329話「ノクティア VS.ミラク」-前
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ドガァァァァァァァァンッッッッ!!!!!
"晶潮館"の静謐を力任せに打ち砕くかのように、二つの高密度な魔力が真正面から激突し、長い回廊全体に鼓膜をへし折るほどの重低音となって轟いた。
天窓と透明な外壁を滑り落ちていた海流が、衝撃波の余波によって激しく泡立ち、歪んだ光の斑点を床の石畳の上へと無数に撒き散らす。
破砕された大理石の微粒子と、空間の歪みによって生じた青白い火花。その爆煙の真っただ中から、七筋の鋭い影が疾風のごとき速度で滑り出してきた。
ミラク・シュピーゲル=セプテニアが行使する固有の魔法――"七人の虚人"。
影のように黒い剣を構え、本体であるミラクと寸分違わぬ顔立ち、寸分違わぬ姿形をした七体の分身たちが、死角のない完璧な連携陣形を組みながら、一斉にノクティアの居場所目掛けて突進を開始する。
ミラクが抱く不条理――童話『白雪姫』の物語を触媒として行使できる魔法は、現時点においてこの"七人の虚人"のみである。
だが、その構造の単純さとは裏腹に、この術式が提示する戦術的脅威は、他のどのような攻撃魔法をも遥かに凌駕していた。
生み出された七体の分身体は、単なる幻影や実体のない影などではない。
その身には、本体であるミラクと同等の凄まじい身体能力と、強靭な肉体が与えられている。さらに一度解き放たれてしまえば、ミラク自身が意識して魔法を解除するか、あるいは敵の攻撃によって物理的に破砕されるまで、戦場に留まり続けて牙を剥くのだ。
つまり、この魔法が一度完成した瞬間、対峙する敵は、ミラク本人を含めた八人の"姫"という、正気の計算では到底太刀打ちできない、圧倒的な戦力を相手取らざるを得なくなるのである。
――しかし。
それほどの万能性を誇る魔法ではあるが、運用上においては極めて重大な制約が存在していた。
第一に、分身体は生成された瞬間に『敵を打ち倒せ』『前線を維持しろ』といった大まかな指示を入力することはできるものの、戦闘の最中において一挙手一投足までの細かい遠隔操作を行うことは不可能であるということ。
そして第二に――分身体の素の膂力こそ"姫"と同等であるものの、彼女たちが保持している魔力の総量は、ミラク本体から供給される分と、生成時に切り分けられた僅かな分しかないということだ。
もしも分身体たちに、個別の魔力による巨大な防護壁を展開させたり、剣筋に高密度の魔力を纏わせて威力を跳ね上げさせようとすれば、分身たちは瞬時に自らの内蔵魔力を使い果たしてしまう。
それを防ぐためには、ミラク本体が単独で八人分の莫大な魔力消費を常にリアルタイムで供給し続けなければならない。
そもそも、分身を七体生み出した時点で、ミラク自身の魔力残量はすでに大きく削られているのだ。
その状態からさらに八人分の魔力行使を同時に賄おうとすれば、ものの数秒で彼女の魔力は枯渇してしまう。
故に――ミラクはこれまでの戦いにおいて、分身たちに魔力を使わせず、あえて"姫"の純粋な身体能力のみによる肉弾戦を徹底させていた。
並の騎士や一般的な"姫"が相手であれば、それだけの力押しで十二分に圧殺できる。分身体が相手の注意と攻撃を強引に惹きつけている隙に、本体であるミラク自身が十分な魔力を練り上げ、一気に間合いを詰めて致命の一撃を叩き込めば、戦いは完結するはずだったのだ。
彼女はこれまで、数々の死線においてその戦法を信じ、勝利を重ねてきた。
――ズドォォォォンッ! ガギィィィィンッ!
分身の一体が振るった剣の太刀筋が、正面の石畳を数メートルにわたって力任せに叩き割り、巻き上がった大石の破片が弾丸のように周囲の壁を穿つ。
続いて二人目、三人目の分身が左右から交差するように跳躍し、空中で鋭い真空の刃を生み出しながらノクティアの立ち位置へと肉薄していく。
八人の"姫"という破格の脅威。
それは単に数が多いというだけでなく、一人一人が巨大な建造物を一撃で全壊させるほどの筋力を備えた化け物の群れに他ならなかった。
――ガギィィィィンッ! パリィィィンッッ!!
ミラクの分身たちが振るう聖剣の一撃が、前方から押し寄せる透明な硝子の兵の胴体をいとも易々と両断し、粉砕していく。
ノクティアが"シンデレラ城の舞踏会"によって無数に呼び出している硝子の兵士たち。
それらは数こそ多いものの、一個体の戦力においては、ミラクの分身の足元にも及ばない。剣を一度振るえば二体、三体と同時に破砕できる程度の脆弱な存在に過ぎなかった。
いくら"晶潮館"の回廊が広く作られているとはいえ、室内という密閉空間である以上、ノクティアが一瞬で展開できる兵士の数にも自ずと物理的な限界が存在する。
真っ向から分身体の質量をぶつけ、力任せに硝子の軍勢を叩き潰していけば、瞬く間にノクティア本体へと至る道が切り拓ける――そう、ミラクは確信していたのだ。
しかし、現実はミラクの計算通りには何一つ推移していなかった。
(――っ、攻め……込めない……っ!?)
七体の分身と己の身を巧みに連動させながら、ミラクの胸の奥を襲っていたのは、理不尽なまでの激しい焦燥感であった。
「――そこよ!」
「……っ!?」
不意に、硝子の兵士たちの壁の向こう側――数十メートル離れた遠間から、鋭い風切り音が響いた。
シュバァァァァァンッ!
大気を引き裂いて飛来したのは、長さ一メートルをも超える、研ぎ澄まされた重厚な硝子の杭であった。
ミラク本体の眉間を正確に狙って一直線に飛来したその突刺攻撃を、ミラクは間一髪のところで愛剣を閃かせ、斜め上方へと力任せに逸らしてみせた。
ドガァンッ!
逸らされた硝子の杭が、ミラクのすぐ横の石畳へと深く突き刺さり、派手な亀裂を広げる。
冷や汗がミラクの額を伝い落ちた。
いくら分身たちが硝子の兵士を叩き潰して前進しようとしても、ノクティアは絶え間なく新たな硝子兵を前線へと補給し、分身たちの足元や武器を狙って的確な障害物を生成してその機動力を殺してくる。
分身が力任せに振り下ろした聖剣の刃の直下に、コンマ数秒のタイミングで極小の硝子の傾斜を滑り込ませ、攻撃の威力を横方向へと受け流す。
足元に不意に現れる滑らかな硝子の薄膜が、分身たちの強烈な踏み込みを滑らせ、その完璧な体勢をわずかに崩しにかかる。
そして、分身たちの連携が途切れたコンマ数秒の隙を見逃さず、今のように本体であるミラクへ向けて牽制射撃を叩き込んでくるのだ。
分身の圧倒的な力で押し込んでいるはずなのに、ミラク自身の剣先は、ノクティアの緋色のドレスの裾にすら届く気配すらない。
ノクティアの保持する魔力が底を突かない限り、硝子の障害物と兵士たちは無限のように湧き出し続け、ミラクの進撃を阻止し続ける。
(……なんなのよ、これ……っ! ノクティア……この子、いつの間にこんなにも強くなっていたの……!?)
剣を強く握り締めながら、ミラクの脳裏に、かつてプレアデス聖教国で過ごした修行と葛藤の日々が蘇ってきた。
あのプレアデスの大聖堂において、己の物語の"根源"の力を開花させ、圧倒的な力を手に入れたはずだった。
けれど……どれほど強力な力を手に入れようとも、ミラクは教国の最高戦力の一人、"零落の聖女"エレクトリアに最後まで勝利することができなかった。
エレクトリアが誇る、何十年という歳月の中で研ぎ澄まされた本物の技術と戦術の重み。それは、ただ力を手に入れただけのミラクにとって、どうしても越えられない絶望の壁として立ちはだかり続けたのだ。
しかし――あの悪夢の夜。
教国の最上階、"祭儀場"において最高司教カリオペの目論見が破綻した、あの日。
異常な魔力の余波を聞きつけ、血相を変えてノクティアの元へと駆けつけたミラクがその目で目撃したのは、全身を血と傷で染め上げながらも膝をつかずに立ち続けるノクティアの姿と――その足元で打ち砕かれ、完全に倒れ伏していたあのエレクトリアの惨惨たる姿だったのだ。
ノクティアは、自分自身がどうしても届かなかった格上の化け物を、自らの手で打倒してみせたのだ。
力の絶対量において、自分とノクティアの間にそれほど極端な差が存在するはずはない。同じあちらの世界から落ちてきて、同じように"根源"の領域へと手を伸ばした者同士なのだから。
なのに――どうして自分と彼女の間に、これほどまでに残酷で決定的な強さの差が生まれてしまうのか。
その疑問の答えを、ミラクはいま、この激しい衝突の渦中において、痛烈なまでに理解させられていた。
(上手い……。単純に、戦闘の勘が違いすぎる……!)
魔力の枯渇を恐れるあまり、分身体を単なる肉弾戦の力押しでしか運用できていない自分に対し、ノクティアは自らが生成する硝子の特性……その透明度、硬度、形状変化の柔軟性、そして自身の魔力残量と消費効率を把握し、一滴の無駄もなく戦術へと落とし込んでいる。
かつてこの場所において、あの"アリス・リデル"アルゴラを相手に、背中を預けて共闘した時。
あの時のノクティアも確かに頼もしかったが、いま目の前で立ちふさがる彼女の戦闘センスは、あの頃とは比較にならないほど高く、精緻に研ぎ澄まされていた。
(……せめてもの救いは、ノクティアが防戦に徹してくれていることね……。もしも彼女が、私を本気で仕留めるつもりで全開の攻勢に出てきていたら――)
迫り来る硝子の杭の射撃を身を翻して回避しながら、ミラクは冷や汗と共にぞっとするような思考を巡らせていた。




