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【10万PV突破!】間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
25章「月と水面と死にゆく街並み」

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337話「動き出す"鬣"」


 ドガァァァンッ!!


 "晶潮館"の重厚で巨大な木造の扉を、私とセラエナ、そしてザウルの三人で強引に押し閉め、閂をガチャンと噛み合わせた。


 外の闇から隔絶された静寂。


 天窓から差し込むかすかな海流の斑光が、冷たい大理石の床をぼんやりと照らし出している。


 私は膝に手をつき、肩で荒い息を吐き出しながら、冷や汗で濡れた額を拭った。


「……っ、はぁ……はぁ……! 絶体絶命、ですが、何とか無事に切り抜けたみたいですね、ノクティア様」


 セラエナも息を乱しながら、髪を手ぐしで整えつつ、安堵の息を吐き出した。


「そ、そうね……。本当に死ぬかと思ったわ。……ザウル、あなたは怪我してない?」


 私は背後に佇むザウルへと視線を向けた。


 彼はしばらくの間、自らの右手の掌をじっと見つめたまま固まっていた。


 つい先ほどまで、一輪の薔薇を掲げていたその手。あの驚異的な超長距離狙撃によって、指先わずか数センチの距離を木端微塵に砕かれた恐怖の余韻が、未だ彼の全身を固直させているようだった。


 けれど、私の問いかけに気づくと、彼はハッと正気に戻り、瞬時にいつもの気障で洒脱な笑みをその貌に作り直してみせた。


「……ああ、大丈夫さ、ミズ・グラスベル。……いやあ驚いたな。まさか、灯火管制の敷かれた真夜中にまで、寸分の狂いもなく正確に撃ち込んでくるなんてね」


 軽薄な口調。


 ――けれど、彼の手と声音は、誤魔化しきれないほどの震えを帯びていた。


 無理もない。生身の人間でありながら、一瞬で建造物すら蒸発させるような不条理な魔力の奔流に晒されたのだ。死の恐怖に怯え、身体が竦むのは至極当然の反応であった。


 けれど、今ここで彼のその震えや怯えに直接触れてしまえば、一国の指導者として、そして一人の男として彼が必死に保っているプライドを傷つけかねない。


 そう察した私は、わざとらしく明るいトーンで、話題を逸らした。


「……それにしても、あんな漆黒の闇夜の中で、一体どうやって私たちに正確に照準を定めたのかしら。まさか"スズの兵隊"は、夜の闇も距離も一切関係なく、私たちのいる場所を正確に特定できるというの……?」


 私が腕を組んで首をひねると、セラエナが胸元を正しながら、即座に口を挟んできた。


「杞人天憂(きじんてんゆう)……。流石にノクティア様、考えすぎというものでしょう。もしも敵の魔法が、夜闇や遮蔽物を完全に無効化して位置を特定できるような全知全能の代物であるならば、私たちは今ごろ高台の上で全弾叩き込まれて蜂の巣になっていますよ」


「まあ、そうかもしれないけれど……」


 セラエナの言うことにも一理ある。けれど、あの漆黒の暗闇の中で、ザウルが掲げた指先の薔薇をピンポイントで射抜き、間髪入れずに二射目を正確に打ち込んできたという事実は動かしようがない。


 それが可能となる何らかの物理的・魔法的なカラクリが存在するのは間違いないのだ。


(……それが果たして、本当にカラクリと呼べるものなのか。あるいは……それだけ"スズの兵隊"が、異次元の腕を持つ天才狙撃手だということなのか……)


 どちらであれ、油断して警戒を解けば即座に命を奪われる。


 あの超長距離砲撃は、このフォーマルハウトの決戦において、私たち特使団にとって間違いなく最大の脅威の一つなのだから――。


 その時、私はふとした強烈な違和感を思い出し、セラエナの顔をまじまじと見つめ直した。


「――って、ちょっと待ちなさいセラエナ。あなたさっき、あの巨大な魔力弾を、簡単に蹴りで逸らしていなかった……!?」


「はい? 私の"黒湖泥濘・旋脚斧薙"のことですか?」


「そうよ! 昼間、ギエナがあの砲撃を真正面から受け止めようとした時は、重傷を負って吹き飛ばされたのよ? あなただって昼の時点では、メロフィと協力して二人で受けて、ようやく勢いを殺せるくらいだったじゃない。なのに……どうして先ほどは、一発の蹴り技で容易く逸らすことができたの?」


 そう、ギエナの怪我と昼間の苦戦を考えれば、あの魔力弾のエネルギー量は常軌を逸している。


 それを、セラエナは先ほど、高台の上で実にあっけなく斜め上方へと蹴り飛ばしてみせたのだ。一体どのような魔法を使ったというのか。


「ああ、それはですね。極めて単純な話でして――」


 セラエナがそのからくりを説明しようと口を開いた、まさにその瞬間だった。


 カツン、カツン、カツン……。


 晶潮館の回廊の暗がりから、のんびりとした不規則な足音がこちらへと近づいてきた。


「やあやあ、よくお帰りで、お嬢様方。さっき西の夜空が光りやしたがね、何かありましたんで?」


 暗がりから姿を現したのは――片腕に白い包帯を痛々しく巻きつけたまま、干し肉を噛んでいるギエナだった。


 ギエナの鋭い二つの瞳が、私の顔、セラエナの姿、そして壁際で佇むザウルへと、滑らかに巡っていく。


「ああ、ギエナ。それがね――」


 私は彼に向かって、高台で起こった出来事の顛末をかいつまんで話して聞かせた。


 ザウルに案内されて夜のフォーマルハウトの街を見下ろしていたこと。彼が薔薇を夜空に掲げた瞬間、それが数十キロ彼方からの狙撃によってピンポイントで射抜かれたこと。そして、即座に放たれた二射目に対し、セラエナが疾風のごとく駆けつけて私たちを救出してくれたこと――。


 ギエナは手持ちの干し肉を噛み締めながら、黙って私の報告に耳を傾けていた。


 そして、全てを聞き終わると、納得したように深く頷いてみせた。


「……へえ、ま、大体の事情はわかりやしたよ。そんな生きた心地のしねえ地獄絵図の中で、よくぞ二人とも無事に帰ってこられやしたね。こいつぁ、セラエナ嬢様々ってとこですかい」


「ふふん! 騎士として当然の責務を果たしたまでに過ぎませんよ!」


 ギエナに褒められ、セラエナは胸を大きく反らせて誇らしげに鼻を鳴らした。


 けれど――ギエナは彼女の自慢げな態度を軽くあしらうと、表情を少しだけ引き締め、私に向かって静かな声音で言葉を続けた。


「……まあ、今日はもう、色々とありすぎてお互いに疲れ果てたでしょう。我々ヴァルゴ特使団はそろそろ、お暇しましょうや」


「……? でも、ギエナ。さっき途中で立ち消えになった作戦会議の件もあるし、セプテニア公にも今後の補給や配置のお話を……」


 私が言いかけた、その時だった。


 ギエナはザウルに悟られないよう、ほんのわずかに角度を変え、私に向けて不自然なほど鋭いアイコンタクトを送ってきたのだ。


 アゴを引く小さな動作と、その二つの瞳に宿る、冷酷なまでの計算の光。


(……え? ギエナ……何かしら、その目は……?)


 と、そこで。これまでの付き合いから、私は直感的に悟った。 


 彼がこの"晶潮館"の内部で、セプテニア公と二人きりで話し合っていた間に――何か極めて重大で、かつ表には出せないような真実を掴み取ったのだと。


 私は瞬時に思考を切り替え、彼の提案に乗ることにした。


「……そうね。よく考えてみたら、今日はミラクとのこともあったし、本当に疲れちゃったわ。……ザウル、私たちはどこか……今夜の宿を借りてもいいかしら?」


 私のその申し出に対し、ザウルはいつものにこやかな笑みを浮かべ、優雅に両手を広げてみせた。


「ああ、もちろんさ! どこでも好きな場所を使ってくれて構わないよ。"晶潮館"の西棟にある空き部屋ならどれでも自由に使ってくれていいし、街に出て高級ホテルの豪華なベッドを使っても誰も文句は言わないさ。何しろ、街の建物はみんな空っぽなんだからね!」


「そう……じゃあ、今夜は失礼するわ。また明日、ここで話の続きを――」


「ああ、お休み、可憐なミズ・グラスベル。良い夢を」


 ザウルと短い挨拶を交わすと、私たち特使団の一行は、再び、外へと足を踏み出した。


 ――カツン、カツン……。


 晶潮館の広大な敷地を抜け、街へと続く冷え切った大通りの石畳を進んでいく。


 天窓からの光も届かない無人の暗闇。十分に遠ざかったのを見計らい、私は足を止め、後ろを歩いていたギエナへと振り返った。


「……で、ギエナ。何か私に話があるんじゃないの?」


 私が単刀直入に問いかけると。


 ギエナはへらっと口元を弛ませ、いつものようにどこか飄々とした表情を作ってみせた。


 ――けれど。


 彼の目の奥には、一切の笑いも甘えも存在していなかった。


 そこにあったのは、かつて三十年前の大戦期において、数多の帝国連隊を冷酷な罠へと陥れ、全滅させてきた悪魔のような参謀――"砂の鬣"としての、冷たく研ぎ澄まされた獣の眼光そのものだった。


「……ええ、まあね。ちっとばかし……腹が立ちやしてね。連邦のお歴々に、目に物見せてやろうと思うんすわ」


「……目に物? それって……一体どういうこと?」


 ギエナの冷ややかな目つきに背筋を凍らせながら私が問い返すと、彼は噛んでいた干し肉をペッと横の水路へと吐き捨て、ニヤリと肉食獣のような獰猛な口角を吊り上げたのだった。


「ええ、そうでさぁ――"砂の鬣"。……どうしておじさんが昔、そう呼ばれていたのか……この高慢で誇り高きエリダヌス連邦のお歴々にも、身を以てじっくりと噛み締めてもらおうと思いやしてね」


 夜の静寂に溶け込む、深い声。


 沈みゆく水の都の裏側で、彼による裏の盤外戦が、いま静かに動き出そうとしていた。



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