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323話「諦念と秘策」


 晶潮館、大会議場。


 かつて大陸の命運を懸けた首脳会談が催されたこの大空間で、私たちは磨き抜かれた純白の珊瑚の円卓を囲むようにして腰を下ろしていた。


 並ぶのは、重傷を負ったギエナやメロフィ、私の側から離れる気配のないセラエナ、そして向かいには、厳しい顔をしたミラクが掛けている。


 供された高級な磁器のカップからは、淹れたての紅いお茶の芳醇な湯気がゆらゆらと立ち上っていたが、私たち特使団の誰一人として、それに手を付けようとする者はいなかった。


 室内を満たす重苦しい沈黙の中で、全員の冷ややかな視線は――ただ一人、上機嫌に鼻歌を口ずさみながらティースプーンを動かしている男、ザウラシス・アカルへと集中していた。


 カチャン、カチャン。


 ザウルは陶器の角砂糖入れから、幾つもの角砂糖をトングで摘み上げると、すでに十分に甘いはずの紅茶のカップの中へ、躊躇なく落とし込み続けていた。一つ、二つ、三つ……、五つ。


 スプーンでかき混ぜるたび、底に沈んだ大量の砂糖がジャリジャリと嫌な音を立てる。もはやそれは温かいお茶などではなく、完全に砂糖の飽和水溶液と化していた。それを気取った手つきで持ち上げながら、青年は楽しそうに言葉を吐き出した。


「いやあ、まさか僕も思わなかったんだよ。いつかは、とは思っていたけれどね。まさかこんなにも早く、父の跡を継いでこの国のトップに立つことになるなんてさ」


 あまりにも他人事のような、どこか軽薄さを孕んだ呟き。


 私は眉をひそめながら、彼が口にした単語を脳内で反芻した。


「……父? ってことは、あなた……」


「そうさ。前エリダヌス連邦最高議長、クルス・アカルの一人息子。確か、君たちの目の前で、父は悲劇的な最期を遂げたんだったね」


 ザウルのその淡々とした言葉を聞いた瞬間。


 私の脳裏に、あの悪夢の夜の情勢が鮮烈な残像となってフラッシュバックした。


 この大会議場で、諸国首脳の眼前において、"マッチ売りの少女"の手によって胸を無惨に引き裂かれ、血溜まりの中に倒れ伏した前議長の死に顔。世界へ向けた、あまりにも身勝手で凄惨な宣戦布告。


 私が息を呑んでいると、すぐ隣に座るギエナが、低くかすれた声音で私の耳元へと身を寄せてきた。


「……お嬢様、アカル家っていやぁ、このエリダヌス連邦における屈指の名門血統ですぜ。連邦が成立する遥か昔、この東沿岸に存在していた旧王族の流れをそのまま汲んでる、正真正銘の超大物のお坊ちゃまですわ」


 私はこの世界の複雑な家系や歴史の事情にはそこまで精通しているわけではない。けれど、目の前に座るこの気障な青年が、並の政治家ではなく連邦の正統なる最高権威の血を引く存在であることだけは理解できた。


(けれど……まさか、前議長の後を継いでこの危急の連邦を率いているのが……こんなにも軽薄で、呑気な男だなんて……)


 思わず、ハァと胸の奥から大きくて深い溜息が漏れ出た。


 一万の帝国軍に包囲され、超長距離砲撃を行える"姫"の脅威に晒されているこの絶体絶命の局面に置いて、呑気に紅茶に砂糖をぶち込んでいる指導者。この国は本当に大丈夫なのだろうかという猛烈な不安が頭をよぎる。


 すると、私の表情を目ざとく捉えたザウルが、気取った動作でカップを皿に戻し、眩しい笑顔を向けてきた。


「おいおい、ミズ・グラスベル。そんなに深くて大きな溜息を吐いていたら、せっかくの幸運が逃げていってしまうよ? 女の子はいつだって、満面の笑顔が一番可憐で美しいのさ」


「……ご生憎様。自分がどんな顔をするかくらい、私自身で決めるわ」


 私は彼の気障な言葉を冷たく一蹴すると、鋭い眼差しで彼の二つの瞳を射抜いた。


「そんな世間話よりも……さっき、正門の拡声器から私たちに呼びかけてきたのは、あなたよね?」


 正門の前で響き渡った、あのスピーカー越しのかすれた声。


 音質が悪くノイズが混ざっていたため確信は持てずにいたが、間近でこうして声を聞けば、間違いない。あの調子の良い開門の指示を出したのは、彼だ。


「ははは! そうだよ、僕さ。いやあ、まさか滅びゆく我が国に向けて、こんなにも頼もしい他国の援軍が駆けつけてくれるなんて夢にも思っていなかったからね。門を開けるのが少しばかり遅くなってしまったこと、重ねて謝罪させておくれ」


 彼のあまりにもあっさりとした言い回しに対し、私は胸の奥でフツフツと湧き上がる憤りを抑えきれなくなり、机を軽く叩いて立ち上がりかけた。


「……滅びゆく、だなんて。そんな簡単に自国の未来を諦めてしまうなんてダメよ! まだ、諦めずに私たちが力を合わせて戦えば――」



「――戦えば、一体どうなるというんだい? ミズ・グラスベル」



 ザウルは肩をすくめ、紅茶のカップをゆっくりと回しながら、私の言葉を冷たく静かなトーンで遮った。


「君もここまで来る途中で目にしただろう? このフォーマルハウトの惨状を。……あのアケルナル――"人魚姫"を帝国に強奪された後、完全に腑抜けてしまった人魚兵たちを除いて、純粋な人間の兵士だけで急拵えで集めた我が国の防衛戦力は……精々が五千というところかな」


「五千……」


「そう、五千だ。包囲している帝国軍の半数にも届かない。しかも彼らは急遽街から兵器を持たせて駆り集めた市民や警備兵が中心の、素人同然の部隊さ。装備の質も、帝国の用いる最新鋭の火器の前にはまったく歯が立たない。……客観的な軍事データとして、勝負にすらなっていないのさ」


 ザウルの口から突きつけられた、残酷なまでの戦力の格差。


 私は反論の言葉を喉に詰まらせ、ゆっくりと顔を伏せざるを得なかった。


 脳裏に、かつてこの晶潮館の最奥に座していたアケルナルが、"マッチ売りの少女"によって連れ去られた、あの日の記憶が痛烈な毒となって蘇ってくる。


 あの日、私とミラクがアルゴラとの闘いをもう少し早く終わらせることができていたなら。


 私たちがもう少し強く、不条理な力を完璧に使いこなせていたなら、アケルナルが帝国の手に渡るのを防ぐことができたのかもしれない。


 連邦の防衛の要であり、無尽蔵の力を誇っていた"人魚姫"の喪失。


 それが、巡り巡って今、このエリダヌス連邦を滅亡の淵へと叩き落とそうとしているのだ。


(私の……私たちの無力が……この国を滅ぼそうとしているの……?)


 深い後悔と苛立ちが、私の胸を激しく押し潰す。


 誰一人救えず、ただ歴史の激流に流されているだけの自分自身の無力さに、唇を血が滲むほど強く噛み締めた。


 しかし――私はここで立ち止まるわけにはいかなかった。


 胸の奥の後悔を強引に押し殺すと、私は視線を上げ、正面に座る気障な新議長に向けて、掠れた声で問いかけた。


「……じゃあ、あなたは……この国がこのまま帝国に踏みにじられて滅んでも仕方がないって、そう言いたいの……?」


 自国を見捨てるかのような冷徹な現状分析を並べ立てた男に対する、最後の問いかけ。


 それに、彼は――。



「――フッ、ハハハハハ!」



 私の悲痛な問いを聞いたザウルは、先ほどまでの気障で呑気な表情をフッと消し去ると、まるで別人のような力強い笑みをその顔に浮かべてみせた。


「馬鹿を言わないでおくれよ、ミズ・グラスベル」


 ザウルは肘を円卓につき、組んだ指先の上に顎を乗せると、その輝くような二つの瞳で私を真っ直ぐに見据えた。



「僕は……この僕が愛するこの美しいエリダヌス連邦を、あんな無風流で無骨な帝国の連中なんかにくれてやる気なんて……これっぽっちもないさ!」



「……え……!?」


 丸切り反転した、彼の強烈な宣言。


 さっきまで自国の軍勢を勝ち目がないと切って捨てていた男の口から飛び出した、不敵な言葉。


 私だけでなく、横で聞いていたセラエナやギエナまでもが、思わず驚愕のあまり目を見開いて絶句した。


 私たちのその呆気にとられた表情を見届けたザウルは、ニヤリと満足そうに八重歯を覗かせると、手元のかき混ぜ終えた濃密な紅茶を一気に飲み干した。


 そして、陶器のカップをテーブルへと重々しく叩きつけると、全員の顔を見回しながら、威風堂々とした声音で言い放ったのだ。




「さあ! 頼もしい役者たちも全員揃ったことだしさ。……始めようじゃないか、この僕が命を懸けて組み上げた――"フォーマルハウト遷都計画"の話をさ!」





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