319話「星を墜として」
――しかし。
フォーマルハウトの大門が、重々しい開放の音を立てることは、ついぞなかった。
「……!? なぜ……なぜ開かないのですか……ッ!?」
セラエナが、信じられないというように城壁の上を見上げて困惑の声を張り上げた。
彼女の背後に並ぶ騎士たちの間にも、動揺と焦燥の波線がざわめきとなって広がっていく。
馬車の陰からその光景を見つめながら、私は自らの思考を回転させていた。
(……門が開かない理由。……そんなの、答えは一つしかないわ)
城内の守備隊にとって、今この瞬間に門を開くことが、重大なリスクを孕んでいるからだ。
それは理解できる。理解できた上で――それでも、おかしい。
私たちの背後――包囲網を敷く帝国兵たちは、私たちの突入に呼応するようにして、正門前の広場から意図的に一定の距離を取って後退している。彼らの狙いはあくまで私たち他国の援軍を城内へと招き入れ、一網打尽にすることのはずだ。
帝国側にとっても、今ここで連邦が素直に開門して私たちを招き入れてくれた方が、自らの罠を完成させる上で圧倒的に都合が良いはずなのだ。
(敵も味方も……今、この瞬間に正門が開くことを望んでいる……。なのに、どうしてエリダヌスの守備隊は城門を固く閉ざしたまま、息を潜めているというの……? 彼らは一体、何をそれほどまでに恐れているの――?)
思考が深淵へと至りかけた、まさにその瞬間だった。
「――っ、魔力反応……!? 異常なまでの極大の密度ですッ!!!」
最初にその異変を察知したのは、身構えたまま城門の直下に立っていたセラエナだった。
彼女の金縛りに遭ったかのような悲鳴が、広場の静寂を切り裂く。
次いで、私の皮膚の毛穴が一斉に開き、猛烈な熱が背筋を駆け抜けた。
それは、私の頭上の空間……あるいは、はるか彼方の地平線の向こう側から迫りつつある、常識の枠組みを根底から吹き飛ばすような、破滅すら思わせる規模の魔力だった。
「まさか……!? 私たちを直接狙って……砲撃してきているの!? でも、あんな離れた距離からなんて……!」
「挟山超海! できるはずがありませんっ! あんな地平線の彼方から、ピンポイントで私たちを狙い撃つなど……!」
セラエナの絶叫。
そう……私たちが突破してきた帝国の正面陣地よりも、さらに遥か遥か彼方。肉眼では地平線の影に隠れて視認することすら叶わない遠方の超長距離から、何かがこちらへ向けて解放されたのだ。
黄昏の茜空が、一瞬にして刺すような不気味な蒼白色へと塗り替えられていく。
見上げれば――遥か上空の雲を切り裂き、大気を物理的に融解させながら、一筋の巨大な"流星"が、猛烈な大気圏突入音と共に私たちの頭上目掛けて一直線に落破してくるのが見えた。
慮外の、超長距離からの一撃。
回避不可能な落下の速度。私とセラエナは、その美しくも圧倒的な死の光芒に網膜を奪われ、金縛りに遭ったかのようにその場に硬直するしかなかった――。
「――しっかりなせえ! お二人さんっ!!!!」
閃光が私たちの頭上を完全に呑み込もうとした、まさにコンマ一秒の極限の刹那。
ズドォォォォォォォンッッッッ!!!!!
私のすぐ傍らから、咆哮と共に飛び出していった一筋の巨躯があった。
そこにいたのは――人の姿を完全に捨て去り、硝子の鬣を靡かせる獅子へと変貌した、ギエナの姿だった。
ギエナは両足の大地を爆砕しながら上空へと躍進し、自らの強靭な前脚と前爪を全開に叩きつけて、上空から降り注ぐ流星の如き光の砲撃へと、真っ正面から突っこんでいった。
ガガガガガガギィィィィンッッッッ!!!!!!
大気が激しく圧縮され、耳を聾するほどの高周波の破砕音が広場全体に響き渡る。
ギエナの渾身の爪撃。それは、物理法則をへし折るような凄まじい力を帯び、落破してくる光の柱のベクトルを、ほんの数度――わずかな角度だけ斜め下へと力任せに逸らしてみせた。
直後。
ドガァァァァァァァァンッッッッ!!!!!
逸らされた光の柱が、正門前広場の大理石の床へと突き刺さり、大爆発を起こした。
凄まじい衝撃波と爆風が吹き荒れ、周囲を囲む騎士たちが派手に吹き飛ばされる。巨大な煙と粉塵が立ち込め、地面には直径十数メートルにも及ぶ巨大な深坑が穿たれていた。
もしも、ギエナがその肉体を賭して軌道を逸らしていなければ――今頃、私やセラエナ、そして補給馬車は、その中心部で跡形もなく蒸発していたはずだった。
しかし。
その一撃を逸らした代償は、あまりにも、あまりにも大きすぎた。
パリィィィィィンッ……!
乾いた、虚しいガラスの割れる音が響く。
流星の砲撃の圧倒的な熱量と質量に耐えかね、ギエナの全身を包んでいた獅子の魔力が、一瞬で粉砕されたのだ。
変身を強制解除され、生身の姿へと戻されたギエナの体が、受け止めきれなかった衝撃の余波によって弾丸のように吹き飛ばされ、激しく土煙を上げて大理石の床の上をゴロゴロと無惨に転がっていった。
「……ギエナ!」
私は喉が裂けんばかりの悲鳴を上げ、血溜まりの中に突伏した彼の方へと、駆け寄ろうとした。
「来ちゃいけねえ……! お嬢様っ!!!!」
地面に倒れ伏し、ドロドロと血を吐き捨てながら、ギエナはどうにか震える腕で上体を起こし、私に向けて鋭く一喝した。
「早く……! どっか、物陰にお隠れなせえ……! お前さんがその身を晒すような真似をしたら……俺が身を挺した意味がなくなっちまう……ッ!」
「……っ!」
私は唇を強く噛み締め、彼の言葉に従い、素早く頑丈な補給馬車の足元へと身体を滑り込ませ、その影に身を隠した。
馬車の影にて、荒くなる息を吐きながら直感で理解する。
(……分かったわ。……これが、正門が開かない本当の理由だったのね……!)
フォーマルハウトの守備隊は、い意地悪で門を開けなかったのではない。
あんな、地平線の彼方から正確無比に飛来する超長距離の狙撃砲撃が存在する状況で城門を開ければ――開いた瞬間に、その開口部目掛けてあの流星の砲撃が叩き込まれ、城門もろとも内部を撃ち抜かれてしまうからだ。
今まで見たことも、想定したこともない、元の世界の最新技術すら超越したかのような凄まじいな超遠距離攻撃。
「……っ、なるほどな。……削れる分は、外で事前に削っといた方が得ってわけか……」
ギエナが掠れた声で呪詛を吐き捨てながら、膝を激しく震わせ、どうにか自らの足で立ち上がった。
彼の衣服は派手に引き裂かれ、肩から腹部にかけて生々しい熱傷と打撲の痕が刻まれている。致命傷でこそないものの、全身の骨が軋み、激しい内出血を起こしているのは一目瞭然だった。
適切な手当てや休養もなしに、このまま戦闘を継続することなど、どう見ても不可能な重傷。
あの一発を逸らすだけで、ギエナの体力が完璧に削り取られてしまったのだ。
もう、二発目の流星が飛来した時、それを受け止め、防ぎ切れる者はセラエナ一人。しかし、私が今戦えない以上、彼女まで倒れれば、いよいよ対"姫"戦闘が可能な戦力を失うことになってしまう。
(どうする……!? 次が来たら、私たちは……!)
――ヒュゥゥゥゥゥゥゥ……。
嫌な、空間を切り裂く高周波の音が、再び遥か上空の雲の彼方から響き始めていた。
二発目が、来る。
地平線の彼方に潜む未知の砲兵が、確実に私たちの命を刈り取るために、次なる流星の充填を完了させたのだ。
「……意気軒昂! どこからでもかかってきなさい!!」
正面で、セラエナが鋭い叫び声を張り上げた。
彼女は愛剣を両手で固く握り締め、後ろにひっつめた髪を激しく揺らしながら、空から迫り来る目に見えぬ死の予兆に対して、真っ正面から剣を構えて立ちはだかった。
聖教騎士たちもまた、重傷を負ったギエナを庇うようにして隊列を再編し、全員で防護の魔法を展開しようと必死に武具を鳴らす。
けれど――私の目は、冷酷な戦力差の現実を完璧に測定していた。
セラエナは、白鳥の如きしなやかさと圧倒的な突撃力を誇る、近から中距離の局地戦において真価を発揮する剣士だ。
あんな、視界の外から放たれる、極大の遠距離攻撃に対し、正面から対抗できる魔法など、彼女の物語の中には最初から存在しない。
強がりを叫ぶセラエナの、白く透き通った頬。
そこを、一筋の冷や汗がツッと伝い落ち、顎から地面へと滴り落ちていくのを、私は馬車の陰から息を潜めて見つめることしかできなかった。
――死の落雷が、狙いを定める。




