324話「フォーマルハウト遷都計画」
「……"フォーマルハウト遷都計画"……!?」
円卓に響き渡った、ザウルの力強い一言。私はその突拍子もないスケールの単語を、驚愕のあまりそのまま反芻するしかなかった。
「あはは! うんうん、いい反応だねぇ! そうさ、遷都計画さ! 帝国が喉から手が出るほどこの街を欲しがっているなら、いっそ綺麗サッパリあげちゃおうかと思ってさ!」
ザウルは両腕を大袈裟に広げ、まるで観客の拍手を要求する舞台俳優のように上機嫌で言い放った。
そのあまりにも軽々しい提案に対し、真っ先に噛み付いたのは、私のお供として随行してきた真面目すぎる彼女――セラエナだった。
「言語道断ッッ!!!」
セラエナは髪を激しく揺らし、勢いよく立ち上がった。その二つの瞳には、指導者の無責任な発言に対する猛烈な怒りが宿っている。
「この都市フォーマルハウトは、単なるエリダヌス連邦の政治の中心的拠点というだけではありません! 大陸東沿岸におけるあらゆる交易品と物資が集積する、各国の経済の要衝ですッ! ここをやすやすと敵に引き渡せば、連邦のみならず周辺諸国に及ぶ経済的被害はまさに計り知れず――」
「ああ、まったく君の言う通りだよ、勇敢な聖騎士のお嬢さん」
ザウルはセラエナの猛烈な抗議を、まるで春風をあしらうかのように優雅に受け流すと、組んだ指先を顎の下に当ててニヤリと微笑んだ。
「この港と都市の機能は、計り知れないほど膨大だ。……だけどね、それは決して他の場所で代替・交換が不可能というわけではない……だろう?」
ザウルのその流し目が向けられたのは――それまで腕を組み、深く椅子に身体を沈めて黙り込んでいた男、ギエナだった。
ギエナはしばらくの間、自身の眼光を研ぎ澄ませ、ザウルの気障な笑顔の奥底を見透かそうとするかのようにじっと睨み据えていた。
室内に張り詰める、二人の男の視線の静かな火花。
やがて、ギエナはフッと力なく鼻から息を吐き出すと、根負けしたように自らの太い肩を竦めてみせた。
「……やれやれ。そこの色ボケ坊ちゃんの言う通りでさぁね。……フォーマルハウトの持つ港湾と交易の機能ってやつぁ、しかるべき設備と水路さえ整えりゃあ、連邦内の別の港へまるごと移転させることも不可能じゃあねえ。……ってか、多分もう、その大移転の計画自体、裏で実動段階に入ってるんじゃねえですか?」
ギエナのその冷徹な見破りを聞いた瞬間、ザウルは白く綺麗な八重歯を覗かせてニカッと笑った。
「ああ、そうさ! 流石は音に聞こえた名参謀"砂の鬣"だね! 僕らが水面下で進めていた秘策に、もう気が付いているわけだ」
「そりゃあねぇ、ここまで来る途中の街の様子があんだけ空っぽなら、バカでも察しがつきやすぜ。……あの静まり返った廃墟のような街並みは、単なる戦火を恐れた避難なんかじゃあねえ。……市民や機能の大半はすでに、安全な新都へと逃げおおせている最中なんでしょうよ」
「――っ!?」
ギエナの口から明かされた、衝撃の事実。
私の頭の中で、これまで目にしてきたフォーマルハウトの惨状が、カチリと音を立てて一本の美しい線へと繋がった。
私たちが正門を潜った時に目にした、あの活気を失った気味の悪い静けさ。
船が一艘も通っていない濁った運河、戸締まりされた建造物、姿を消した人々。
それらはすべて、帝国軍の攻撃によって滅ぼされた惨劇の跡などではなかったのだ。
この国の市民たち、そして国家としての基本機能は、ザウルの冷徹かつ極秘の指揮によって、すでにフォーマルハウトを脱出し、別の安全な拠点――新都へと着実に避難を完了させつつあったのだ。
しかし、納得しかけた私に対して、セラエナは依然として神妙な表情を崩さず、腕を組んで冷ややかな指摘を投げかけた。
「……浅謀短慮。仮に市民を別の場所へ避難させ、一時的に新都とやらへ拠点を移したところで、何の意味がありましょうか。このフォーマルハウトが陥落すれば、勢いに乗った帝国軍はすぐさま追撃の刃を伸ばし、その新都とやらを再び包囲して踏みにじるだけに過ぎません」
「そうかい? 僕にはとても、敵がそんな余裕のある追撃に打って出られるとは思えないけれどね」
ザウルはティーカップを指先で弄びながら、自信に満ちちあふれた声で即座に反論してみせた。
「だって帝国の連中はさ、今まさに、このフォーマルハウトという最高の餌に誘われて、他国の救援部隊――君たちヴァルゴ王国や聖教国の全戦力をここで一網打尽にしようと、大網を広げている最中なんだから。彼らはこの街の包囲を途中で緩めることなんて絶対にできないはずさ」
「――ッ!!」
私は背筋に冷たい走熱が駆け抜けるのを感じ、目の前の気障な青年を二度見した。
(この人……そこまで見抜いていたの……!?)
そう……ギエナが丘の上で看破した敵の罠――救援部隊をおびき寄せて街ごと爆破・一網打尽にするという帝国の冷酷な思惑。
このザウラシス・アカルという男は、すでに敵のその裏の企みを看破していたのだ。
そして、援軍を一網打尽にするためにフォーマルハウトから目を離せないという、敵の心理的・戦術的な隙を逆手に取り、敵の視線をこの街へ釘付けにしている隙に、内側から市民と国家機能を秘密裏に逃がし続けていた。
ただの軽薄で気障な名家のお坊ちゃまなどでは決してない。
自国が滅びの危機に瀕した極限状態において、首都すらも最悪の毒餌として提示し、敵の目をごまかしながら民の命を救い出す、恐るべき胆力と智謀を秘めた本物の策謀家。
私は彼に対する浅はかな評価を完全に改め、その手腕に心からの驚嘆と戦慄を覚えていた。
しかし――。
私たちが彼の智謀に感服しかけたまさにその瞬間、ザウルの貌から余裕の笑みが消え、苦々しい影が落とされた。
「……で、だ。僕の描いたグランドデザインの途中までは、実に完璧に、上手くいっていたんだよ。……だけどねぇ、やっぱり相手も百戦錬磨の怪物だ。一筋縄ではいかないアクシデントが発生してしまってね」
ザウルは椅子の背もたれから身体を起こすと、静かな足取りでカタカタと窓辺へと歩み寄っていった。
「……悪いけれど、ヴァルゴ特使団の皆様。百聞に一見に如かずだ……こいつを直接、見てくれるかい?」
彼の招きに応じるようにして、私とギエナ、セラエナ、そしてミラクたちはゆっくりと席を立ち、窓辺へと歩み寄っていった。
大会議場の巨大な硝子窓の向こう側。
そこからは本来であれば、フォーマルハウトが誇る世界最大級の巨大な港湾設備と、幾重にも連なる美しい水平線が一望できるはずだった。
新都へと民を逃がすための、最後の船が出入りするための大航路。
――しかし。
硝子の向こう側に広がっていた光景を目にした瞬間、私たちの口から息が完全に漏れ出た。
「――これは……ッ!?」
そこに広がっていたのは、息をのむほどに絶望的な極寒の死界だった。
夕焼けの光を受けて眩しく輝くはずだったフォーマルハウトの広大な港湾。その海水という海水が、根底から見渡す限り完璧に凍てつき、見渡す限りの見事な白銀の氷原へと変貌せしめられていたのだ。
港に繋がれていた大型の木造船も、交易用の鉄骨船も、すべての船体が分厚い氷の刃によって身動きの取れない鎖のように固着され、微動だにすることすら叶わない。
波の一筋、水滴の一滴すらも凍結され、かつての生命の海は、完全に死滅した氷の墓場と化していた。
海を、港ごと一瞬にして永久凍土へと叩き落とすことのできる存在。そんな真似ができる者など――"姫"といえども、一人しか存在しない。
「……っ、アダーラ……ッ!!!」
私の喉から、激しい怒りと記憶のフラッシュバックと共に、その忌々しい名が漏れ出た。
"雪の女王"アダーラ。
忘れもしない。かつてガーランド公国のレグルス砦において、私たちヴァルゴ特使団の前に立ち塞がり、圧倒的な氷の魔法で私たちを壊滅寸前の絶望の淵へと叩き落とした、あの最悪の不条理。
「……そうさ。アダーラ・シリュウ=ギルダリア」
ザウルは氷漬けになった港湾を見下ろしながら、苦々しい声音で彼女の名を口にした。
「フォルナクス帝国の誇る最高戦力の一人であり、最悪の"姫"の一人が……自ら直々にこのフォーマルハウトの港へ乗り込んできて、我が国の最後の脱出路を力任せに凍りつかせて止めに来た、というわけさ」
ザウルの計画の唯一にして最大の誤算。
いくら彼が完璧な避難計画を組み、敵の目をフォーマルハウトへ釘付けにしようとも、民を新都へと運ぶための舟足を港ごと完全に凍結されてしまっては、脱出作戦そのものが根底から破綻してしまう。
ザウルはそこでゆっくりと振り返り、私とギエナ、セラエナの顔を一人一人、真剣な眼差しで見つめ返してきた。
先ほどまでの気障でチャラチャラとした態度は綺麗に消え去り、そこには一国の命運を背負う最高指導者としての、熱く、切実な光が宿っていた。
「だからさ……諸君。ヴァルゴ王国特使団の皆様、そして聖教騎士団の皆様に、僕から一つ、依頼をさせてほしいんだ」
ザウルは胸に優雅に右手を当て、静かに、けれど力強く告げた。
「あの"雪の女王"アダーラを打倒し、彼女の氷を打ち砕いて、このフォーマルハウト港を奪還してほしい。……この街に取り残された、残り半数の民を……新都へと無事に逃がし切るためにね――」
氷漬けになった死の港湾と、ザウルの切実な救援依頼。
そしてそれは、私とアダーラとの因縁が回収される瞬間が迫っていることの、証左でもあった――。




