338話「決戦の朝」
――二日後。
決戦の朝。差し込む陽の光は、フォーマルハウトの巨大な正門前の大理石広場を、どこか冷たく静痛な色に染め上げていた。
門の前に結集したのは、この沈みゆく水の都の命運、そして私たち特使団の存亡を賭けた全兵力であった。
「――総員整列! "禁忌衆"、もとい、聖教騎士部隊の一から三は前へ!! 魔法の"種"を行使できる信徒団は隊列の中心に入り、前線の援護と防衛に全注力してくださいッ!!」
凛とした鼓膜を突く金切り声が、朝の静寂を切り裂いて響き渡る。
先頭に立ったセラエナが、整列したおよそ九百名におよぶ聖教騎士たちの装備を鋭い眼光で確かめながら、声高らかに点呼を取っていた。
彼女の号令に応じ、プレアデス聖教国が誇る屈指の精鋭たちが、ガシャンと重厚な靴底の金属音を同時に鳴らし、寸分狂わぬ完璧な整列を果たしていく。
聖教騎士――またの名を"禁忌衆"。
かつてプレアデス聖教国の地下深くにおいて、最高司教カリオペによる禁断の魔法研究の副産物として、人体実験同然の手法で物語の力を強制的に注入された男性兵士たち。
彼らは個々の"物語"に由来する力こそ保持していないものの、並の騎士を遥かに凌駕する狂暴な身体能力と、過酷な拷問にも耐え抜く強靭な精神力を備えた生粋の狂戦士部隊であった。
そして彼らの背後を固めるのは、魔法の"種"を宿し、軽微な防護や回復魔法を行使できる信徒団の女性たち。
千名に満たない小規模な部隊とはいえ、最も"姫"の核心に近い、あの国の積み重ねによって磨き上げられてきた彼女たちの戦闘能力と連携の精度は、ただの数合わせの雑兵とは比較にならない、極めて実戦的な戦力であった。
頼もしい彼女たちの背中を見つめながら、私は手首の包帯をそっと確かめた。
二日前のミラクとの喧嘩による傷は、私たちが持つ"姫"特有の破格の自然治癒能力によって、表面上はすっかり綺麗に塞がっていた。
――そう。二日、それだけの時間が経ったのだ。
私がそれを痛感しつつ、拳を握ったところで、聖教騎士部隊の後方――巨大な正門の真下あたりから、朗朗とした男の声が響いてくる。
「――いいかい、諸君!! ここが正念場だ! ここを我々の手で死守し、我々は新たな約束の地へ向けて、輝かしい新水都を築き上げるのだ! そのためには、立ちふさがる敵の振りかかる火の粉は、我々自身の手で完璧に打ち払わねばならない!!」
いつも通り、派手な三つ揃えのスーツを身に纏い、高い演台の上に立って身振り手振りを交えながら熱弁を振るっていたのは、ザウルその人であった。
彼の胸の空破を突くような情熱的な激励に応じ、広場に集結したフォーマルハウト防衛軍の兵士たち――およそ五千名の男たちから、ワァッと一瞬の歓声が巻き起こる。
――しかし。
その歓声の波は、どこか空虚で、どこか痛々しいほどに力なく大気へと霧散していった。
歓声を上げる兵士たちの表情は、一様に暗く沈んでいる。
彼らは誰一人として真っ直ぐに演台のザウルを見ようとせず、気まずそうに目を逸らし、互いに視線を交わしながらどこか後ろめたそうに肩をすくめていた。
それも当然だった。
彼らは理解しているのだ。この街が置かれている現状と、これから始まる戦いの過酷さ――そして、いずれ迎えるであろう、残酷な現実を。
自分たちが今から臨もうとしている戦いは、"遷都のための礎"などではなく、迫り来る帝国の圧倒的な暴力の前に差し出された、肉の壁に過ぎないのではないかという絶望的な疑念。
兵士たちのその暗い表情を目にしながら、私は静かに深々と溜息を吐き出した。
(……分かってはいたけれど、本当に崖っぷちの綱渡りね……)
今回のフォーマルハウト防衛戦。
結局のところ、ひっそりと期待していたガーランドからの増援も、王都や近隣諸国からの救援部隊も、何一つとしてこの決戦の刻限には間に合わなかった。
残された戦力は、目の前にいる疲弊した五千の防衛軍と、九百の聖教騎士団。そして、私たち数名の"姫"を含む特使団のみ。
(一体……ここにいる人間のうち、どれだけの人が無事に生きて帰れるのかしら……)
胸の奥を重く押し潰すような、悲壮で不吉な思考が頭を過った、まさにその時だった。
「――何、あんたまで溜め息なんて吐いてんのよ」
背後から響いた、冷たくも聞き覚えのある凛とした声音。
私が驚いて振り返ると、そこに佇んでいたのはミラクであった。
二日前、血と泥に塗れ、内出血の痛々しい痕を全身に浮かべて倒れていた彼女の面影は、そこには微塵も存在しなかった。
傷は癒えたのか、痛々しく体を覆っていた大量の包帯はすべて取り去られ、まるで上質な白磁のごとき透き通るような美しい肌が朝光の下に顕わになっている。
そして彼女がその身に纏っていたのは、一切の汚れや傷の存在を許さない、眩いばかりの純白のドレスアーマーであった。
背筋を完璧に伸ばし、腰に愛剣を履くその佇まいは、彼女の中に芽生えた絶対の覚悟を誇示しているかのようだった。
「……ミラク。あなた、もう準備はいいの?」
「ええ。私はそこのウジウジ悩んでるウスノロ兵士どもとは違うから。もう、いつでもあいつらを叩き潰せるわ」
強気に言い放つミラク。
けれど、私を見つめ返す彼女の眼の奥底には、激しい憤怒、自責の念、そして焦燥といった、様々な感情が不気味な渦を巻いて激しく蠢いていた。
やはり……二日前の衝突を経てなお、彼女の精神状態は完全に吹っ切れてはいない。
己の弱さに対する激しい憎悪と、宿敵に対する狂おしいほどの復讐心が、彼女の瞳を刃のように危険な色合いへと染め上げているのだ。
敵を前にして、自分自身の命すら擲って相討ちに持ち込んでしまいそうな――そんな踏み外せば即座に崩落する、あまりにも危うい断崖絶壁の立ち姿。
私は彼女のその痛々しいほどの張り詰め方に息を呑んだが、今の彼女に対し、これ以上どのような言葉をかければ良いのか、答えを見出すことができなかった。
私のその戸惑いと懸念が直感的に伝わったのか、ミラクはどこか呆れたように冷ややかな眼を細めてみせた。
「……そんな情けない顔をしないで頂戴。……今回の作戦、あんたの所にいるあの食えない参謀が持ち込んできたものなんでしょう? だったら、あんたはもっと自信を持ってどっしりと構えていなさいよ」
「……ええ、そうね。……ありがとう、ミラク」
私は胸の前に手を当て、深く頷いて答えた。
そう、弱気になっている場合ではないのだ。
私は視線を上げ、正門の影で煙管の煙をゆったりと燻らせている彼――ギエナの背中を見つめた。
私の脳裏に、昨日の夜、"晶潮館"の会議室において執り行われた、作戦会議の光景が、鮮烈な記憶となって蘇ってくる――。




