339話「誇り無き計略」
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――昨日の午後。"晶潮館"、大会議場。
外の海流から透ける冷たい不気味な青白い光が、広大な円卓の上に集まった私たちの影を不気味に長く引き延ばしていた。
二日前の喧嘩の熱冷めやらぬ室内で、最初に口を開いたのは、ギエナだった。
「――結論から言いやすぜ。このまんま真っ正面からぶつかりゃ、俺たちはみぃんなお星さまだ。しかも、多分……ただの無駄死にってやつですぜ」
開口一番、あまりに鋭いギエナの言葉に、会議場を包み込んでいた緊張の空気が、さらに一段と冷たく張り詰めた。
円卓の正面に座り、組んだ腕の上に顎を乗せて目を瞑っていたイザールが、ゆっくりと片目を開けてギエナを見つめた。
「……ふむ。お前は現況をそう見るのか、"砂の鬣"よ」
「下手な芝居は止めましょうや、セプテニア公。こっちはもう、尻に火が点いちまってるんでね。別に、あんたら連邦がどんな勝ち目のねえ負け戦に身を投げようが知ったこっちゃねえですがね……うちのお嬢様だけは、生かして返さなきゃなんねえ。だからこの勝負、どうしたって負けるわけにゃいかねえのさ」
毒々しい声音で、ギエナは言い放つ。
その言葉に対し、円卓の横手に腰掛けていたザウルが、眉根を僅かに寄せて厳しい眼光を向けた。
「……負け戦、とは随分なご挨拶だね、ミスタ・アルファルド。少なくとも僕は、絶対に勝つつもりでこの戦いに臨んでいるんだけど」
「だったら、その覚悟ってやつぁちっとばかし足りやせんね。あんたが頭の中で捏ね繰り回している策だけじゃあ、押し寄せてくる敵の軍勢を徹底的に追い詰めることなんてできやせんよ」
「……へえ? 僕の温めてきた作戦を具体的に聞く前から、随分と大きく出てくれるじゃないか。それなら聞かせてもらおうか。あなたは一体、どのような手を打つと言うんだい?」
ザウルの挑発的な問いかけに対し、ギエナはニヤリと口角を吊り上げ、凶悪な肉食獣のような意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「……へへへ、古今東西、圧倒的な戦力差を覆す方法なんてのは、最初から決まってるんでさぁ。……相手の士気を徹底的に削ぎ、全軍に激しい混乱を巻き起こし、正しい状況判断が絶対にできねえように仕向ける――」
ギエナのその言葉の意図を瞬時に察知し、イザールが白眉を大きく跳ね上げた。
「――なるほど。……兵糧を攻めるわけか」
「そうでさぁ。流石はセプテニア公、話が早くて助かりますぜ」
ギエナは円卓の表面を指先で軽く叩きながら、解説するように言葉を続けた。
「奴らフォルナクス帝国軍は、元々自国の兵数が少ねえところを、強奪した"人魚兵"どもで無理矢理嵩増ししただけの急造軍隊だ。力任せの強襲作戦はどうにか誤魔化せたとしても、一万の胃袋を満たすための兵站の維持までは、そう上手くはいかねえでしょうよ」
ギエナはそこで言葉を区切ると、視線をゆっくりとイザールの厳格な顔へと向けた。
「……それにだ。帝国の目ぼしい将兵や熟練の軍司令官たちの多くは……三十年前のあの大戦において、その殆どが陣中で命を落としてまさぁ。……今の帝国に、一万規模の大軍を率いた経験のある指揮官なんざ、一人として存在しねえ。……違いますかい、元帝国の外交特使殿?」
刺すようなギエナの問いかけ。
イザールは少しの間、自らの手元を見つめるように深く下を向いて沈黙していたが、やがて静かに顔を上げた。
「……"鬣"の言う通りだ。……現在、前線で小隊や中隊規模――大きくとも大隊規模程度の現場指揮を経験した者はいるだろうが、万単位の兵を統率し、大規模な兵站補給線を滞りなく維持した経験を持つ将校は、もう皆、実戦の表舞台からは退いている」
イザールの口から告げられた、帝国の構造的弱点。
つまり、現在フォーマルハウトを包囲している一万の帝国軍の指揮系統には、予期せぬ不測の事態に対して柔軟かつ迅速に対応できるだけの、本物の指揮官が存在しないということだ。
一度でもその補給ラインや全軍の動きを不条理に狂わせてしまえば、大軍ゆえのパニックが伝播し、あとは如何様にでも料理できる肉の塊へと成り下がる。
(……流石はギエナね。相手の強みの裏側に隠された、弱点を完璧に見抜いている)
私は胸の奥で感嘆の息を吐きながら、ギエナの鋭い洞察力に舌を巻いていた。
――しかし。
そこで静寂を破り、冷静な疑問の声を投げかける者が一人存在した。
「――ちょっと、いいかしら」
静かに挙手をしたのは――意外にも、私と並んで席に着いていたミラクだった。
彼女はギエナへと向け、硬い声音で詰問した。
「兵糧攻めって言葉で言うのは簡単だけれど、具体的にどうやって実行するつもりなの? 敵だって自分の補給物資や兵糧庫が狙われることくらいは当然警戒しているでしょうし、そう簡単に忍び込んで焼き払えるとは思えないわ」
ミラクの懸念に対し、ザウルも深く頷いて同意の意を示した。
「……確かに、ミラク嬢の言う通りだね。厳重に警戒された相手の補給部隊や備蓄倉庫に近付くだけでも至難の業だ。密かに忍び込んで火を放つ、なんていう古典的な隠密作戦が通用する相手とは思えないけれど?」
二人の指摘は、ごくごく極めてまっとうなものであった。
敵の警戒を真正面から打ち破り、膨大な食糧や物資を完璧に灰燼に帰せしめるには、それ相応の手段が必要となる。
(……それこそ、私が"根源"を解放して、遠方から溶解硝子の熱線で敵の物資ごと全焼させてしまえば話は早いのだけれど……)
けれど、私という"姫"の持つ最強のカードである"根源"の開放は、この後に待ち受けている"雪の女王"アダーラとの決戦まで、温存しておかなければならない。ここで不用意にリソースを削るわけにはいかないのだ。
思考を巡らせる私やミラクたちの表情とは裏腹に、余裕に満ち溢れた態度のギエナは、大袈裟に肩を竦めて見せた。
わざとらしくオーバーな演技交じりのポーズ。
それは、感情的になりやすく直情的なミラクと、政治家としては優秀だが実戦の修羅場には疎いザウルの二人に対し、会議の主導権を掌握するための、彼なりの計算されたパフォーマンスであった。
「――なあにを言ってるんですかい、お二人さん。いい方法が最初からあるじゃねえですか。それもとびっきり派手に、相手の物資を吹き飛ばしてやれる最高の作戦がよ」
「……いい方法?」
不審そうに眉をひそめるザウルの目の前で、ギエナはニヤリと笑いながら、"彼女"の立つ方向を指し示した。
彼が指指したのは――私のすぐ脇に、凛とした佇まいで控え立っていたセラエナだった。
「――っ! と、唐突千万、わ、私ですか!?」
まさか自分に白羽の矢が立つとは思ってもみなかったセラエナは、目を丸くして素狂ったような大声を上げた。
しかし、ギエナの瞳は冗談などではなく、真剣そのものの色を宿していた。
その狙いを瞬時に汲み取ったのか、イザールは、深く頷いて見せる。
「なるほどな……"鬣"。貴公に考えがあるというのなら、敵の補給路の裁断はそちらへ全権を任せよう。……しかしだな」
イザール公は言葉を区切ると、私やセラエナの顔を順番に見回し――最後に、ミラクの前でその視線を止めた。
「……"姫"には、兵糧攻めなど効かぬぞ。あの化け物のような"かぐや姫"や"雪の女王"を、一体どうやって抑え込み、討ち取るつもりだ?」
そう、兵糧攻めが成功して一万の雑兵が飢えと混乱に落ち入ったとしても、圧倒的な個の暴力を持つ"姫"本人の脅威が消えてなくなるわけではないのだ。
「ああ、そりゃあ全くもってその通りですねぇ。ですがね、そっちに関しては、俺は一切心配しちゃいませんぜ」
ギエナはそこで、意趣返しとばかりに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてザウルへと視線を向けた。
「そこにいる優秀な総議長サマが、何やらとっておきの素晴らしい作戦をお持ちのようでしてね。ミラク嬢があの宿敵"かぐや姫"を完璧に討ち取れる――そんな夢のようなお考えを、すでにお持ちなんでしょう?」
それは数日前、争っていた私たちに向かって、彼がかけた言葉そのままだ。
あの場を収めるための方便だったのか、それとも、本当に心積もりがあるのか――どうあれ、これでもう、ザウルも逃げ場を失った。
その事実に気がついたのか、ザウルは一瞬だけ目を見開いたものの、すぐに諦めたように肩をすくめて首を振った。
「ははは……流石は"砂の鬣"、目ざといねぇ」
諦め混じりに呟くザウル。
けれど、自らの胸元に手を当てた彼の細い唇の端には――自らの愛する故郷を救うための、狂おしいまでの悲壮な覚悟を秘めた、かすかな決意の笑みが浮かんでいたのだった。
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