372話「このボクが」
"かぐや姫"ルーナ・ホップ=アクティアス。
彼女の誇る戦法の真価は、研ぎ澄まされた超高速突撃と、高威力の単体攻撃にある。
すなわち、彼女の権能は本質的に徒手空拳であり、広範囲の敵を一瞬で薙ぎ払い、焦土へと変えるような面制圧の攻撃手段を欠いていたのだ。
「あはぁっ……っ! 邪魔なんだよ、どけぇッッ!!」
焦燥と不快感に顔を歪めたルーナが、空中へ身を躍らせ、豪快な回し蹴りを叩き込む。
ドガァァァンッッ!!!!
音速を超えた脚線が空気を叩き割り、迫り来ていた五、六体のビスクドールたちが、頭部や胴体を破砕されて石畳の上へと派手に吹き飛ばされた。
だが――それで終りではなかった。
大振りの回し蹴りを放ち、一瞬だけ身体の体幹が流れた数秒の隙。
蹴り払った数体のビスクドールの背後から、その倍――十数体を超える新たな白磁の人形たちが、不気味な球体関節の軋み音を響かせながら、津波のように一斉にルーナの足元へと群がりついてきたのだ。
カチカチカチカチッ! ズドズドズドッ!
脚に喰らいつく白磁の手。着衣を裂く白銀の爪。
「っ……あ……離せ……離せぇぇッ!」
壊しても、壊しても、パーツを自発的に組み替えて無制限に再生し、波のように覆い被さってくる不条理な無尽蔵の兵。
どれほど絶大な威力を誇る蹴りであっても、面を覆い尽くす無限の物量に対しては、あまりにも効率が悪すぎた。
ルーナの誇る機動と跳躍の領域は、一歩、また一歩と、白磁の人形たちの密密な群れによって物理的に狭められていく。まるで、、泥沼の中へと押し込まれていくかのように。
それを目にしたミラクの胸中には、これまで感じたことのないほど明確で、確固たる"手応え"が熱く脈打ち始めていた。
(――いける……!)
胸の奥底で、勝利の芽が力強く息吹き始める。
自分とルーナとの間に横たわっていた絶望的な実力差の天秤が、確実に自分の方へと傾きつつある。
このまま押し切る。
彼女に体勢を立て直す隙も、反撃の余白すらも与えず、この無尽蔵の白磁の津波をもって磨り潰し、絶望の底へと叩き落とす。
ミラクは歯を食いしばり、魂の最奥に眠る"根源"へ、さらなる魔力を注ぎ込もうとした。
――まさに、その瞬間のことであった。
ビキン――ッッ!!!!
「―――――ぐぁッ!?」
全身の骨と筋肉、そして魂の輪郭そのものを、内側から刃物で切り裂かれたかのような激痛がミラクを襲った。
視界が一瞬、真っ赤に染まり、膝がガクガクと激しく震える。
吐瀉物のように熱い血の気が喉元まで込み上げ、口端から朱色の鮮血がボタボタと伝い落ちた。
痛みに耐えかねて思わず顔を顰めるミラクの脳裏に、あの言葉が鮮烈に蘇る。
『――ミラク様、あなたは力ヲ、使いこなせておりませんネ』
"零落の聖女"エレクトリアの、冷徹な指摘。
――そんなこと。誰に言われるまでもなく、ミラク自身が一番よく理解していたのだ。
カノンやノクティアといった天才たちとは異なり、自分は未だにこの"根源"を、完全に己の肉体と精神に従え切れてはいない。
魂の最奥から引きずり出しているこの力は、発動させている僅かな時間であっても、ミラク自身の未熟な心身に対して、耐え難い負荷を与え続けていた。
骨が壊れていく。魔力の回路が焼け千切れていく。
この力を使い続ければ、ルーナを倒す前に、自分自身の肉体が内側から不条理の過負荷に耐えきれず、崩壊してしまうリスクがあることなど――最初から百も承知の上だったのだ。
それでも――彼女は"根源"を使った。
圧倒的な怪物たるルーナとの間に横たわる、残酷なまでの実力差を埋め、生き残るための唯一の選択肢として。
(お願い……! あと少し……あと少しだけでいいから……保って、私の身体……ッ!!)
ミラクは激痛に血を吐きながら、胸の中で必死に祈りを捧げた。
そう――彼女は理解していた。
自分は、世界を華やかに救うような輝かしい主人公などではない。
誰からも愛され、天賦の才を約束され、鮮やかな勝利と劇的な活躍を期待されるような、特別な存在などでは断じてないのだ。
あちらの世界でも、こちらの世界でも。
自分は常に苛まれ、他人の都合に振り回され、裏切られ、惨めに血を吐いて這いずり回ることしかできない、哀れな被害者に過ぎなかった。
けれど――。
(……けれど……! 私は……"鏡を砕いた白雪姫"……!)
病室の冷たいベッドの上で、白磁の人形たちに見下ろされながら味わった、死の運命。
毒林檎を喰らわされ、ガラスの棺の中に閉じ込められ、他人の慈悲を待つだけの悲劇の定めに――納得がいかなかったからこそ、己の手で、真実を映す鏡を叩き割り、運命という名の鎖を破砕してここまで歩んできたのだと。
主人公でなくともいい。鮮やかな勝利などいらない。
泥を舐め、命を削り、全身の骨を粉々に砕いてでも――目の前の理不尽な運命を、約束された敗北の未来を、今回も叩き砕いて通り抜けるだけなのだ。
そんなミラクは覚悟の叫びと共に、自身の全存在、全魔力を解放する。
「――終わりよ! "怨嗟の白人形・悲劇"―――――っ!!!」
ミラクの叫びに呼応し、ルーナの身体に群がっていた百を超えるビスクドールたちの硝子の瞳が、一斉に真っ赤な殺戮の光を放った。
ガギギギギギギギッッッッ!!!!!
次の瞬間、人形たちの腕の表面が、ズルリと気味の悪い異音を立てて剥がれ落ちた。
そこから露出したのは――球体関節の骨格をそのまま研ぎ澄ませたかのような、幾重にも連なる不気味で無骨な磁器の巨大刃だった。
そして、ルーナを取り囲んでいた無数のビスクドールたちが、その無骨な刃を一斉に内側へ向かって突き出す。
全方位、寸分の隙間もない、密閉された殺戮の処刑陣。
百を超える白磁の刃が、ルーナの体を全方向から一斉に差し貫く。
「――クソっ……この……ボクがぁぁぁぁぁッ……!」
ルーナの屈辱に満ちた絶叫が、刃の交錯音の中に呑み込まれていく。
直後――無数の白磁の人形たちが、ルーナの体躯の上へと崩れ重なるようにして完全な多重密閉を完成させていた。
山のように重なり合った白磁の人形たちの群れ。その下に完全に埋もれ、ルーナの姿は髪の毛一筋すらも見えなくなっていたのだった。
ルーナが白磁の人形たちの山の下へと完全に埋もれ、沈黙したのを見届けてから、ミラクは膝を突き、ガクガクと震える身体をどうにか支えた。
「ハぁ……ハぁ……ハぁ……っ」
浅く、苦しい呼吸。
全身を苛む激痛は、それでも何一つとして治まることはなかった。
むしろ、"根源"の反動によって、全身が悲鳴を上げ続け、視界の端々は不気味な暗闇へと揺らめいていた。
それでも――胸の中に広がっていたのは、確かに掴み取った勝利の感覚であった。
(……か……勝った……のね……)
ミラクは遠のく意識を力任せに繋ぎ止めようとした。
まだ、ここで倒れ伏すわけにはいかなかった。
奥でアダーラと死闘を繰り広げているノクティアの元へ駆けつけ、この"大沸流坑"を二人で無事に脱出して、それから――。
朦朧とする意識の中で、ミラクが未来の希望を必死に手繰り寄せようとしていた――まさに、その瞬間のことであった。
「――あー、ほんっとうにイラつくなぁ、お前」
静寂を切り裂いて響いたのは、あまりにも低く、不快感に満ち溢れた少女の声音であった。
ミラクの双眸が、驚愕に大きく見開かれる。
ドガァァァァァァァァッッッッ!!!!!!!!
直後。
ルーナを完璧に押し潰し、山のように重ね合わされていたはずの百を超える白磁の人形たちが、内側からの圧力によって、まるで爆弾が破裂したかのように一斉に空中へと吹き飛ばされ、砕け散った。
パリィィィン! ガシャァァンッ!
舞い散る白磁の砕片、そして白銀の光の粉塵。
その粉塵のカーテンを押し開くようにして、白熱する過熱大気の中から、一人の少女がゆったりとした足取りで歩み出てきた。
着衣の端を僅かに切られ、擦り傷を負ってはいるものの――その肉体には、先ほどの多 重刺突による致命的な傷など一筋も残されてはいなかった。
"かぐや姫"ルーナ。
彼女の頭上、そして周囲の空間には――不気味で幻想的な光を放つ、宝貝の如き浮遊体が怪しく揺らめいていた。
ルーナは髪を乱暴にかき上げると、瞳に冷酷で虐殺的な光を爛々と輝かせ、ミラクを見下ろして吐き捨てるように呟いた。
「――"燕の子安貝"。……まさか、こんな雑魚相手に、このボクが魔法を使うことになるなんてさぁ」
絶望的なまでの本気の殺気を宿し、ルーナの可憐な唇が、酷薄な笑みを浮かべたのだった――。




