320話「勇躍する"赤"」
迫り来る二度目の死の足音に息を潜めていたその時、私たちのすぐ背後――固く閉ざされていたはずのフォーマルハウトの正門から、鋼鉄の機構が激しく軋みを上げるような凄まじい駆動音が響き渡った。
「……ッ!? 門を開けるんですかい……、このタイミングで……!?」
床に血を吐き、膝をついていたギエナが、信じられないというように絶え絶えの息で吐捨てる。
二発目の流星が空を切り裂き、今まさに落下してこようとしているこの土壇場。今ここで正門を開けば、開口部から城内へ向けて破壊の爆風がそのまま突き抜け、連邦の防衛網は壊滅的な打撃を受ける。正気の指揮官であれば、絶対に選び得ない自殺行為。
だが、そのギエナの疑念に対する答えは、意外な形で、頭上から唐突に叩きつけられた。
『――よくぞ参られた、ヴァルゴ王国特使団の諸君! 返答が遅くなったこと、深くお詫び申し上げるッ!』
城門の上部、防衛障壁の隙間に強引に取り付けられた無骨な金属製の装置――あちらの世界でいうスピーカーのような拡声機械から、芝居がかった、張りのある男の声音が響き渡った。この世界本来の技術体系からはやや浮いた、無骨で頑丈なフォルナクス帝国製の機械。
『速やかに門を開放し、諸君らを城内へと迎え入れる! ――が、空から迫るその一発だけはどうにもならん! どうかそちらで防ぎ切ってくれたまえッ!』
「……っ、勝手ばかり言ってくれますね……!」
城門の直下で構えていたセラエナが、苦々しげに牙を剥き、足元の大理石を激しく踏み鳴らした。
空から迫る二発目の流星。
落ちてくれば、門を開け放とうとしているフォーマルハウトの開口部もろとも、私たちが全滅する。
「ですが――このセラエナ・レイク=オーディット、退く気など毛頭ありません!」
セラエナはその黒髪を激しく揺らし、ほんの少しだけそのしなやかな両脚に力を溜めた。
ドッッッ!!
セラエナの両足から爆発的な魔力が噴出し、大理石の床が丸く破砕された。
彼女の華奢な体が、まるで弓から放たれた一筋の矢となって、垂直な上空へ向けて一直線に跳躍する。
両足に凝縮された、彼女の全開の魔力の波動。
それは彼女が背負う『白鳥の湖』の不条理な配役と交ざり合い、虚空の何もない大気から、ドロドロとした暗褐色の泥水の濁流を爆発的に生み出していった。
濁流は旋風を巻き起こしながら彼女の全身を包み込み、螺旋を描いて研ぎ澄まされていく。
可憐なバレリーナの如き美しい旋転。
けれど、その身に纏うのは清廉な白鳥の羽などではなく、すべてを呑み込み、泥濘へと引きずり落とす悪夢の濁流。それはまさに、天を穿つ巨大な"泥の槍"そのものであった。
「――"黒湖泥濘・旋脚尖槍"ッッ!!!!」
セラエナの甲高い一閃の叫びと共に、泥の槍と化した彼女の飛び蹴りが、空から大気を灼きつつ落ちてきた二度目の流星の砲撃と、真っ正面から激突した。
ドドォォォォォォォンッッッッ!!!!!
高周波の破砕音と、泥水が蒸発する猛烈な水蒸気の爆発が空中で巻き起こる。
セラエナの渾身の必殺技。それは一時的に流星の勢いを押し留め、虚空で凄まじい魔力の拮抗を生み出してみせた。
――しかし。
「……ダメ! 出力が、違いすぎる……っ!」
馬車の陰からその光景を見上げる私の網膜に、冷酷な戦力差の数値が突きつけられる。
地平線の彼方から放たれた流星の威力は、一人の"姫"が身を挺して受け止められる許容量を遥かに超越していた。
セラエナの身に纏う泥水の濁流が、光の熱量によってみるみるうちに削り取られ、干上がっていく。彼女のしなやかな脚部から、メリメリと骨の軋む嫌な音が広場にまで響いてきた。
「ええい、このイノシシ娘がッ! 真っ向からぶつかっちゃ勝てるもんも勝てやせんよッ!」
下で見ていたギエナが叫び、血の泡を吹きながら加勢しようと強引に立ち上がろうとした。
けれど、重傷を負った彼の両足にはまるで力が入っておらず、膝から崩れ落ちて再び惨めに床へと伏してしまう。
(――まずい。このままじゃ、セラエナが押し切られて蒸発する……っ!)
背中を冷や汗が伝い落ちる。
周囲に控える聖教騎士たちも必死に防護魔法を上空へ向けて展開しているが、そんな脆弱な魔法ではこの流星の前に、何の足しにもならない。
そして、日中の私は、そんな脆弱な魔法すら使えない。
明らかな、決定的な戦力不足。
せめてここに、あの一騎当千の力を誇るカノンがいてくれたなら――。
私が、絶望的な焦燥の中でそう願った、まさにその瞬間だった。
「――警告。みんな、伏せてください……ッ!」
正門の向こう側、開き始めた幾何学模様の巨大な隙間から。
掠れた、けれどどこか機械的で透き通った少女の声が、ひそやかに響き渡った。
シュアァァァァァッッッ!!
次の瞬間、開きかけた城門の暗がりから、鮮烈な朱の光芒をその尾に引きながら、一筋の新たな流星が疾風のごとく飛び出してきた。
「え……!?」
思わず、その光の正体を捉えた目を大きく見開く。
そこにいたのは――真っ赤に燃え盛る"靴"をその両足に履き、小動物のように可憐な身体を虚空へと躍進させた一人の少女――メロフィだった。
赤い靴から、禍々しくも息を呑むほどに美しい朱色の魔力が爆発的に解き放たれる。
彼女はまるで、重力すらも置き去りにするかのような軽やかさで、空中へと飛び上がる。
「――っ、メロフィ……っ!?」
メロフィは空中でクルリと可憐な円を描くように身を翻すと、セラエナの泥の槍と並び立つようにして、その爪先を空からの流星へと真っ直ぐに向けた。
"赤い靴"と、朱色の幾何学の粒子が、彼女の身体を中心に渦を巻き、大気を灼き焦がす。
「――"朱星墜天・舞踏葬"!!!!」
ドドドドドォォォォォンッッッッ!!!!!
メロフィの放った朱色の靴の旋舞と、セラエナの泥の尖槍。
二人の"姫"が命を懸けて放った二重の交差攻撃が、空から落ちてくる流星の真っ芯へと、寸分の狂いもなく同時に激突した。
朱色の不条理な幾何学と、暗褐色の濁流。
流星の圧倒的な推進力と熱量が、二人の合体攻撃の前に激しく拮抗し、虚空でバチバチと不気味な青白い火花を散らし始めた。
「っ! 呉越同舟、誰か知りませんが、押し戻しますよ!」
「……了解、出し惜しみは、しません……!」
セラエナの気迫の叫びと、メロフィの感情を押し殺した必死の呟き。
二人の靴と足先から放たれた衝撃波が、ついに流星の威力を上回る。
空中で、流星の光の柱が力任せに横方向へと弾き飛ばされた。
大きく軌道を逸らされた流星は、フォーマルハウトの城壁の外側――はるか遠くの荒野の地表へと斜めに突刺さり、地響きと共に巨大なキノコ雲と爆炎を吹き上げさせた。
空中で技を放ち切ったセラエナとメロフィの二人の身体が、重力に従って地面へと落下してくる。
セラエナはどうにか受身を取って着地したものの、膝をついて激しく肩を上下させていた。
そしてメロフィは――魔法の反動により、着地と同時に口から鮮血を吐き出し、そのまま糸の切れた人形のように倒れ伏してしまった。
「メロフィッ!」
「……ゴホッ、……大丈夫、生存……」
倒れたメロフィの元へ、一人の聖教騎士が駆け寄り、彼女の華奢な身体を抱き起こした。
そして――。
ギギギギギギ、ガコンッ!
空からの脅威が去ったその瞬間、フォーマルハウトの巨大な鋼鉄の正門が、ついに完璧に開放され、あの水上都市の街並みが私たちの視界の全容へと広がった。
「よしッ! 門が開いたぞッ! 全員、城内へなだれ込めぇぇぇッ!」
ギエナが痛みに耐えながら、聖教騎士たちに向けて叫んだ。
二度の超長距離砲撃を、ギエナ、セラエナ、そしてメロフィの命懸けの連携によってどうにか防ぎ切り、私たちはついに、目的の地――フォーマルハウトの内部へと足を踏み入れる権利を掴み取ったのだった。




