344話「水鳥は跳ねる」
ドガァァァァンッ……!
遠く彼方の空を穿ち、あらぬ方向へと霧散していく砲撃の余波を見送りながら、アディラは瞳を鋭く細めた。
右脚の鋼鉄の砲身から立ち上る、焼けるような白煙。
過熱した薬室が発する高熱が、彼女の太ももの皮膚を赤く焼き、激しく痛みを伴う。
アディラは乱れかけた呼吸を瞬時に整えると、思考回路を即座にフル稼働させた。
彼女の宿す不条理な物語"スズの兵隊"がもたらす超長距離狙撃――その最大の弱点は、単発の圧倒的な破壊力と引き換えに、連射が一切利かないという点にあった。
絶対の安全圏から一方的に敵を撃ち抜き、並の相手であれば一撃で肉塊へと変える確殺の威容。
しかし、その代償として、発射の度に肉体を破壊せんばかりの凄まじい反動に耐え、過熱する銃身のクールタイムを管理しなければならない。
(――反動の収束時間、相手の音速級の移動速度、そしてこの銃身の温度。……ちっ、ウチの脚が悲鳴を上げるまでに放てるのは、あと三発ってところか)
アディラは現在の戦況を、一切の感情を排して極めて冷静に分析した。
そもそも、第一射の段階で標的を仕留められなかった時点で、狙撃手としては致命的な不利を背負わされているのと同義であった。
位置や軌道を読まれ、接近を許している状況は、狙撃手にとって敗北のカウントダウンに他ならない。
だが――だからと言って、素直に敗北を受け入れられるほど、アディラという女は素直な性格をしていなかった。
彼女はあちらの世界の修羅場において、数多の死線を潜り抜けてきた生粋の戦争屋だ。
屈辱は、そのまま殺意の猛火となって彼女の血管を駆け巡る。
(――次は、何が何でもぶち抜く。空気抵抗、風向きの微変動、魔力弾の先端形状の変形……! 反応不可能な視覚の死角に、奴の反射速度を完全に置き去りにする最高速度で叩き込んでやるよ……!)
ギチチチチッ……!
アディラの右脚の骨格が、軋むような重厚な駆動音を立てて微修正される。
標的は、空中で泥水の足場を踏みつけて跳翔する、あの白鳥の少女。
先ほどアディラの弾丸を鮮やかに蹴り逸らしたのは、彼女の軸足と回し蹴りの軌道が噛み合ったからだ。
ならば――その蹴り技主体の脚が届かない死角、身体の回転軸に対して、極めて深い斜め上方からの射角で撃ち込めばいい。
完璧に計算し尽くされた殺戮の軌道。
迷うことなく、アディラは過熱する右脚の引き金を引いた。
撃鉄が落ちる重酷な衝撃と共に、二射目の魔力弾が眩い閃光を放って解き放たれる。
ズドォォォォォォンッッッッ!!!!
過熱した薬室から絞り出された蒼白色の光条が、大気そのものを削り取りながら、一直線に空中のセラエナへと伸びていく。
空気抵抗を極限まで殺し、あらゆる影響を完璧に計算に入れた最速の砲撃。
回避は不可能。蹴り逸らすための足も届かない――。
――しかし。
「――"黒湖泥濘・旋脚斧薙"」
セラエナの顔には、恐怖も焦りも、何一つとして浮かんでいなかった。
死の光芒が目の前数十センチへと肉薄したその刹那――セラエナは顔色一つ変えずに、空中でその身体を滑らかに翻した。
足元に浮遊させた高圧の泥水の水流を激しく蹴りつけ、頭部を真下へ、両足を真上へと跳ね上げる。
まるで天地を引っ繰り返すかのように、空中において縦方向への完璧な回転を敢行したのだ。
そして――上下が完全に逆さまとなった極限の滞空姿勢の中で、彼女は高く伸びた両脚を、コマのように滑らかに高速旋回させた。
バアァァァァンッッ!!!!!
逆さまの姿勢のまま放たれた、縦回転の旋脚一閃。
セラエナは自らの身体を逆さに回転させることで完璧な角度の合致を作り出し、飛来した魔力弾を後方の足元へと綺麗に受け流してみせたのだ。
ズザザザザァァァンッ!
セラエナの脚先を掠めて軌道を逸らされた大威力の魔力弾は、フォーマルハウトの遥か手前へと着弾し、空しく霧散していった。
「――っ!? 馬鹿げてやがんだろ……! なんだよ、あれは……!!」
十数キロメートル彼方――廃砦の上で右足を高く掲げたままのアディラの額を、冷や汗が伝い落ちた。
物理法則と空中での運動制御を完全に無視したかのような、軽やかな空中舞踏。
この異世界プレアデスへと召喚され、"姫"としての不条理な力を得てから約二十年。
フォルナクス帝国の主力戦力として重用されてきたアディラは、常に戦線の最前線に立ち、数多の敵をその狙撃によって一方的に粉砕し続けてきた。
だが――そんな彼女の戦闘キャリアにおいてすら、自身の魔力弾を一日に二度も正面から防がれたことなど、なかったのだ。
一度目は奇跡だと言い聞かせることができた。
だが、より完璧な計算と難解な射角を突いた二度目の砲撃すら、事もなげに受け流されたのだ。
(……くそが。あの化け物め、ウチの弾丸を完全に読み切ってやがる……!)
背筋を駆け上がる戦慄。
アディラは歯を鳴らしながら、急速に接近してくるセラエナの影を睨みつけた。
距離はすでに、十五キロを切ろうとしている。
このまま同じ標的に執着し、三発目を放ったところで、あの白鳥の少女には再びあっさりと受け流されるだけだ。そしてその間に距離を詰められてしまう。
(――こうなりゃ、多少汚え手を使うしかないか)
アディラは深々と息を吐き出すと、照準を、急速に迫り来るセラエナの肉体からあっさりと外した。
己の魔力弾が、目の前のターゲットに全く通用しないという現実。
普通であれば、自尊心を打ち砕かれて呆然とするか、意地になって同じ攻撃を繰り返すところだろう。
だが、アディラは違った。彼女はプロとして、無駄なプライドを、この瞬間にあっさりと投げ捨ててみせたのだ。
勝利のために最も冷酷な最善手を選び直す。
それもまた、彼女があちらの世界で過酷な裏社会を生き抜いてきたプロフェッショナルたる所以であった。
アディラが次に照準を合わせたのは――セラエナの背後に広がる、フォーマルハウトの都市部であった。
そこには、連邦に与する"姫"たちの魔力反応が蠢いていた。
(……流石に、あの街の中に、ウチの魔力弾を一人で弾けるような化け物が、何人も揃ってるわけがねえ……!)
アディラの狙撃手としての冷徹な計算。
自分に迫り来るセラエナ単体を仕留めることができないのであれば、彼女が守ろうとしている後方へ向けて、直接砲撃を叩き込んでやればいい。
そうなれば、目の前の少女は、背後の街と仲間を庇うために、砲撃の軌道上へと割り込まざるを得なくなるはずだ。
逃げ回る鳥を撃つのは難しくとも、仲間を守るために足を止めざるを得なくなった標的を撃ち抜くのは、赤子の手をひねるより容易い。
民間人にどれほどの犠牲が出ようが、街が火の海になろうが、アディラには知ったことではなかった。
これは綺麗事の舞台などではなく、戦争なのだ。そんな犠牲を躊躇うほど、彼女の心胆は甘く作られてはいなかった。
(さあ……釣られやがれッ! おっかねえおっかねえ、死の流星だぜぇ……!!)
ガショオンッ! ドォォォォォォンッッッッ!!!!
再装填されたアディラの右脚から、三射目となる凶悪な魔力弾が解き放たれた。
天を穿ち、眩い尾を引いて飛翔する蒼白色の破壊の光芒。
それは空中で不規則な弧を描きながら、セラエナの頭上を大きく飛び越え、フォーマルハウトの巨大な都市部目掛けて、まさに死の流星となって一直線に落下に転じた。
――勝った。
アディラは煙管を咥え直し、口角を凶悪に吊り上げた。
後は、防衛姿勢に入って動きの止まった彼女の隙を突き、すぐさま過熱する四射目を叩き込んでやれば、すべては完璧に片が付く。
――しかし。
背後のフォーマルハウト都市部へと向かって高速度で飛翔していく死の流星。
それに――セラエナは、一瞥すらも与えなかった。
彼女は背後の街を振り返ることすら破棄し、表情一つ変えずに、ただ目の前のアディラだけをその瞳に映していた。
「……なっ……!? なんで……振っ……振り返らねえんだよッ!?」
アディラの喉から、裏返った焦燥の叫びが漏れ出た。




