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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
22章「鼓動と破壊と動き出す影」
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311話「血塗られた報」

 ミラクは、窓の外から漂ってくるただならぬ空気を皮膚で感知し、さっと眉をひそめた。


 今回の行軍においてミラクが伴っているのは、彼女がかつて帝国に身を置いていた時代からの直属部隊――"(パーム)"。


 この部隊は、古くはミラクの祖父であり、かつては帝国の外交特使を務めていた、セプテニア公が直接指揮を執り、育て上げた精鋭中の精鋭であった。帝国軍の中でも特に高い誇りと鉄の規律を重んじ、どんな絶望的な死線におかれても一糸乱れぬ陣形を維持し続ける、歴々の勇士たち。


 ミラクの離反により、反逆の汚名を着せられたセプテニア公を帝国本国から救出し、脱出させるという極秘作戦において、彼らは全隊員の半数以上を失うという凄惨な損害を被った。しかし、それでもなお彼らの士気とミラクへの忠誠は、何ひとつ損なわれてはいなかった。


 その彼らが、ただの障害や賊の急襲程度で、これほどあからさまにざわつき、行軍を乱れさせるなど、通常では絶対にあり得ないことだった。


(……ただ事じゃないわ。一体何が起きているの……?)


 異様な雰囲気を感じ取り、真っ先に動いたのは老執事のバナビーだった。


 彼は拳を固く握り締めると、馬車の扉を外側へ向けて勢いよく開け放ち、そのまましなやかな動作で地面へと飛び降りた。


「何事か! まさか、敵襲――」


 部下たちの狼狽を一喝し、即座に戦闘態勢を整えさせようとしたバナビー。


 しかし、言葉の途中で、彼の声は途切れた。まるで喉を強力な透明の糸で絞め上げられたかのように、あっけにとられて呆然と立ち尽くしてしまう。


「バナビー? 何があったのよ!」


 彼のその尋常ではない硬直に胸騒ぎを覚えたミラクもまた、純白のドレスの裾を翻して馬車から飛び降り、彼のすぐ隣へと並び立った。


「――これは」


 直後。ミラクの口からも、掠れた息が漏れ出た。


 彼女の碧眼が、目の前の凄惨な光景を前にして、驚愕のあまり大きく見開かれる。



 そこには、一人の男が立ち尽くしていた。



 身に纏っているのは、エリダヌス連邦の伝令部隊にのみ支給される、水色の刺繍が施された軽量の革甲冑。


 だが、その甲冑は原形を留めないほどにズタズタに引き裂かれ、黒く焦げ付いた泥と、ドロドロとした血の塊によって生々しく汚れていた。馬すら失い、自らの二本の足でどれほどの距離を走り続けてきたのか、彼の履いていたブーツの底は完全に擦り切れ、露出した裸足からは生温かい鮮血が絶え間なく溢れ出している。


 全身に刻まれた、鋭利な刃物による無数の斬創と、何かが爆発したかのような痛々しい焦熱の痕。


 明らかに満身創痍。普通ならば一歩を歩むことすら叶わず、とうに息絶えていてもおかしくないほどの、明らかな致命傷。


「ミ、ミラク……様に、……っ。え、エリダヌス連邦議会から……で、伝令、を……っ」


 男はガクガクと膝を激しく震わせ、今にも倒れ伏しそうな身体を、ただ魂の執念だけでどうにか引き留めていた。その掠れた声は、肺に血が溜まっていることを生々しく証明するように、ゴボゴボとした嫌な音を混じらせている。


「――っ、喋っちゃダメ! あなた、そんな身体で……! バナビー、すぐに救護班を……っ!」


 ミラクは瞬時に叫び、衰弱した男の肩を支えようと手を伸ばした。


 しかし、伝令の男はそのミラクの差し伸べた手を制するように、血に汚れた右手で制した。そして、最後の一歩を絞り出すようにしてミラクへと近付くと――懐から取り出した、固く封印され、血に濡れた書簡を、震える指先で彼女の手元へと強引に押し付けた。



「わ、我が国……エリダヌスの国境付近は……完全に、敵によって……占拠されてしまいました……っ!」



「……っ!? なんですって……!?」


 伝令の男が吐き捨てた一言に、ミラクの全身の血が凍りついた。


「し、首都フォーマルハウトも……現在、敵の大軍によって……完全に包囲されており……っ。現在は、都市障壁を稼働させ……かろうじて籠城することで……なんとか、持ちこたえて……っ」


「そんな……! フォーマルハウトが包囲……!?」


 信じられない報告の連鎖。


 フォーマルハウトは、言うまでもなくエリダヌス連邦の心臓部だ。先のアルゴラによる襲撃も耐え抜き、これから防衛態勢を固めていこうという折だ。


 それがミラクの不在時に包囲され、籠城を余儀なくされているなど、考えうる限り、最悪の報せだった。


「……わ、我々伝令部隊も……命からがら、フォーマルハウトを抜け出すことは……できましたが……っ。途中の……追撃により……私以外の隊員は……ぜ、全滅いたしました……っ!」


 男は最後の手紙をミラクに手渡すと同時に、まるで糸の切れた人形のように、ガクリと膝から崩れ落ちた。ミラクが咄嗟にその身体を抱き止めたが、彼の呼吸はすでに瀕死の浅さにまで落ち込んでいる。


「……やられましたな」


 抱きかかえられる伝令の男を見下ろし、バナビーが苦々しい表情で、静かに、けれど低く呪詛のように呟いた。


「我々は……帝国が"人魚姫"の完全な封印を破り、その精神を自らの手中に収めるまでは、大規模な侵攻作戦には打って出ないと高を括っておりましたが……。まさか、ここまで早く、我々の懐深くへ切り込んでくるとは……!」


「……悔いている時間は無いわね」


 ミラクは激しい動揺を力任せに胸の奥へと押し込めると、抱きかかえていた伝令の男を静かにバナビーへと預け、背後に控える"掌"の部下たちへと向けて、鋭く、努めて冷静な声で指示を飛ばした。


「後方部隊から一人、この人を昨日の村まで急ぎ送り届けて! 治療を受けさせて、絶対に死なせてはいけないわ! ……そしてもう一人は、馬を乗り潰してでもいい、代わりにプレアデスにいるノクティアたちまでこの惨状の報せを届けて頂戴!」


「ハッ!」


 部下たちが一斉に動き出し、倒れた伝令を担ぎ上げ、伝令馬を爆走させて後方へと駆け去っていく。


 テキパキと的確な指示を出し、軍の混乱を最小限に抑えてみせたミラク。


 けれど――彼女の胸の中は、決して穏やかではなかった。


 胸の奥で、警鐘が狂ったように打ち鳴らされている。



(――お祖父様……っ! お願い、無事でいて……っ!)



 そう。今のエリダヌス連邦の首都フォーマルハウトには、彼女の肉親であり、この世界における唯一の拠り所である、セプテニア公がいるのだ。


 もしも首都が落ち、あの老人が帝国の手によって害されるようなことになれば――。


 想像するだけで、視界が真っ赤に染まりそうになる。


 一刻も早く連邦へ戻らなければ。自らの力で、あの美しい海上都市を、そして、祖父をを救い出さなければ。


 ミラクの心臓が、焦燥と激怒の熱量によって激しく脈打ち始めた、まさにその瞬間だった。


 バナビーの手に抱えられ、今まさに後方へ搬送されようとしていた伝令の男が。


 途切れかけていた意識の底から、血を吐くような最後の力を振り絞り、ミラクの裾を強く掴み上げた。


「が、はっ……っ! つ、続けて……申し上げます……っ!」


 男の白目を剥きかけた瞳が、最後の執念の光を宿してミラクの顔を凝視する。



「て、敵の……エリダヌスを包囲し、攻め立てている帝国の部隊を……率いているのは――」




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