342話「不屈の咆哮」
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フォーマルハウトの城壁から直線距離にして数十キロメートル。フォルナクス帝国とエリダヌス連邦の国境沿いに打ち捨てられた、古びた石造りの廃砦。
その崩れかけた石垣の上で、数日前と変わらず、アディラ・スタンニカは片足を高々と持ち上げたハイキックのような異形のポーズのまま、ピクリとも動かずに佇んでいた。
右目に取り付けられた精緻な鋼鉄の片目鏡と無骨な照準器。
それら越しに、彼女は十数キロ先の大気に佇む白亜の水の都フォーマルハウトを、何時間にもわたって冷徹に監視し続けていた。
元の世界において、某国の非合法特殊部隊で数多の暗殺と潜入工作をこなしてきたプロの狙撃手。
彼女は、帝国軍の包囲網の配備状況と、城内に孤立した連邦側の心理状態を冷静に算出し、"臨界点"を導き出していた。
包囲を完成させてから数日。食糧も弾薬も潤沢であれど、救援の望みも断たれた連邦側が、包囲網から逃れるために決死行に踏み切るならば――間違いなく、今日この刻限しかない。
(――ふん、思った通りだねぇ。ウチの勘も、まだまだ捨てたもんじゃねえな)
アディラの咥えた、火のついていない煙管の端から、冷ややかな吐息が漏れた。
片目鏡のレンズの奥で、フォーマルハウトの内部からいくつもの不自然な魔力反応が急激に立ち上がるのが捉えられた。
窓硝子や水路の鏡面に屈折し、街全体へと乱反射しながら幾重にも増殖していく、"姫"特有の巨大なな魔力の波形。
それは、連邦側の"姫"たちが、いよいよ戦闘態勢へと突入した証拠であった。
――ジュッ……。
右脚の皮膚の下で、生々しい肉体から無骨な鋼鉄の砲身へと変異した構造体が、静かに重厚な熱を帯び始めるのが分かった。
太ももから膝、そして足首へとつながる内部機構が、まるで命を持った機械のように蠢き、殺戮の準備を整えていく。
あちらの元の世界にいた頃から、覚えていた、極限の死線へと身を投じる瞬間にのみ味わう、胸の奥を焼くような不気味な高揚感。
(さあ……どう出る? どう出てくるんだい、死に体の連邦どもは――!)
アディラの胸の高鳴りに応えるかのように――フォーマルハウトの巨大な正門と城壁の影から、それは勢いよく飛び出してきた。
天窓の斑光を浴びて空へと躍り出たのは、漆黒のレオタードを纏った、しなやかで華奢な少女のシルエット。
(――なんだ、あいつかよ)
片目鏡のレンズを絞り込み、飛び出してきた影の正体を識別した瞬間、アディラは心底つまらなさそうに落胆の息を吐き出した。
彼女はその少女の顔と戦闘能力を、既に記憶していた。
数日前、フォーマルハウトの巨大な正門前において、外からの救援部隊を牽制するために放った一射。
あの時、正門の前で他の"姫"――赤い靴を履いた"姫"と共に立ち向かい、二人掛かりでようやくアディラの砲撃をほんの僅かに逸らすのが限界だった、か弱き"姫"。
(……ちっ、拍子抜けだねぇ。あいつ一人が出てきたところで、ウチを脅かすような脅威はなりやしないよ)
アディラは冷酷な思考で、即座に目の前のターゲットの戦力を査定した。
あの少女単独の防衛能力では、アディラの解き放つ大質量の魔力弾を正面から受け止めることなど不可能だ。
となれば、相手の狙いは明白であった。
高高度への跳躍と不規則な機動によって、アディラの狙撃を回避しながら、一直線にこの廃砦へと急撃してくるつもりなのだろう。
数十キロの距離を、回避運動を挟みながら詰めてくる機動戦。
普通の狙撃手であれば、不規則に空中を動く標的に対して照準を合わせるのに苦労するところだろうが――アディラの前では、そんな子供騙しの回避運動など、何の意味もなさなかった。
(避ける気なら、最初から避けられないようにしてやりゃいいだけの話さ。……あいつの身体を狙うんじゃなく、背後のフォーマルハウトごと吹き飛ばすような絶妙な斜角で、まとめて死体に変えてやるよ――!)
アディラは片目を極限まで細めると、右膝の照準器を微細に操作した。
狙撃の軸線を、空中を飛翔するセラエナの胸元から、彼女の背後に位置するフォーマルハウトの巨大な防壁へと滑らかにシフトさせる。
こうして軸線を重ねておけば、セラエナが回避運動を取ってしまったその時に、フォーマルハウトは、アディラの魔力弾をモロに受けることになる。
セラエナは、もう避けることなどできない――あまりにも非情な策だ。
慢心も、油断も、一切存在しない。
相手の退路を完全に塞ぎ、もっとも確実に殺害するために、酷薄で冷徹な計算を巡らせる。
――ガション……ギチチチチッ!
アディラの右脚内部の薬室が、激しい不気味な駆動音を立てて密閉された。
筋肉が膨れ上がるのに似た生々しい感触と共に、彼女の全身の魔力回路から絞り出された圧倒的な密度の魔力が、右脚の鋼鉄の砲身へと一気に叩き込まれていく。
太ももの表面に浮かび上がる、赤黒い魔力の脈動。
片脚を失い、一本脚の兵隊として炎の中に崩れ落ちた"スズの兵隊"――その呪いのような威圧が、廃砦の周囲の空間を重く歪ませていく。
呼吸を完全に止め、心拍数を極限まで落とし、右目と世界の軸線を寸分の狂いもなく同調させる。
照準の中心に、泥水の旋風を纏って空を翔けるセラエナの姿が完璧に収まった、そのまさに直後。
アディラの無慈悲に構えられた右脚の銃口が、天を揺るがす轟音と共に火を吹いた――!
「――"不屈兵の咆哮"。」
ドォォォォォォォンッッッッ!!!!!!
廃砦の古い石垣が、噴き出した爆風の余波に耐えきれず、激しく崩れ落ちる。
放たれた一射は、目視すら不可能なほどの超高速度の光条となり、大気すらも焼き尽くしながら、一直線にセラエナの元へと伸びていった。
遥か数十キロの空間を切り裂く、死の直貫砲。
回避することは許されず、防ぐことも許されない。
直撃すれば全身が灰微塵となって蒸発し、仮に寸前で交わしたとしても、今度は背後の街が破壊される。逃げ場なき必殺の一撃。
圧倒的な魔力の奔流が、空中で躍動するセラエナの至近へと、怒涛の勢いで迫っていく――。
――"スズの兵隊"アディラ・スタンニカの狙撃は、完璧であった。
そこに、敵を甘く見るような隙も、油断による手加減も存在しなかった。
プロフェッショナルとして、目の前のターゲットを確実に排除するための、慈悲のない最高の一射。
自身の放った"不屈の咆哮"の圧倒的な光芒を見送りながら、アディラは煙管を咥え直し、すでに次のターゲットへと意識を切り替えようとしていた。
あの黒いレオタードの少女は、これで終わりだ。
一瞬で肉塊となって空中で砕け散り、フォーマルハウトの防壁と共に消えてなくなる。
――しかし。
このアディラの計算には、ただ一つだけ、致命的な変数が存在していた。
彼女は知らなかったのだ。
――二日前。
徹底した灯火管制が敷かれ、完全な暗闇へと呑み込まれていた真夜中のフォーマルハウト。
高台の上で、ザウルが掲げた一輪の薔薇を数十キロ彼方から正確に撃ち抜き、その直後に二人をまとめて蒸発させようとして解き放った、あの死の射撃。
あの夜闇の絶望的な砲撃の直前において――一体"誰"が自身の自慢の砲撃を跳ね返したのかを、彼女はこの瞬間まで知らなかったのだ――。
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