられましたね。都でも、美しい女陰陽師として、ずいぶん噂になっているようですよ」
「そうだったのか……」
英嗣は、ふと思い当たった。
「なるほど。将之殿は、どこからかその噂を聞きつけて、幸に興味を持ったというわけか。まったく!」
思わず声に苛立ちが混じる。
「将之殿とは?」
長尾が不思議そうに尋ねた。
「太政大臣家の?」
「いや、何でもない!」
英嗣は慌てて話を打ち切った。
そして、何かを思いついたように、妙に力を込めて言った。
「とにかく、私たちは幼なじみだ。そうだろう? 幸のことは、私が一番よく知っている。妙な虫がつかぬよう、しっかり守ってやらねばな!」
まるで、自分自身に言い聞かせているようだった。
長尾は、そんな英嗣を見て、思わず笑みをこぼした。
「悪い虫、ですか。幸さんも、もう立派な大人です。虫の一匹や二匹、寄ってこなければ、それはそれで寂しいものではございませんか……。あっ!」
余計なことを口にしたと気づいたときには、もう遅かった。
英嗣の鋭い視線が、じっと長尾を射抜いていた。
「……失礼いたしま~す」
長尾はそそくさと部屋を出ていった。
夕餉の準備が整いそろい、食べながら昔話に花が咲き、笑い声が絶えなかった。
しかし
「私は明朝早くから用があるので、今宵はこれで失礼する」
忠嗣はそう言うと、早々に寝所へと引き上げていった。
「では、私も夕餉の片付けを手伝ってまいります」
長尾もそう言い残し、炊事場へ向かったきり、戻ってこない。
気がつけば、広間には英嗣と幸の二人だけが残されていた。
英嗣は、なぜか急に落ち着かなくなった。
幸はそんなことにはまるで気づかぬ様子で、穏やかに口を開いた。
「英嗣殿、帝のお側をお守りするお役目は、大変でございますか?」
「春の除目で任じられたばかりだからね。まだ、わからぬことばかりだよ」
英嗣は苦笑した。
「慣れないのにこんな事件で大変ですね」
「ああ、でも仕方がないな」
「でも、お陰様でこうして、ゆっくりお話ができるのでなんだか、嬉しいですわ」と幸が笑つた。
「そうだね、私も最近忙しくて、バタバタしていたから久しぶりに、おいしく夕餉を頂いたよ」と英嗣も笑った。
「宇治ではお手伝いの市、や近所の人たちが手伝ってくれるから、ここにくると美味しいものが食べられから、お師匠さまも、私も、楽しみにくるのです」
「そうか…陰陽寮の暮らしはどうだ?つらくないか?」
「はい…なんとか修行をしているが、まだまだで、いつも、保忠様にしかられてばっかりです」と目を伏せた、
「男だらけの中、女の身では、なにかと大変だろ、なにかあったら相談にのるから無理をするな」
「ありがとうございます、でも英嗣さまも、新しい仕事で大変かと、無理をなさらないで下さいね」
「ああ、明日も早い今日はもう休もう」
「はいでは明日また、お休みなさい」
と静かに、幸がいうと、
「では明日また」とだけいい、英嗣は寝所へ向かった
幸とこんな風に時間が過ごせるとは、思ってもいなかっただけに、寝所で横になっても、なかなかねつけなかった。




