377話「決意の樹氷」
◆◇◆
降り注ぐ火の雨と、黒煙に包まれるフォーマルハウトの街並み。
あの日――"大星潮会議"の最中、突如として牙を剥いた帝国の刺客たち。
文官の一人であったザウラシス・アカルは、街中に溢れかえるパニックに陥った市民や貴族たちを避難所へ誘導するため、自ら陣頭に立って奔走し続けていた。
降りかかる瓦礫を退け、逃げ惑う人々を励まし、混乱を収めてどうにか屋敷へと戻って来た時、彼の耳に飛び込んできたのは――あまりにも悲痛な知らせであった。
「お坊ちゃま、お父様――クルス様は亡くなられました」
屋敷の玄関で膝をつき、血と涙に塗れた顔を伏せる年老いた使用人の言葉。
ザウルは一瞬、世界からすべての音が消え去ったかのような錯覚に襲われた。
「……なんだって? もう一度、言ってくれ」
己の声が酷く平坦で、どこか他人事のように響くのをザウルは感じていた。
使用人は震える拳を石畳に叩きつけ、絞り出すようにして言葉を繋いだ。
「……クルス様がお亡くなりになりました。卑劣な、帝国の"姫"の急襲によって――」
涙ながらに口にする、使用人の言葉を聞きながら、ザウルの胸にあった思いはたった一つだった。
(――ああ、お祖父様。もう、"その時"が来てしまったんだね)
かつて、小舟の上で祖父が、幼きザウルの頭を撫でながら静かに語ってくれた言葉が、脳裏を駆け巡る。
父は散った。もう、自分を守るものはいない。
次は――自分が守る番だ。
ザウルはそっと胸元に手を当て、深く、深く息を吐き出した。
瞳の奥に宿っていた迷いは消え去り、そこには凍土の如く揺るがぬ、蒼き決意の光が満ちていた。
そうして、彼は動き出すことになる。
全ては、この故郷を守るため。
父が、祖父が愛した景色を、守るため――。
◆◇◆
「――っ、クソが……っ!」
ギエナが苦々しく悪態を吐く。
異形の姿へと変形したサダルスウドは、不気味な笑みを浮かべながら、そんな彼を見据えていた。
そして、壁を蹴ったかと思えば、激しく弾むようにして部屋の中を不規則に、速度を上げて高速でバウンドし――そのままの勢いで、ギエナの下へ飛来する。
「……チッ!」
舌打ちと共に、ギエナが横合いに転がる――と同時に、数瞬前まで彼が立っていた辺りの床が、激しく炸裂した。
ドガァァァァァァァァッッッッ!!!
その威力は、彼が先ほど見せた自爆の衝撃と同等ながらも――爆炎の中から、サダルスウドは何事もなく起き上がってくる。
(……厄介だ。あの威力を連発されちゃ、迂闊に近付くわけにもいかねえ)
サダルスウドの爆発は、今まで両手から"卵"型の爆弾を生み出すことで使用されていた。故に、投擲には必ず予備動作があり、狙いも分かりやすかった。
しかし今は、その全身が"卵"となっている。不規則に跳ねる五体の全てが、触れられるだけで致命の威力を持つ炸薬の塊だ。
(って言っても、そりゃあつまり魔力を垂れ流してるのとほぼ同義だ。長くは保たねえ――はずだよな?)
ギエナが疑問を抱くのも無理はない。
サダルスウドの攻撃は、あまりにも思い切りが良すぎた。後先考えぬ、アクセル全開の攻め。
種を明かせば、単純にサダルスウドが思考を止め、狂気に身を任せていただけなのだが――それは十分に、ギエナの計算を狂わせていた。
そして、もう一つ。ギエナから冷静さを奪う要素は、それだけではなかった。
「はっ、はっ、はっ……」
荒い息を繰り返しながら、ギエナの隣に立つザウルは、明らかに先ほどよりも顔色が悪かった。
サダルスウドが変身した際の自爆――それから身を挺してイザールたちを逃がした彼は、決して浅くない傷を負っていた。
腹部を抉るようなそれを、彼は凍りつかせて無理矢理止血していたが――それでも、体力は確実に失われていた。
(……ザウル殿も限界が近え。ここは、短期決戦で決めてぇが……!)
サダルスウドは強敵ではない。
恐るべき"姫"たちと比べれば、ギエナたちにも十分な勝機のある相手だ。
しかし――決して、易い敵でもない。
「ケケ……ケヒヒヒヒヒ……! 割れる、割れるよぉ、割れて、弾けるゥ!」
爆煙を突き破り、サダルスウドが歪んだ首をヌキュリと奇妙な音を立てて持ち上げた。
その全身を包む滑らかな卵殻の表面には、無数の目玉のような斑紋が蠢いている。それらは獲物を探すようにして彷徨うと、二人を狂いなく捉えた。
そして、両腕を幽霊のようにダラリと垂らしたまま、まるで重力を無視したかのような滑稽で、どこか狂気を感じさせる無軌道なステップを踏み始めた。
「弾ける、砕ける、壊れる、崩れる! 卵は割れるよ、割れたら戻らない! 全部、全部全部全部全部! ヒヒヒヒヒヒヒっ!」
粘り気のある薄味な高笑いと共に、サダルスウドは理由もなく空間を跳ね回る。
壁から柱へ、天井から床へ。
彼がどこかの表面に触れるたび、そこが予動もなしにドカンと小さな爆破を起こし、その推進力でさらに加速して不規則な跳躍を繰り返すのだ。
まるで、巨大なピンボールの弾丸が狭い密室の中で狂ったようにバウンドし続けているかのような、常軌を逸した軌道。
「くっ……! チョコマカと気味の悪い動きを……っ!」
ギエナが刃を構えながら、油断なくその影を追う。
だが、サダルスウドの恐ろしいところは、その跳躍に意図も狙いも感じられない点にあった。
攻撃のための軌道計算など存在しない。ただ狂気に任せて空間を跳ね回り、触れた場所を爆破し、その場の気まぐれで標的へと飛びかかってくるのだ。
掴みどころがない。
読めないからこそ、ガードも回避も常にその場での対応を強要される。
「――ほぉら、当た~りぃッ!」
頭上から突如として一直線に落下してきたサダルスウドの不気味な影。
彼の手足が甲高い駆動音を立てて肥大化し、膨らんだ卵殻が赤熱する。
ドガァァァァァァァンッッ!!!!
空間を揺るがす強烈な爆発が、ギエナとザウルのすぐ間近で炸裂した――。
「――おっと、危ないね。僕の美しい顔に傷がついたら、フォーマルハウトの淑女たちが悲しむじゃないか」
爆風と舞い散る石屑の中。
滑らかに凍らせた地面を、滑りつつ退避したザウルは、凍える両手を翳しつつ、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
蒼白な顔色、深く削られた腹部の傷口から滲む朱色の血。
氷で無理やり塞いだ傷の激痛は、全身の神経を焼くほど凄絶なはずだった。
それでも――ザウルは、その余裕を崩すことはなかった。
乱れた金色の髪を優美に指先で払い、気障な仕草で、その掌を不気味に蠢くサダルスウドへと突きつける。
「ザウル殿! 無理すんじゃねえ! あんたの腹の傷、もう氷で抑えきれてねえぞ!」
ギエナが焦燥を削り出しながら叫ぶ。
「ふふ、心配はいらないよ、ギエナ殿。僕のような男はね、いついかなる危機的状況であっても、スマートでいなければならないんだ。この街を、あんな下品な化物に汚させるわけにはいかないからね」
ザウルは流れるような所作で言葉を紡ぐ。
しかし、その吐息は氷のように冷たく、荒く乱れていた。
息を吸うたびに、腹部の肉が軋み、凍てつく血の結晶が音を立てて零れ落ちる。
限界は、すでに幾度も超えていた。
「ヒヒヒヒヒヒヒっ! そのお腹、もう治らないね! もっと派手に、派手に散らそうよ!」
サダルスウドが首を三百度近く旋回させ、不気味な声で嗤う。
再び空間を不規則に蹴り跳び、サダルスウドの影が幾重もの残像となってギエナとザウルを包み込んでいく。
右から、左から、天井から――どこから爆風が飛んでくるか分からない不条理な殺意の渦。
ギエナが切り払い、ザウルが氷の障壁を瞬間的に生み出して爆風を逸らす。
だが、受けに回れば回るほど、サダルスウドの運動量は増し、ザウルの体力を確実に削り取っていく。
(チッ……! 埒が明かねえ……! こいつ、完全に頭のネジが飛んでやがる! 攻撃のパターンもクソもねえぞ!)
ギエナは汗にまみれながら、手にした刀で弾け飛ぶ卵殻の欠片を弾く。
サダルスウドの身体から放たれる熱と不条理な爆圧が、少しずつ部屋全体の酸素を奪っていく。
このまま削り合いを続ければ、サダルスウドの魔力が尽きる前に、ザウルの命の灯火が消え去ってしまうのは火を見るより明らかであった。
「――はあ、っ……!」
呼吸が白く凍りつき、ザウルの膝がほんのわずかに震えた。
目の動きは定まらず、細かく震え続けている。全身が麻痺の中に沈み込もうとしているのか、その体はあとほんの少しで崩れ落ちてしまいそうだった。
それを目にしながら、サダルスウドは、相変わらず掴みどころのない不気味な笑みを浮かべ、壁の表面に粘着するように貼り付きながら、首を揺らしている。
「ひひッ、もう終わりぃ~? まだ、もっと、足りない、足りないよぉ!」
弾むように身を躍らせ、最大級の魔力を身体全体に練り上げ始めるサダルスウド。
その全身が赤黒く発光し、部屋全体を木っ端微塵に砕き割る極大の自爆攻撃の予兆が空間を支配していく。
(――おいおい、まだこんな魔力を……!?)
戦慄するギエナの目の前で、サダルスウドの熱量は無情にも上がっていく。
絶体絶命。
万策尽きたかに見える死地。
――けれど。
ザウルの双眸から、気高き知性と不屈の光は失われてはいなかった。
彼は優雅に血塗られた唇の端を吊り上げ、両の掌を構え直す。
そして、荒い息を整えながら、隣のギエナに向けて、どこまでも気障で、不敵な笑みを投げかけたのだった。
「……ふふ、こんな化物に幕を引かれるなんて、僕の美学が許さないよ」
腹部の傷から零れる血を、静かに拭い去りながら。
ザウルは低く、けれど透き通るような洗練された声音で、静かに呟いた。
「――ギエナ殿。僕に……策がある」




