334話「死にゆく街の夜半に」-後
「……いいんだよ、ノクティア。失われてしまってもね」
「……え……?」
あまりにも意外で、あまりにも冷淡な彼の返答に、私は思わず目を見開いて絶句した。
ザウルは頭上の広大な星空を見上げながら、どこまでも淡々と、透き通った声で言葉を紡ぎ続けた。
「永遠なんてものはね、この世のどこにも存在しないのさ。そんなことは、当然の事実だろう?」
彼はスッと一歩前に踏み出すと、高台を囲む石造りの柵へとその身を預け、眼下の暗闇を見つめた。
「……いつかはね、どんなに美しい都市だって朽ち果てるのさ。それが……今この瞬間か、ほんの少し未来かというだけの違いだよ。……そうだろう?」
冗談めかして、おどけたように肩をすくめてみせるザウル。
――けれど。
私は、彼のその気障で投げやりな態度の裏側に隠された、本心の存在に、はっきりと気が付いていたのだった。
「――嘘。あなた……嘘を吐いているわね」
私のその一言が静かに落ちた瞬間。
ザウルの顔からあのおどけた微笑みがピタリと消え去り、その表情が固く凍りついた。
「……どうして、そう思うんだい?」
「本当にこの街がどうなってもいいと割り切っているのなら……あなた自身は、もっと早くに逃げ出していたはずでしょう。でも……あなたはこの絶望的な戦況の中でも、ずっとこのフォーマルハウトに残り続けた」
「……それは、責任があるからさ。エリダヌス連邦総議長としての、当然の責任が――」
「――あるの? 本当に、そんなもの」
私は彼の言葉を真っ向から遮った。
「いくらお父様から引き継いだ役職だからって……そんな責任感だけで、自分自身の命を賭けるほどの折り合いが、そう簡単に付くわけがないでしょう!」
もしも私のこの推測が誤りであれば、一国の指導者に対する許しがたい無礼となる。
けれど、私は頬を叩かれる覚悟、彼との関係が致命的に悪化しても構わないという強い覚悟を以て、その言葉をハッキリと突きつけたのだ。
静寂が、高台を支配する。
やがて――ザウルは呆れたように眉を下げると、パチパチと瞬きをして目を見開いた。
「――驚いたな。……バレていたんだね、君には」
ザウルは苦笑いを浮かべると、再び眼下の街並みへと視線を戻した。
「……僕はね、この街で生まれ育ったんだよ。"人魚姫"アケルナルの加護を受けた、世界で一番美しくて誇り高い、水の都フォーマルハウトでね」
彼はそう語りながら、スーツの懐から、一輪の鮮烈な真っ赤な薔薇を取り出した。
それは、彼が先ほどの医務室でも差し出してきた、あの気障な薔薇の花。
それを愛おしそうに胸元に抱き締めながら、ザウルは自らの内なる本音をさらけ出すように言葉を続けた。
「正直に言うよ……君の言う通りだ。エリダヌス連邦がどうだとか、総議長としての責任だとか、そんな大義名分は僕には存在しない。……僕にあるのはね、たった一つの、泥臭い信念だけさ」
ザウルは手にしていた真っ赤な薔薇を、夜空へ向けて高々と掲げてみせた。
まるで、広大な月に透かすように。あるいは、この世のすべての不条理に対して、己の全存在を懸けて誓いを立てるかのように――。
「たとえ……一度この街がフォルナクス帝国の手に落ちようとも。……いつか必ず、僕はこの僕の手で、このフォーマルハウトを取り戻してみせる。……今回の遷都計画はね、いつか奪還するその日のために、この街を可能な限り破壊されずに無傷で残すための……僕なりの不器用な意地みたいなものなのさ!」
「……意地、ね」
彼の胸の奥底に秘められた強烈な信念に、私の心は強く揺さぶられていた。
この世界へ召喚されて以来、私は数々の王や騎士、戦士に指導者、そして"姫"たちの壮絶な戦いを目にしてきた。
けれど――不条理な“姫”でもなく、特別な力を持たないただの生身の人間でありながら、これほどまでの威風と不屈の覚悟を持って不条理な現実に抗おうとする人間は、決して多くなかった。
最期の瞬間まで戦い続けた、"不落の獅子"タラゼド・オレオーン。
無力を自覚しながらも、それを強さに変えてみせた、"棘無し"リゲル・ヴァント=ガーランド。
そんな彼らにも並ぶ、勇敢で、不器用で、どこまでも誇り高い一人の男。
私は彼に対する深い敬意と共に、言葉を紡ごうとした。
「ねえ、ザウル。あなた――」
私が次の言葉を口にしようとした、まさにその刹那だった。
――チュドォォォォォォォンッッッッ!!!!!
大気を切り裂く、常識外れの重厚な高周波の破裂音。
直後、ザウルが空へ高々と掲げていたあの真っ赤な薔薇の花が、遥か地平線の彼方から飛来した一筋の不気味な蒼白色の光条によって、一瞬にして木端微塵に撃ち抜かれ、粉々に四散したのだ。
「――っ!?」
ザウルの指先、わずか数センチの至近距離を掠め去っていった、圧倒的な大質量の魔力弾。
それが意味する絶望の正体――数十キロ彼方の国境沿いから放たれた、"スズの兵隊"アディラ・スタンニカによる、超長距離の死の狙撃。
「うそ……!? こんな数メートル先も見通せない漆黒の夜更けだというのに……正確に狙撃できるっていうの……!?」
私は背筋に冷たい走熱が駆け抜けるのを感じ、絶句した。
灯火管制が敷かれ、街全体が完全な暗闇に包まれているこの高台。肉眼では人間の一人すら視認できないはずのこの暗闇において、あの"スズの兵隊"の照準は、寸分の狂いもなく私たちの居場所を正確に捕捉していたのだ。
「……マズい、二発目が来る……!」
ザウルが叫び、私を庇うようにして腕を伸ばした瞬間。
シュアァァァァァァァッッッッ!!!!!
私たちの視界全体が、夜の暗闇を完璧に塗り潰すほどの、刺すような青白色の閃光によって完璧に埋め尽くされた。
地平線の彼方から解き放たれ、大気を融解させながら接近してくる、すべてを呑み込む超長距離の魔力の奔流。
回避不可能な絶対の死の光芒が、高台に立つ私とザウルを目掛けて、圧倒的な破壊力と共に怒涛の勢いで押し寄せるのだった――!




