327話「折れた鉄心」
イザールの冷酷な宣告が、大会議場の静寂に重くのしかかる。
その重苦しい沈黙を真っ先に破り、声を荒げて抗議したのは、ここまで沈黙を保っていたザウルだった。
「ちょっと待ちなよ、御老体! 今さら僕の計画にケチをつけるなんて、そんなの無しだよぉ! この前、二人で膝を突き合わせて話した時は、実に建設的だと納得してくれていたじゃないか!」
大袈裟に両手を広げ、オーバーなジェスチャーで不満を露わにするザウル。
そんな気障な新議長に対し、イザールは深々と溜息を吐き出すと、鉤鼻の先をわずかに鳴らしてみせた。
「全く、相変わらず礼儀を知らん坊ちゃんだな。……別に、儂は君の組み上げた遷都計画の理念そのものを否定しておらんよ。しかしな、現実として、そこには無視できぬ致命的な大穴が二つ存在する」
イザール公は包帯の巻かれた右手をゆっくりと持ち上げ、シワの刻まれた太い指を二本、スッと立ててみせた。
「まず、一つ目だ」
立てた指のうち、一本を折り曲げながら、イザールは冷徹な眼光を私へと向けた。
「スタンニカの娘――"スズの兵隊"アディラを、一体如何とするつもりだね? 我が国を地平線の彼方から狙い撃つあの固定砲台の怪物が、グラスベル嬢たちがギルダリアの娘を撃破するまでの間、黙って指を咥えて見ていてはくれんだろうよ」
「……っ」
私は思わず息を呑み、問いかけた。
「……なら、先に"スズの兵隊"を撃破しに向かうのは……?」
「仮に、あの広域狙撃の砲台を先に叩き潰せたとして……その戦闘で摩耗し、消耗し切った戦力で、直後にあの"雪の女王"を打倒し得るというのなら、それもよかろう。だがな、敵の脅威はそれだけではないのだ」
イザールは重々しく首を振ると、立てていたもう一本の指を折ってみせた。
「二つ目――如何にして、あの狂った"かぐや姫"を退ける気だね?」
「――ッ!」
その名が放たれた瞬間。
私の隣に立っていたミラクの全身が、弾かれたように激しく跳ね上がった。背筋がピンと緊張し、息を吐く音すら止まる。
ミラクの異様な反応に構うことなく、イザール公は自らの苦い敗北の記憶を辿るように、重々しく言葉を紡ぎ続けた。
「相手は……儂にこれほどの惨めな傷を負わせ、ミラクや精鋭たる"掌"の部隊に壊滅的な損失を与えた、完全に理の外側に位置する化け物だ。それこそ――」
イザール公はそこで言葉を区切ると、ちらりと視線を横合い――大会議場の壁際、あらぬ方向へと逸らした。
「――我がセプテニア家の誇る古強者、"鉄壁"のバナビーすら、奴の不条理な爪足の前に無惨にも倒されたのだからな」
「……っ!!??」
私は驚愕のあまり、激しく目を見開いてミラクの方へと振り返った。
バナビー。彼はミラクの従者で、大戦期を生き残った英雄の一人だ。
いかなる不条理な攻撃をもその鏡の大盾で跳ね返してきたあの鉄壁の執事が、敗れ、倒れた。それは、少なくない衝撃を、私たちにもたらした。
見れば、ミラクは固く口を結び、前髪の影にその顔を深く伏せていた。
肩が激しく震えている。
いつもなら高らかに自らの矜持を叫び、気位高く振る舞うはずの彼女が、ただ沈黙の中に没している。
そして――彼女がゆっくりと顔を上げたその瞬間。
私は、息を殺してその両瞳を注視せざるを得なかった。
彼女の瞳の奥底。
そこには、かつての素直で誇り高かった彼女が決して持ち得なかった――ドロドロと狂暴に渦巻く、漆黒のドス黒い怒りと怨嗟の光が宿っていたのだ。
「……お祖父様。それなら……何の心配も要らないわ」
低く、地底から響くような冷たい声音。
「あのイカれ女とは……私がやるから」
「……ミラク。お前に、あの怪物が――」
「私がやるのっ!!!!」
イザール公の諫言を切り裂くような、ミラクの悲痛な絶叫。
「こればかりは……お祖父様に何を言われても、絶対に譲らないわ……! あの女の首は、この私が……私の手で直接叩き落とすの……っ!!」
ミラクはそこまで一気に吐き出すと、溢れ出そうになる涙と血の混じった情念を誤魔化すように翻身し、大会議場の重厚な扉を力任せに押し開けて、外の廊下へと飛び出して行ってしまった。
「ミラク……っ!」
私は思わず彼女の後を追って駆け出そうとした。
けれど、自分の足先を床に強く縫い付け、必死に踏み留まった。
今、私が安易に追いかけて行って、何ができるだろうか。あの子の傷ついた誇りを、軽々しく慰めることが、果たしてできるだろうか。
仲間の命を奪われ、側近を倒され、自らも屈辱の敗北を喫した彼女の絶望。
今、私がなすべきことは、ただの気休めの言葉をかけることではない。彼女と共に戦い、この絶望的な盤面を打開するための明確な勝利の算術を組み立てることなのだ――そう、私が決意し、向き直った瞬間。
ザウルがパンッと自らの手を叩き、明るい声音を張り上げた。
「……まあまあ、御老体。そもそも、僕らの遷都計画の最終的な動き出しのリミットは、まだ少し先じゃないかい? そこの"砂の鬣"や、可憐なメロフィちゃんだって、全身傷だらけでボロボロだ。……僕たちには今、戦力を立て直すための時間が必要だと思うよ」
ザウルのその言葉に、イザールは深々と溜息を吐き、静かにうなずいて見せた。
「……まあ、それもそうだな。怪我人を抱えたまま無謀な突撃を敢行したところで、犬死にするのが目に見えておる。……だが、帝国の包囲網の縮小速度と、現在の戦況から逆算すると……我々に遺された猶予は、長くて二日というところか」
「二日、ね」
ザウルは顎に手を当てて納得すると、クルリと身を翻し、私に向けてニカッと白い歯を見せて微笑みかけてきた。
「……と、いうわけだ、ミズ・グラスベル。我々はこれからの二日間、傷の治療と再編のために身動きを取ることができないからね。本気の作戦会議の続きは、明日以降に仕切り直しても遅くはないってことさ」
「……何が言いたいの、あなた?」
彼の軽薄な態度の裏にある意図を掴みかね、私が眉を寄せて問いかけると。
ザウルは肘を突き、気障な動作でウィンクしてみせた。
「少なくとも……君は今、難しい政治や戦術に頭を悩ませる必要のない、ただの可愛いお姫様ってことさ。……だから別に、傷ついて飛び出していった大切な友達の所に、今すぐ駆けつけてあげたって構わないんだよ?」
「……ッ」
私は胸の奥が温かくなるのと同時に、目の前の男に対する呆れ混じりの溜息を漏らした。
(この人……本当に、素直じゃないんだから……)
自分の冷徹な戦略や気障な態度で覆い隠しているけれど、このザウルという男は、傷ついたミラクのことや、私と彼女との絆のことを、彼なりに深く気遣ってくれていたのだ。
「……あなた、本当に素直じゃないのね。もう少し自分の気持ちをシャンと表現した方が、たぶん女の子にモテるわよ?」
私の皮肉混じりのアドバイスに対し、ザウルはサムズアップのポーズを作り、自慢げに胸を張ってみせた。
「ハハハ! そんな努力をしなくたって、僕という存在は生まれつき十分に魅力に溢れているからね!」
「……はいはい。勝手に言ってなさい」
私は彼の気障な自慢をフッと笑ってあしらうと、これ以上の言葉を交わすことなく、自らの緋色のドレスの裾を激しく翻した。
今、あの傷ついた少女に必要なのは、生ぬるい同情などではない。同じ"姫"の不条理を背負い、共に修羅場を駆け抜けてきた、私という一人の友達なのだから。
大会議場の扉をくぐり、晶潮館の薄暗い廊下へと飛び出す。
遠くで、ミラクの疾走していった小さな足音の残響が、冷たい石畳に空しく消え去ろうとしていた。
二日という、あまりにも短く、あまりにも尊い猶予。
その刻限の中で、私はあの子の暗く沈んだ心に寄り添い、共にあの最悪の兎を打ち倒すための光を見つけ出さなければならない。
私は足に力を込め、去っていった親友の背中を追って、静まり返った館の深奥へと強く駆け出すのだった。




