373話「龍の息と尽きる源」-前
舞い散る白銀の粉塵、そして砕けた磁器の破片の向こう側で、ルーナは頭上に翳していた手を優雅に下ろした。
彼女には、先ほどまでの焦燥など微塵も残されてはおらず、格下の獲物を無邪気に玩具にする捕食者特有の、冷酷な笑みが浮かべられていた。
「ねえ……ミラクちゃんさ」
湿った髪を乱暴にかき上げ、甘ったるい声音でルーナが語りかけてくる。
「"姫"の強さって……何で決まるか、知ってるぅ?」
ミラクは唇を強く噛み締め、両膝を震わせながら彼女を鋭く睨み返した。
答えなど求めてもいない、それは、絶対的強者の戯れ。
ルーナは細い指先をクルクルと回しながら、さも当然の真理を宣うように言葉を続けた。
「――答えはね、自分が背負った物語に、どれだけ深く浸れているか……なんだよ」
うっとりと自らの背負う物語を慈しむように、ルーナは両手を広げてみせた。
「自分を物語の主役として信じ切って、配役の理の中に溺れ切る。……そこから目を背けて、己の弱さだのトラウマだのにしがみついて"根源"なんかに手を出したってさぁ……ダ〜メダメに決まってるじゃん。それは、ボクたちの強さじゃないんだから」
「……っ! そんな……こと……っ!」
ミラクの双眸が、激しい不快感と不屈の憤怒に揺れた。
物語に浸る――配役に従う。
それは、毒林檎を食らわされ、ガラスの棺の中に閉じ込められ、他人の気まぐれな救済を待つ悲劇のヒロインの枠組みの中に大人しく収まれと言っているのに等しかった。
その定めに納得できなかったからこそ、己の弱さと向き合い、血を吐きながら真実の鏡を叩き割ってここまで歩んできたのだ。
ルーナの戯言を力任せに振り払うように、ミラクは魔力を再び、全身に巡らせた。
「人形たち……! 今度こそ……決めるわ……ッ! "怨嗟の――"」
ミラクの叫びに対し、ルーナは心底退屈そうに小さな溜め息を吐き出した。
「――"火鼠の皮衣"」
ルーナの冷酷な宣言と同時に。
彼女の頭上に浮かんでいた宝貝が怪しく輝き、無数の粒子に解けたかと思えば、ルーナの華奢な肩口へと不気味に毛足の長い、黒赤く明滅する毛皮のマントが顕現した。
ルーナは、そうして現れた毛皮のマントの裾を、面倒くさそうに前方の空間へ向けてバサリと一振りしてみせた。
ゴォォォォォォォォッッッッ!!!!!!!!
周辺一体を震わせるほどの、凄絶な灼熱の暴風。
マントのひと振りから解き放たれたのは、千度を超える過熱蒸気すら一瞬で呑み込むほどの、真っ赤な渦を巻く極大の猛炎であった。
迫り来ていたミラクの球体関節人形たちが、一瞬にして巨大な炎の津波の中に呑み込まれ、赤々とした火柱が天井へと向かって吹き荒れた。
「……だから、無駄だってば」
炎の向こう側から、ルーナの酷薄な声が響く。
「ボクはもう……手加減しないって決めたの。雑魚は雑魚だって、ちゃんと身体に刻み込んで、解らせてやんなきゃねぇ」
勝利を完全に確信し、冷ややかに背を向けようとしたルーナ。
――しかし。
ズバァァァァンッ!
渦巻く猛炎の津波を力任せに引き裂いて、何十体もの白磁のビスクドールたちが、紅蓮の火炎を身に纏いながら、一切の怯みもなく一直線にルーナへと跳びかかっていく。
「――っ!?」
普通であれば、どれほど強固な魔法の防壁であっても、これほどの炎を正面から浴びれば一瞬で焼き尽くされ、消滅するはずであった。
しかし――ミラクの紡ぎ出した"怨嗟の白人形"たちは、ただの可燃物の人形ではなかった。
「――まだよ……ッ!」
血塗られた唇から、ミラクの不屈の叫びが漏れ出る。
炎の勢いと激しい熱圧によって何体かのビスクドールが弾け飛び、粉々に破砕されはしたものの、無尽蔵に湧き上がる白磁の物量そのものは、何一つとして損なわれてはいなかった。
「あは……あははははっ! ああ、そっかぁ!」
炎の中から躍り出てくる白磁の人形たちの群れを目にして、ルーナは手を叩いて可憐に狂笑した。
「二度焼きだもんね〜! 焼き物に火をぶつけたって、そりゃ効きにくいわけだぁ! んじゃあさぁ……これならどぉおッ!?」
笑いながら、ルーナは自身の華奢な首元へと、すっと左手をあてがった。
キィィィィィンッ!
刹那。彼女の首元に、不気味な蒼白い光粒が集圧され、直後、巨大な七色の輝きを放つ"珠"が埋め込まれた、豪奢なチョーカーが装着されていた。
ルーナの瞳が、完全なる破壊の欲望に濁り切る。
「――"龍の首の玉"。龍といえばぁぁぁ……"龍の息"だよねぇえっ!!」
マズい――と。
ミラクの脳内で、危険を知らせる思考が巡る隙すら与えられなかった。
歪んだ叫びと共に、ルーナがその顎を開き、喉を激しく開放させた。
ドガァァァァァァァァッッッッ!!!
ルーナの口元から解き放たれたのは、大気を一瞬で蒸発させ、光の屈折すら歪ませるほどの光条であった。
光条がかすめた瞬間の熱量は数十万度に達し、頑丈な石造りの床面を一瞬で溶解させ、天井を走る極太の鋼鉄製ボイラー配管すらも、紙のように容易く一瞬で切断・溶断してみせた。
ルーナは首を横へとなめらかに旋回させ、放たれた極大の光条をもって、空間全域を円を描くように一網打尽に薙ぎ払う。
そこに迫り来ていたミラクの人形たちは、分子レベルで一瞬で焼き尽くされ、一切の灰すら残さず綺麗さっぱりと塵へ帰されていったのだった。
空間全域を薙ぎ払った光条の残熱が、白煙と共に歪んだ大気を漂う。
半ば溶け落ちた鋼鉄配管からボタボタと赤熱した鉄の雫が滴り落ち、地面は赤く蠢く溶岩の池と化していた。
己の繰り出していた無尽蔵の軍勢が、たった一手で、綺麗さっぱりと消し飛ばされた現実。
「……そんな……出鱈目な……!?」
ミラクの口から、呆然とする呟きが漏れ出た。
格の差。圧倒的な物語の力の行使。
けれど――ミラクの瞳の奥から、不屈の輝きはまだ消え去ってはいなかった。
彼女は血塗られた両手を再び前方の空間へと強く突き出し、途切れかけた意識を歯を喰いしばって繋ぎ止めようとした。
(……まだ……倒れるわけには……!)
己の魂の最奥。試練を経て手に入れた、"根源"の回路へと向かって、再び魔力を絞り出そうとする。
「――っ、立て直すわ……! "怨嗟の――"」
悲壮な叫び。
――しかし、ミラクの言葉は、最後まで完遂されることはなかった。
ビキン――ッッッッ!!!!!
「―――あぐっ……!?」
突然。
脳髄を直接力任せに打ち砕かれたかのような、凄絶極まる激痛がミラクの全神経を駆け抜けた。
視界が、真っ白に白熱する。
一瞬にして全身の感覚が吹き飛び、ミラクの意識は数秒の間、完全に刈り取られてしまった。
ガクン……ッ!
両膝の力が完全に抜け、崩れ落ちるようにして湿った石畳の上へと倒れ伏しかける。
土壇場でどうにか手のひらを地面に突き立て、意識の死から這い上がってきたミラクであったが――その時にはすでに、戦況は致命的に傾いていた。
(……あ……っ……)
血を吐きながら、ミラクはそれでも、魔力を練ろうとした。
けれど――もう何一つとして、答えてくれるものはない。
(――駄目……っ。……"根源"が……使えない……っ!)
絶望の悟り。
己の魂の最奥から引き出していた、"根源"の力。
その全てが枯渇してしまったかのように――無言を貫いている。




