318話「網を破って」
西の空がわずかに橙色から赤紫へと移ろい始め、昼と夜の境界がゆるやかに揺らぎ始める。
私たちが作戦会議をした丘の陰、岩場の全体を見渡せる場所に立ち、ギエナは手際よく教国部隊の隊列を再編していた。歴戦の騎士である彼の動きには、一切の無駄がない。
「いいかい、白鳥のお嬢さん。あんたの仕事は、この一千の騎士たちを過不足なく、一糸乱れぬ縦隊にまとめることですぜ。ただし――絶対に無駄な魔力は使っちゃらねえ」
「……無駄な魔力を使うな、とはどういうことですか? 正面突破を試みるならば、最大限の防御を固めるのが常道でしょう!」
後ろに纏めた髪を揺らし、食ってかかるセラエナ。
そんな彼女に対し、ギエナは自分の鼻を指先でトントンと叩きながら、呆れたように苦笑いを浮かべた。
「だから言ったろ、半可通だって。あのな、敵さんは俺たちをあの壁の中に迎え入れてぇ――つまり、赤絨毯敷いて待ってんですぜ。そんなところに全力の防壁で突っ込む必要は無えんですよ」
「あ……」
「ここは、必死の突撃を演じる場面なんですぜ。向こうは俺たちを騙すために、必死に防いでるフリをしつつ通してくれるんだ、こっちも必死に突破したフリをしてやるのが、戦場での最低限のマナーってやつでさぁ」
ギエナの放つ戦術論に、セラエナは一瞬悔しそうに唇を噛んだものの、反論の言葉を見つけられず、黙って彼の指示に従って部隊の陣形を再構築し始めた。
そして、ギエナの視線は次に、私へと向けられた。
「んでもって、お嬢様。あんたはここでおとなしく、箱入りのお姫様になっててもらいやすぜ」
ギエナが指差したのは、聖教騎士団が荷物の運搬用として引き曳いていた、補給用の四輪馬車だった。
その側面と屋根には、敵の弓矢や魔法の余波を跳ね返すための分厚い鉄板が何重にも補強されている。
「え……? 私は、馬車の中に隠れるの?」
「なあに言ってんですか。日中のあんたは、魔法の使えないただの可憐なお嬢様でしょうよ。前線で剣を振り回して、無駄なケガでもされちゃ困るんです。あんたの仕事は、まだ後に残ってんですから」
「……そうね、助かるわ、ギエナ」
私はその提案を二つ返事で受け入れ、補給馬車の頑丈な鉄扉をくぐって内部へと腰を下ろした。
日中、物語の力を借りられない私にとって、戦場で最も愚かな行為は足手まといになることだ。ギエナの配慮は、私を守りつつ、夜の決戦に向けて私の体力を百パーセント温存するための、極めて合理的な案だった。
鉄扉が重々しい音を立てて閉じられ、外の光が遮られる。
馬車の小窓からは、僅かに外の様子が覗けるだけだ。けれど、暗闇の中で膝を抱える私の心には、不思議と恐怖はなかった。
"砂の鬣"ギエナ・アルファルドが全権を握っているという事実が、何よりの安心感を与えてくれていた。
鉄扉の向こう側から、ギエナがセラエナたちに向け、最後の指示を与える低い声が聞こえてきた。
「よし、白鳥のお嬢さん。突入前に、三つばかり仕込みをしますぜ。耳の穴かっぽじってよく聞きなせぇ」
「……何でしょうか。手短にお願いします」
「まず一つ目。全戦力で正門になだれ込むと思わず、この一千の兵のうち、足の早い隠密工作の得意な奴らを百人ばかり選んで、この丘の岩場にそのまま残してくだせぇ」
「な……!? 戦力を自ら削るのですか!? ただでさえ一万の敵を相手にしているというのに!」
「全滅を免れるための保険でさあ。敵さんにゃ、『援軍はみーんな閉じ込められた』と錯覚させていたほうがいい。外に伏兵を残しておけば、後から来た他の救援部隊との連絡役にもなるし、いざって時に外から敵の背中を突く貴重な一手になる」
セラエナが、息をのむ気配が伝わってくる。ギエナは、目先の突入だけでなく、その後に展開されるであろう混戦全体を見通していた。
「二つ目だ。連中が城内になだれ込んだ俺たちを広域爆薬で街ごと吹き飛ばす気なら……城門を閉じられて袋のネズミにされるのが一番厄介です。だけども、正門に下手に細工をして、敵に気づかれちゃ意味がねえ」
「ならば、どうやって退路を確保するというのですか……?」
「逃げ道は正門だけじゃねえだろ。フォーマルハウトは水の都だ。街の側面に回れば、かつて交易で使われていた廃水路や、極小の通用門が幾つも存在する。突破のどさくさに紛れて、足の速い騎士を二、三人脇へ走らせなせえ。敵の手が回っていない水上門に配備して、裏口を一つ確保させておくんでさぁ」
正門に固執せず、水上都市特有の構造を利用して裏の退路を密かに切り拓く。
それは、私やセラエナのような泰平の世から来た者ではそうそう思いつかない、戦場を駆け抜けてきた者ならではの柔軟な思考だった。
「そして最後の三つ目だ。正門を通り抜ける間際、敵の正面陣地に設置されている一番デカい野砲や弾薬庫の足元へ、幾つか長めの導火線で火薬を仕込んでいきなせぇ」
「敵の弾薬庫に……火薬を?」
「ああ。やっこさんが息巻いて、砲をぶっ放そうとした瞬間に、自分たちの足元の弾薬庫が先に吹き飛ぶ算段でさぁ。これで敵の砲兵陣地は一時的に混乱に陥る。爆破のタイミングを数時間ばかり遅らせる程度でしょうが、いい嫌がらせでしょう?」
「……なるほど、凄まじいまでの悪知恵……いえ、見事な戦術です。すぐに手配いたします!」
セラエナの声に、かつての反発の色はすっかり消え去っていた。
罠を逆手に取り、相手の台本通りに踊ってみせながら、その足元に静かに毒針を刺し込んでいく。その手つきは、驚くほどに手慣れていた。
「よし、仕込みの準備は整いやしたね。……よっしゃ、行くぜ、お前ら! 派手に決死行を演じてやりやしょう!」
ゴォォォォォォ……ッ!
馬車の外で、一千の聖教騎士たちが一斉に武具を鳴らす音が響き渡った。
地響きのような馬砲の足音が、夕暮れ前の荒野に激しく轟く。
私を乗せた補給馬車は、円陣を組んだ聖教騎士たちの防護陣形の中央に配置され、猛烈な速度で正門目掛けて突進を開始した。
馬車の小窓から外を覗くと、夕闇が迫る荒野の向こう側に、びっしりと並んだ帝国軍の、黒黒とした陣形が急速に迫ってくるのが見えた。
「突撃ぃぃぃぃッッ!! 聖教国の名において、この卑劣なる包囲を打ち破るのだぁぁぁッッ!!」
先頭に立つセラエナが、愛用の剣を天に掲げ、叫び声を張り上げる。
彼女の号令に従い、聖教騎士たちが過剰なほどの叫び声を上げ、一列の楔形陣形となって敵の正面へと突っ込んでいく。
――ズドンッ! ズドンッ!
敵の陣地から、砲台の咆哮が響き渡り、私たちの周囲の地面に派手な土煙が巻き上がった。
小銃の激しい連続発射音が、パパパパンッ! と乾いた音を立てて大気を震わせる。
一見すれば、凄まじい弾幕と砲撃の嵐。
けれど……鉄板の隙間からその光景を注意深く観察していた私は、ギエナの言っていた言葉の真実を、目の前で実感することになった。
「……これは!」
派手な土煙と爆音の割に、飛んでくる弾丸の密度は驚くほどに低い。
敵の砲兵たちは、まるで『どうぞこちらへお通りください』と案内するかのように、私たちの進行ルートの左右ばかりを派手に吹き飛ばし、中央の突撃路を綺麗に空けてくれているのだ。
相手はこちらを殺したいわけではない。
自分たちの圧倒的な火力を誇示し、必死の思いで包囲網を突破したという全能感を私たちに与えながら、まんまと城内へと誘い込むための茶番劇を演じているのだ。
聖教騎士たちもまた、ギエナの指示通りに、必死に耐えながら突進する様を力演していた。
盾を大きく掲げ、わざと派手に倒れ込むような素振りを見せながら、着々と正門への距離を詰めていく。
そのどさくさに紛れて――。
隊列の端を走っていた数名の騎士たちが、すっと本隊から離脱し、城壁の側面に回っていくのが見えた。逃げ道を確保するための隠密工作員たちだ。
さらに、ギエナ自身も、身軽な体のこなしで敵の正面砲兵陣地の脇を一瞬で通り抜けながら、点火済の導火線を敵の弾薬庫の陰へと滑り込ませていく。
すべてが、ギエナの描いたシナリオ通りに進んでいた。
ドゴォォォォンッ!
最後の爆音を背に受けながら、私たちの部隊は、ついに敵の包囲網を突破してみせた。
私を乗せた補給馬車も、激しい揺れと共に滑り込むようにして正門前の広場へと停車した。
ギエナが外から馬車の鉄扉を叩き、鍵を解除する。
「お疲れさん、お嬢様。快適なドライブはご満足いただけたかい?」
「ええ、完璧だったわ、ギエナ。擦り傷ひとつ負わずにここまで来られたわ」
私が馬車から外へと降り立つと、そこには西の茜空を背にして、フォーマルハウトの城門が塞ぎ立っていた。
正門の直前まで辿り着いた私たち一千の部隊。
あとは――壁の向こうにいるはずのエリダヌス連邦の守備隊に対し、私たちが味方である旨を伝え、この巨大な門を開けてもらうだけだ。
「よしッ! 私が上階の守備隊に開門を要求してまいります!」
セラエナが靴音を響かせ、城門の直下へと駆け寄った。
彼女は愛剣を鞘に収め、城壁の上を見上げながら、腹の底から声を張り上げた。
「壁内のエリダヌス連邦守備隊に告ぐッ! 私はプレアデス聖教騎士団筆頭、セラエナ・レイク=オーディット! ヴァルゴ王国特使ノクティア様のお供として、諸君らの救援に駆けつけたッ! 直ちにこの門を開け、我らを受け入れられたしッ!」
夕闇が迫る広場に、セラエナの凛とした叫び声が清々しく木霊する。
――あとは、内側から重々しい滑車の音が響き、この巨大な鋼鉄の門がゆっくりと開き始めるのを待つだけ。
そう、誰もが信じて疑わなかった。




