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316話「炉の歴史」

◆◇◆


 フォルナクス帝国という巨大な国家を分析する時に、多くの人々はそこに狂気に満ちた最先端の科学力と、容赦の無い軍事力を想像する。


 無機質に鋳造された小銃の列、重厚な装甲を纏った車輌、そして、今はそこに不気味な機動音を立てて蠢く武装人魚兵の群れが加わっている。


 現在の大陸において、帝国の軍勢とはまさに、この世界の生態系そのものを暴力的に塗り替える、先進的かつ機械的な悪夢の代名詞であった。


 ――しかし。


 歴史の頁をほんの数十年前まで巻き戻してみれば、その印象はガラリと変わる。


 元を正せば、フォルナクス帝国という国は、どちらかと言えば旧態依然とした古い思想と理念に囚われた、極めて閉鎖的な軍事国家に過ぎなかったのだ。


 大陸屈指の兵力を抱える軍事国家であるという点においては、昔も今も変わりはない。だが、かつての帝国には、最新の機械兵器を開発する先進性も、先鋭的な戦術を採り入れるような柔軟性も存在しなかった。


 重厚な鉄の甲冑を身に纏った騎士たちが立ち並び、陣形を組んだ歩兵と騎兵が突撃を繰り広げる――その軍装のあり方は、現在のガーランド公国と大差のない、いわゆる剣と馬の時代に停滞していたのである。


 だが、同じ"剣と馬の国家"であっても、ガーランドとフォルナクスとの間には、決して埋まることのない致命的な隔絶が存在していた。


 ガーランドが、高潔な騎士道精神と人々の生存を重んじる性善的な理念によって成り立っていた国家であったのに対し。


 かつてのフォルナクスは、遥かに内側から膿みきっていたのだった。


 歴史の理として、新しい思想や革新的な技術というものは、常に既存の支配層――既得権益を貪る特権階級の利益を脅かす。


 通常、健全な国家であれば、そうした新技術を既存の統治システムの中へと巧みに取り込み、新たな利益の循環を生み出すことで、国家の器そのものを変容・進化させていくものだ。


 しかし、かつての帝国の腐敗した上層部たちは、自らの立場や既得権益を守らんとするあまり、新しき知恵や変化の兆しそのものを徹底的に忌み嫌い、排除し続けていたのだった。


 なぜ、それほどまでに不健全で膿みきった国家が、大陸の大国として長年にわたり存続し得たのか。



 フォルナクス帝国の最大の不幸、そして最大の錯覚は――彼らがその地下深くに、複数の"遺物"を所有していたことにある。



 それらの"遺物"の出所や由来は、様々であった。


 まだ魔法という術式が体系として失われる前、先古の人間たちが神話の奇跡を人為的に再現せんとして作り上げた、高純度の奇跡の器であることもあれば。


 あるいは、この世界の管理者の一角――かつて存在した"千の騎士"の一輪が墜落した際、その砕けた権能の断片として世界の隙間からまろび出た不条理の結晶であることもあった。


 由来がどうあれ、それらの"遺物"がもたらす絶大な不条理の権能は、旧式な帝国の軍勢に絶対の勝利という甘美な毒薬を与え続けていたのである。


 どんなに戦術が古かろうと、どんなに指導層が腐敗していようと、ひとたび"遺物"の力を解放すれば、並の国家の軍勢など一瞬にして灰燼に帰す。それゆえに、帝国は戦って負けることなどあり得ないと、盲目的に自らの優位を信じて疑わなくなっていたのだった。



 ――故に。



 今から三十年前、ほんの些細な領土と資源の奪い合いに端を発した先の大戦の初期においても、フォルナクス帝国は自らの勝利を何一つ疑っていなかった。


 戦況に適さぬ者に、勝利の女神が微笑むことはない。

 そんな、歴史のあまりにも単純な理屈すら理解できていなかったからこそ。


 傲慢と事大主義に塗れたフォルナクス帝国は、各国との激突の中で自慢の"遺物"を無残に打ち破られ、致命的な敗北に塗れることとなったのである。


 自慢の騎士団はその多くを逸失し、かつてない巨額の敗戦賠償金と領土の割譲を突きつけられ、帝国は文字通りの破滅の淵へと叩き落とされた。


 ――しかし。

 歴史とは、常にあるがままを描くものではない。


 その悲惨極まりない敗北のシナリオすらも、もしかすると……誰かが意志を持ち、裏で糸を引いて仕組んだ舞台装置に過ぎなかったのかもしれない。


 三十年前の大戦での敗北の後――フォルナクス帝国は、世界の誰もが予想だにしなかった異常な急成長を遂げることになる。


 敗戦の激震と膨大な賠償金の重圧によって、かつて帝国を内側から腐らせていた事大主義の上層部や貴族階級の顔ぶれは、暴動と政変の嵐の中で一掃された。


 その破滅的な真空地帯へと、突如として齎されたもの。

 ――それは、この世界の技術水準を何百年も飛び越えた、圧倒的で洗練された近代の科学知識であった。


 銃火器の鋳造法、内燃機関の構造、効率的な兵装の工業的量産プロセス。


 さらには、あちらの世界から降り立った"姫"という存在を、単なる一個の英雄としてではなく、国家の軍事システムに組み込んで最も効率的に運用するための、冷酷極まりない戦術理論。


 目の上の(こぶ)が消え去り、生存の危機に瀕していた新進気鋭の若い将校や技術者たちは、その齎された悪魔の如き技術と戦術を、狂気的なまでの情熱で貪り喰らった。


 彼らはそれを瞬く間に実践レベルの兵器や軍事組織へと落とし込み、工業化の整備を急速に推進していった。


 結果として――敗戦によって死体も同然であったはずのフォルナクス帝国は、わずか三十年という途方もなく短い期間の中で、近代兵器と魔法の不条理を融合させた、列強の一角へと返り咲いてみせたのである。


 では、一体誰が。


 破滅寸前だった帝国に手を差し伸べ、この世界の文明レベルから完全に隔絶した異世界の知恵と悪魔の戦術を与え、裏から国家そのものを操っていたというのか。


 答えは、ひとつしかなかった。




 その存在の名は――"燃やしてしまったマッチ売りの少女"。




 あちらの世界で理不尽な業火に焼かれ、すべてを失った絶望の果てに、この異世界ステラへと再構成された最悪の存在。


 世界のすべてを拒絶し、あらゆる思い出や歴史を等しく灰の底へと沈め尽くすことだけを望む、史上最も狂おしい"姫"の一人。


 彼女にとって、フォルナクスという国は、自らの抱く最終目的を果たすための、この上なく都合の良い手札に過ぎなかったのだ。


 腐りきった旧上層部を排除し、絶望に喘ぐ帝国軍部に異世界の近代兵器の知識と"姫"の魔法による新たな戦術を与え、機械と魔法のハイブリッドによる悪魔の軍勢へと仕立て上げる。


 そして、新たに手にした武装人魚兵の群れと、異世界の火器で武装した軍を率いて、大陸全土を不条理な戦火で包み込んでいく。


 この歪んだ世界そのものを、たった一つの救いすらもない灰へと変え尽くすという、悪辣な願いを叶えるがために――。


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