368話「弾ける卵と吠える獅子」
◆◇◆
不気味に残る熱気と、微かに燻る爆煙の残りが、室内にとろとろと広がっていく。
つい先ほど、ザウルの作戦が明かされ、安堵の空気が満ちかけようとしていた"晶潮館"の防衛最高統制拠点――大会議場は、瞬く間に凄惨な戦場へと、再び引き戻されていた。
(クソっ……厄介な奴が出てきやがった……!)
ギエナは心の中で悪態を吐きつつも、視線をそこから外すことはない。
爆煙の向こう側、壊れた扉の無惨な破片を踏みつけながら、ゆらり……ゆらり……と不自然に体を揺らして歩み出てくる少年の影。
一歩踏み出すたびに肉体の輪郭そのものが不気味にブレて消えてしまいそうな、その不安定極まりない足取りを、ギエナは憶えていた。
サダルスウド。
かつてこのフォーマルハウトの地において、彼と対峙した帝国の戦士の一人だ。
死闘の末に打ち破り、自爆を試みたところをノクティアの硝子の魔法によって封印したはずの怪物が、目の前に立ちはだかっていた。
サダルスウドは、焦点の全く定まらない瞳をゆったりと巡らせると、刀を構えるギエナの姿の上でピタリと動きを止めた。
相変わらず不安定に姿勢を揺らしながら、裂けたオルゴールの如き甲高い少年の声と共に、狂気に満ちた笑みを浮かべた。
「おや……おや、おやぁぁああ。覚えてる、憶えてるよおおおお。あなた……ライオンのおじさんだね」
へらへらと、幼い子供が懐かしい玩具を見つけたかのような軽薄さで声を上げるサダルスウド。
ギエナは不快そうに片眉を吊り上げると、口端から唾を吐き捨てるように言い返した。
「……そいつぁ、どうも。おじさんの方もよく憶えてるぜ……爆弾魔のクソガキがよ」
舌戦の中、ギエナの頭脳は超高速で現状を分析していた。
(――こいつは、自爆しようとした所をお嬢様が硝子の中に封印したはずだが……そいつが破れちまった、ってことかよ。しかも、よりによってこの最悪のタイミングで……!)
いくら"姫"の放つ不条理な魔法とはいえ、この世に存在するあらゆる術理には寿命と限界が存在する。
ましてや、ノクティアは現在、地下の"大沸流坑"において、命懸けの死闘を繰り広げている最中なのだ。
ノクティアの魔力が極限まで消耗したか、あるいは限界を超えた戦闘によって術式への維持力が途切れたとすれば、地上に残されていた封印が解けること自体は、何ら不思議な現象ではなかった。
だからこそ――ギエナはサダルスウドがこの地に舞い戻ってきたという事実そのものは、即座に飲み込んだ。
事態を嘆いている余裕など一秒もない。大切なのは、いま、どうやってこの化け物を屠るかだ。
ギエナはサダルスウドの身に纏う魔力の波長、そしてその不安定な肉体の動きを冷徹に観察していく。
(……ぶっちゃけ、戦力的には大したことねえ。……"硝子の獅子"を発現したばかりの、初陣だった俺でも、ほとんど圧倒できたレベルの相手だ。魔法さえ使えりゃ、そんなに面倒な相手じゃねえ)
それは、決して過信や慢心から来る見誤りではなかった。
サダルスウドの持つ権能――それは、無数の"卵"型の爆弾を生成・投擲し、広範囲を破壊し尽くすという単純明快な破壊能力に過ぎない。
高速の機動力を持つ者や、爆発に耐え得る肉体強化の術を持つ者から見れば、彼の爆撃の軌道はあまりにも読みやすく、格闘能力自体も大して高くはない。
サダルスウド一人を倒すことであれば、今のギエナにとって何ら難しい仕事ではなかった。
――しかし。
問題はサダルスウドの撃破そのものではない。
ギエナの視界の端に映り込む、大会議場の全景。
出入り口が爆破されたことによってパニックに陥り、慌てふためく十数名の連邦警備兵たち。
さらには、作戦の指揮を執っていた、非戦闘員たる文官や参謀たち。
秩序ある指揮系統を保つための通信機や地図が広げられた円卓の周囲で、逃げ場を失って震える人々。
そして――最奥に控えるイザール。
(……チッ! 守らなきゃいけねえ"荷物"が多すぎる……ッ!)
冷や汗が、ギエナの額からダラリと伝い落ちた。
かつて、フォーマルハウトにてギエナがサダルスウドと対峙した際、彼が守るべき対象は、背後に立つノクティアただ一人であった。
だが――いま、この空間には、何十人もの非戦闘員が存在している。
そこに、サダルスウドという不条理な怪物の最大の本質――無差別の広範全方位殺戮が組み合わされば、一体どうなるだろうか。
「あはぁ! あははははぁ! さあて、観客もいっぱいいるしさぁ! 卵が割れるところ、みんなで見たいよねぇええええッ!」
狂乱の哄笑を上げながら、サダルスウドがその衣服の懐へと両手を突っ込んだ。
次の瞬間、彼の細い両手から解き放たれたのは――光沢を帯びた白濁色の不気味な"卵"の群れであった。
一つ、二つ、十、二十――!
空間を埋め尽くすような無数の爆弾が、不規則な放物線を描きながら、大会議場の全方位へ向かって狂ったように撒き散らされる。
「――っ! セプテニア公を奥の部屋へッ! そのまんま、作戦本部も移してくだせぇッ!!」
ギエナは叫び声を上げると同時に、体内の全魔力を開放した。
即座に硝子の獅子と化したギエナは、爆風の吹き荒れる室内を疾風の如き初速で跳び回った。
前脚の十本の強固な爪、そして巨大な尾を振り回し、空間へと放たれた"卵"の群れを、空中で次々と撃ち落として破砕していく!
爪撃によって破壊された卵が、空中で小さな火花と爆音を上げて次々と霧散していく。
圧倒的な動体視力と空間把握能力をもって、ギエナはサダルスウドの放った爆撃の八割以上を、空中で完璧に迎撃・無効化してみせた。
――しかし。
残りの二割の漏れを、この乱戦の中で防ぎ切ることは不可能であった。
ドガァァァァァァァァッッッッ!!!!!!!!
ギエナの防衛網を擦り抜けた三つの"卵"が、大会議場の東側の壁際――悲鳴を上げて奥の部屋へと退避しようとしていた警備兵たちの足元へと着破した。
「ひっ……ひぃぃぃぃっ!?」
「逃げろ――ッ!」
轟音と共に巻き起こる爆炎と凶悪な衝撃波。
砕け散る石造りの床面と、吹き飛ばされる人間たちの凄惨な悲鳴。
サダルスウドの操る"卵"の個々の威力は、決して絶大なものではない。
不条理な"姫"や、硝子の獅子に変身したギエナからすれば、皮膚をかすめる程度のささやかな火炎と衝撃に過ぎない代物であった。
だが――生身の人間である一般兵士や文官たちにとって、それは肉体を一瞬で引き裂き、命を奪い去るには余りにも十分すぎる暴力であったのだ。
爆炎が収まった後には、崩れた石組みと共に、三人の兵士が血塗れとなって動かなくなっていた。
「……クソっ……ッ!」
硝子の獅子の巨顎から、苦々しく牙を擦り合わせるような、嫌な音が響いた。
(絶望的に相性が悪ぃ……! 奴の攻撃を防ぎ切るだけなら造作もねえが、この広い部屋で散らばってる連中の命を守り切ることなんて……できるわけがねえ……ッ!)
ギエナの胸の中に、激しい焦燥と葛藤が渦巻く。
目の前のサダルスウドを倒すことだけに集中すれば、その数秒の間に奴は全方位へ向けて数百の"卵"をバラ撒き、この部屋にいる非戦闘員たちの半分以上が爆炎の中に呑み込まれて全滅するだろう。
逆に、兵士たちの防衛だけに手を取られれば、自分は完全に後手へと回らされ、永遠にサダルスウドへの決定打を叩き込むことができなくなってしまう。
守るべき背中が多すぎるという、致命的な制約。
そんなギエナの硝子の瞳に宿る激しい葛暴と焦燥を、狂乱の闖入者は見逃さなかった。
「あはははあはははあはあははははッ! 笑おうよ、笑おうね、笑おうってばぁぁあッ!」
両手を広げて踊るように笑い声を上げるサダルスウド。
彼の瞳に宿る虚無の光が、不快なほどに爛々と輝きを増していく。
「愉快に割れる! 弾ける! ワン! ツー! スリーッ!」
――叫びと共に。
サダルスウドは、その衣服の破れ目、両袖、そして懐から、先ほどを遥かに凌駕する数の"卵"を一斉に解き放った。
五十、百――いや、それ以上。
大会議場の天井へ、壁面へ、そして奥の部屋へと退避しようとしているイザールや兵士たちの頭上へ向かって、空中を埋め尽くすような、絶望的な爆発の雨が襲い来る。
ギエナの咆哮が、混乱の大会議場に、痛烈に響き渡る――!




