343話「至極単純な話でして」-後
◆◇◆
――生前のセラエナ、セレナ・フォンテインは、イギリスの中流家庭に生まれた普通の少女だった。
コミック文化から日本に強く憧れ、名門大学への入学を蹴って、日本の大学の推薦を受け――そして、その往路で帰らぬ人となった。
どこにでもいる少女。
平凡な人生。
ならば、彼女はどうやって――憧れの日本からの推薦状を勝ち取ったのだろうか?
彼女を知っている人間は、皆口を揃えて言う。
『セレナ・フォンテインは――本物の天才だ』と。
彼女が"天才"と称された理由。それは、単なる学術的な頭脳の明晰さを意味してはいなかった。
彼女の本質的な凄み――それは一度目にした技術や運動の本質を一瞬で見抜き、そのまま自らの肉体へと落とし込んで再現してみせるという、常軌を逸した修得能力にこそ存在していた。
世間ではそれを要領や筋の良さと呼ぶのかもしれない。
しかし、彼女のそれは要領などという生易しい言葉で片付けられる規模の代物ではなかった。
幼少期に習い事として始めたクラシックバレエにおいて、彼女はその圧倒的な能力を遺憾なく発揮した。指導者の手本を一瞥しただけで、骨格の重心移動、筋肉の緊張と緩和の配分、そして空間における身体の軸線を瞬時に理解し、そのまま完璧にトレースしてみせたのだ。
その結果、彼女は高校生世代の若さにして、英国王立バレエ協会が主宰する職業ダンサー向け検定における最高峰の称号を、史上最年少クラスでその手中に収め、若手ダンサーの登竜門として世界最高峰の格式を誇る国際バレエコンクールにおいても、満場一致の金メダルを獲得していたのだった。
平時であれば、そうして芸術などに活かせたかもしれない才能であるが、奇しくも、それが最も輝くのは、異世界の凄惨な戦いの中でのことだった。
異世界へと召喚され、物語の力を扱う術を叩き込まれたことで、その才能は、美の芸術としてではなく、生死を賭した極限の戦いの中でこそ、最も恐ろしい輝きを放つこととなったのだ――。
◆◇◆
◆◇◆
時系列は、現在へ。
数十キロ彼方の国境沿いの廃砦から放たれ、大気を融解させながら超音速で飛来するアディラの超長距離砲撃。
十数キロの空中で不規則な立体跳躍を繰り出すセラエナ・レイク=オーディットの至近距離へと、その光条が肉薄する。
しかし――死の光線が眼前に迫ったその刹那。
「――"黒湖泥濘・旋脚斧薙"ッ!」
空中で旋風を纏うセラエナの全身の筋肉と魔力が、まるで洗練されたバレエを踊るかのように、極めて滑らかな連動を開始した。
セラエナはそうして放たれた回し蹴りで、飛来した魔力弾を正面から迎え撃った。
足元に生成された暗褐色の高圧泥水が、彼女の旋脚の遠心力を乗せて鋭い水流の刃へと変貌する。
直撃すれば大惨事をもたらすアディラの巨大な魔力弾のエネルギーの軸線に対し、セラエナの旋脚は寸分の狂いもない完璧な角度と力加減で接触した。
パアァァァァンッッ!!!!!
空中を揺るがす甲高い衝撃音。
絶対の威力を持つ狙撃――しかし、それは呆気なくその進路をズラされ、フォーマルハウトの街からは逸れてあらぬ方向――城壁の横合いへと飛んでいき、炸裂した。
ヒュルリ……と、白鳥の衣装の裾をなびかせながら、空中へ生成した泥水の足場の上に軽やかに着地するセラエナ。
セラエナはそれを見届け、納得したように頷いた。
「――やっぱり、もう慣れましたね」
事もなげに呟く、その一言。
――慣れ。
そう、セラエナはアディラの砲撃に慣れたのだ。
余人が彼女を天才と呼ぶ理由はそこにある。一度見ただけであらゆる技能を体得できる彼女は、ただあるがままに振る舞うだけで、只人を絶望させるだけの才能を有している。
そんな彼女が、過去に二度、これを合わせて三度、彼女はアディラの長距離砲撃を目にしている。
一度目は――フォーマルハウトの巨大な正門の前。メロフィと二人掛かりで全魔力を振り絞り、ようやく第一射の軌道を僅かに逸らすのが限界だった。
二度目は――二日前の深夜。灯火管制の敷かれた暗闇の中、高台の上で新議長ザウルとノクティアを守るため、自らの足に泥水の魔力を纏わせ、辛うじて逸らすことができた。
なら、三度目は――?
(――クソっ、どうなってやがる!?)
十数キロメートル彼方――国境沿いの廃砦。
驚愕に、アディラの額から汗が滑り落ちる。
崩れかけた石垣の上で、右足を高く掲げたまま固まっていた彼女の片眼鏡の奥で、信じがたい光景が映し出されていた。
彼女は自身の長距離砲撃に絶対の自信を持っていた。
"スズの兵隊"の魔法を行使する際の絶対条件は、その場から動かないことだ。
片脚を地面や強固な構造物に完全固定し、自身の移動能力を完璧に排斥する。それだけの巨大なデメリットを払っている故に、その魔力弾の威力は、帝国が持つあらゆる魔法・兵器の中でも群を抜いている。
そこに、元の世界で培った自身の正確無比な狙撃技術が組み合わされば、理論上、倒せない敵はいない。
1500メートル以上の距離を保っていれば、自分は絶対無敵なはずだった。
移動ができないというデメリットを、相手の手が届かない圧倒的なアウトレンジからの確殺射撃によって相殺する――それがアディラという狙撃手の無敵の方程式であった。
しかし、現実はこうだ。相手の"姫"は、事もなげに自身の攻撃を捌き切ってみせた。
回避運動を取るわけでもなく、正面からアディラの自慢の一砲を蹴り一発で逸らしてみせたのだ。
――その事実が、アディラのプライドに罅を入れる。
「ふざけやがって……! 偶然だ、たまたま軌道と蹴りのタイミングが噛み立っただけの奇跡に決まってやがる……!」
アディラは呪詛混じりに吐き捨てる。。
自身の誇りであり、生存の根拠でもあった最強の狙撃能力。それに傷を付けられたという屈辱と激痛が、彼女のプロとしての自尊心を激しく痛めつけていた。
ガショオンッ! ギチチチチチッッ!!
アディラの右脚内部の構造体が、激しい不気味な擦過音を立てて強行駆動した。
「冷え切るのを待ってる時間なんかねえよ……! 寄らせるか! 次で確実にペチャンコにしてやるッ!」
通常、大威力の魔力弾を撃ち出した後は、右脚の冷却と魔力の再充填のために、最低でも十五秒ほどのインターバルを必要とする。
だが、アディラはその冷却時間を半ば強引に無視し、肉体――砲身に激しい過熱の負担を強いて、強行的な再装填を開始した。
太ももの皮膚の表面が、燃えるような真っ赤な高熱を帯び、内出血のような赤黒い魔力の脈動が浮き上がっていく。
視界の中で、セラエナの影は留まることを知らず、足元に展開した泥水の足場を音速級の速度で蹴り飛ばしながら、一直線にこの廃砦へ向けて距離を詰めてきていた。
二十……十七……十五キロ……!
セラエナが放つ凄まじい接近速度と、その魔力反応の波形が、アディラの照準を乱雑に狂わせ、彼女の焦燥をさらに激しく煽り立てる。
(速い……!? クソが、なんであんなデタラメな速度で空中を跳んできやがる!)
アディラの胸の奥で、これまで味わったことのない、冷たい死の恐怖が、ジワジワと毒のように広がり始めていた。
1500メートル。
自分が絶対的な優位を保てる限界の境界線。
もしもあの化け物めいた白鳥の少女に、その1500メートルの内側への侵入を許してしまえば――その瞬間、移動のできない狙撃手であるアディラは、小回りの利く近接格闘によって一方的に蹂躙される。
「寄らせねえ! ウチの間合いに……踏み込んでくるなっての!!」
アディラは狂ったように叫ぶと、過熱で赤く染まった右脚の照準を、急速に迫り来るセラエナの胸元へと強引に合わせ直した。
アディラの優位が音を立てて崩れ去る中、両者の命運を賭けた第二射の引き金が、いま再び引かれようとしていた――!




