345話「狂気の散弾」
(――順風満帆。ここまでは、ギエナ殿とノクティア様の想定通りですね)
音速の壁を突破し、空中に衝撃波の円環を残しながら飛翔するセラエナ・レイク=オーディットは、冷たい風を胸いっぱいに受けながら思考を巡らせていた。
先ほど、アディラが放った三射目の凶悪な魔力弾。
セラエナを飛び越え、フォーマルハウトの巨大な都市部目掛けて一直線に落下していった死の流星に対し、セラエナが一瞥すら与えずにアディラへの肉薄を優先した理由――。
それは、ここまでの戦況のすべてが、出発前にギエナとノクティアが組み上げた戦術のロードマップ通りだったからに他ならない。
出撃の前刻、ノクティアは"シンデレラ城の舞踏会"を展開し、フォーマルハウトの見張り台が存在する中央広場に、硝子兵を待機させていた。
それらは、ノクティア本人と寸分違わぬ魔力を全身から放出する高密度のデコイ群である。
狙撃手であるアディラが、空を翔けるセラエナを捉えきれなくなった時、彼女が次に選ぶ手は必然的に街の中に潜む"姫"たちへの強襲射撃となる。
そして、アディラが捉える最も濃密な魔力反応の集積地点を、あの硝子兵たちが整列する広場に偽装したのだ。
アディラが放った三射目の魔力弾が狙いを定めて激突したのは、民家や重要施設などが立ち並ぶ居住区などではなく、最初からもぬけの殻であり、硝子兵たちが密集していたあの広場の中央であった。
ドォォォォォォンッ! と遠くで響いた着弾の地響き。
硝子兵たちは壊滅的な爆風によって粉々に砕け散ったが、都市の建物や住民たちへの被害はほとんど無いに等しい。
アディラの攻撃意図そのものを完全に先読みし、無駄弾を使わせた上で、彼女の注意を街から逸らさせないためのギエナの狡猾な誘導策。
(……ふふ、こんな単純な作戦に簡単に引っかかってしまうなんて。帝国の"姫"と言っても、案外大したことがありませんね――)
空中を蹴り進みながら、セラエナの胸の中にふと浮かんだ、小さな嘲笑の念。
正体の見えなかった、地平より襲い来る、恐るべき超長距離狙撃手。
だが、実際に対峙してみれば、己の自慢の砲撃を三度もあえなく捌かれ、焦りのあまり罠にまで易々と釣られて無駄弾を散らす始末。
セラエナの瞳の奥で、張り詰めていた緊張の糸が、ほんの僅かに――弛緩した。
しかし――セラエナは、根本的な大きな誤解を抱いていた。
アディラが、冷静な判断力を失った本当の理由。それは、ギエナの作戦が巧妙だったからなどではなく――他でもないセラエナ自身が放つ、デタラメなまでの脅威のせいだったのだ。
音速を超越する速度で空間を跳翔し、自慢の絶対砲撃を二度も蹴り逸らし、一切の躊躇なく一直線に己の首を狩りに迫ってくる白鳥の化け物。
デッドラインすらも、数秒足らずで踏み越えてこようとする確定した死の化身を前にして、狂わずに冷静でいられる人間など、世界のどこを探しても存在しないだろう。
アディラから思考の余裕を奪い、追い詰め、狂乱の悪手を打たせた主犯は、セラエナ自身の超人的な戦闘能力と圧倒的なプレッシャーそのもの。
だが、どこまでも純粋で、どこまでも自分の強さに無自覚なセラエナは、その事実に全く気づいていなかった。
(このまま一気に距離を詰め、あの廃砦ごとあの狙撃手を拘束してしまえば、私たちの勝ちです!)
相手は自分よりも大したことのない存在だ――。
ほんの一瞬、セラエナの意識を掠めた油断。
戦場において、勝利を確信した瞬間に生じる微小な隙。
古今、修羅場において、幾人もの名のある騎士や兵士が、そのたった一瞬の油断によって命を落としてきた、悪魔の死角。
そして――皮肉にも。
セラエナの中に生まれたその僅かな隙と、追い詰められたアディラが土壇場で放った狂気の博打のタイミングが、恐ろしい精度で一致してしまったのだった。
(――っ、こうなりゃ……アレしかねぇッ!!)
彼方――国境沿いの廃砦の上で、過熱する右脚を高く掲げたアディラの顔面が、血を吐くような悲壮と怒りで惨惨と歪む。
距離はすでに、三キロを切ろうとしていた。
あと二秒。いや、一秒足らずで、あの白鳥の少女は自らが絶対優位を保てる1500メートルの境界線を突破し、この廃砦の真上へと到達する。
通常の狙撃を撃ち込んだところで、あの化け物めいた少女は再び自慢の旋脚で滑らかに蹴り逸らしてみせるだろう。
そして、それを外せば、装填の隙を突かれて、確実に仕留められる。
ならば――と、彼女の指先に込められた魔力が、形を変える。
(敵さんが眼の前まで近付いてきてんだ、遠くへ飛ばす射程なんて最初から要らねえ。威力を削ってでも、当たらなきゃ何の意味もねえんだよッッ!!)
アディラは右脚内部の薬室の絞りを極限まで開放し、内に溜め込まれた魔力の圧縮率を強行的に拡散・破裂させた。
単発の貫通弾を生み出すための精密機構を破壊し、内部の魔力を荒々しい粒子群へと変貌させる、完全な構造無視の強行発射。
天を揺るがす異常な炸裂音と共に、アディラの右脚の銃口から解き放たれたのは、これまでの一条の死の光芒ではなかった。
「――"不屈兵の散弾"ッッ!!!!」
アディラの絶叫と共に放たれたのは、無数の魔力の光粒子が乱反射しながら全方位へと拡散する、範囲攻撃。
それはまるで、空から降り注ぐ巨大な流星群、あるいは高密度の雹の嵐だった。
一発一発の威力と射程距離は、先ほどまでの砲撃を遥かに下回る粗雑な代物。しかし、それは空間そのものを埋め尽くすようにして、セラエナの視界全体を隙間なく覆い尽くす、広範囲の面制圧攻撃は、図らずも、この場での最適解だった。
「――っ!?」
直線上の単発狙撃しか頭になかったセラエナの視界が、突如として全方位から迫り来る無数の魔力の光粒子によって真っ白に染め上げられた。
回避運動など一切不可能な、幾重にも重なり合う弾幕の網。
旋脚で一発を弾いたところで、残る数百の魔力の散弾が彼女の全身をハチの巣にすることは明白であった。
(――青天霹靂ッ!? こんな面攻撃の手まで持っていたのですか……っ!?)
思考が白く染まるほどの激しい驚愕。
相手は大したことがないと高を括っていた、その一瞬の気が緩んだ隙を突かれたセラエナは、咄嗟の判断で全突進を強行停止せざるを得なくなった。
セラエナは空中へ展開していた進撃用の泥水足場を急粉砕し、空中で自らの身体を丸め込むと、全身に魔力を漲らせた。
「――"黒湖泥濘・水鏡の盾"ッ!!」
セラエナの叫びに応じ、彼女の身体を中心に、分厚く高密度な暗褐色の泥水が、球状の防護壁となって幾重にも巻き上がった。
空中で激突する、アディラの散弾と、セラエナの防護壁。
濁り荒れ狂う高圧の水流は、防衛に特化した水魔法の真価を発揮し、降り注ぐ無数の魔力粒子を次々と表面で相殺・破砕していった。
爆風と水飛沫が空中で激しく弾け飛び、大気を白く染め上げていく。
――セラエナの咄嗟の防衛判断は、完璧であった。
彼女はアディラが放った半ば破れかぶれの散弾攻撃を、身体に掠り傷一つ負うことなく防ぎ切ってみせたのだ。
……しかし。
アディラ自身すら予期していなかった恐ろしい皮肉。
この半ばヤケクソで放たれた散弾攻撃は、セラエナの全速突進を完全に停止させ、彼女に防御姿勢を取らせた。
その一瞬の足止め。そして、突進の運動エネルギーの完全な喪失。
廃砦の上で右脚から猛烈な煙を吹き上げていたアディラは、その光景を目撃した瞬間、血走った両目をカッと見開いた。
(……足が……止まりやがった……!? 止まりやがったぞ、あの化け物がッッ!!)
アディラの脳内で、勝利への回路が猛烈な勢いで再接続される。
相手は空中で動きを止め、防衛姿勢に入っている。
つまり――次の一瞬、彼女の回避運動も、速度による位置の誤魔化しも、一切存在しない無防備な固定標的へと変わったのだ。
「――ハハッ! ありがとよ、レオタードちゃん!! ……追加の一発だ」
アディラは歓喜の叫びを上げると、激熱で皮膚が焦げ落ちる右脚の痛みを絶叫で押し潰し、崩壊寸前の薬室に残された全ての魔力を強攻注入した。
通常であれば、反動と冷却のせいで撃てるはずのなかった、五射目。
セラエナが一瞬見せた隙と、足止めの防衛姿勢が、アディラに体勢を完璧に立て直すための猶予時間を与えてしまったのだ。
照準器の中心に固定された、泥水の球体。
その中心に潜むセラエナの心臓へ向けて、アディラの過熱した右脚が火を噴いた。
「こいつで仕終いだ――"不屈兵の咆哮"ッ!!!」
大気が爆ぜ、空間が引き千切れるような凄絶な壊滅音。
泥水の防護壁を解除し、煙の中から姿を現そうとしたセラエナの視界に飛び込んできたのは、眼前にまで迫っていた、極大の光芒であった。
(――っ、マ、マズっ!?)
セラエナがその恐ろしい事態の正体に気づき、顔を蒼白く引きつらせた時には――すでに、すべてが遅すぎた。
空中で足止めされ、回避も、旋脚による受け流しも、防衛魔法の再展開すらも間に合わない、完全なる無防備。
セラエナの声にならない悲鳴は、解き放たれた極大の魔力弾の爆光の中へと、無残に呑み込まれて消えた。
華奢で可憐な彼女の身体が、死の光線と凄惨な爆風の渦の中へと没していく――。
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