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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
22章「鼓動と破壊と動き出す影」
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307話「六人目と破滅の喇叭」


 地下書庫を包む冷たく静謐な空気に、私の浅い呼吸音だけが微かに響いていた。


 『千夜一夜物語』とシェヘラザード。人類が紡いできたあらゆる童話や寓話の原型を吸い上げ、内側に抱え込んでしまった万華鏡の原典――。


 リラから明かされたその真実に、私は自らの胸の奥で渦巻く驚愕をどうにか押し殺し、散らばる思考のピースをひとつひとつ拾い集めるようにして、次の問いを投げかけた。


「……となると、あの"千の騎士"っていうのも……」


「たぶん、ノクティアの考える通りだと思うよぉ」


 リラは机の上に重ねられた古い革表紙の本を指先でなぞりながら、私の言葉を静かに引き継いだ。


「彼女の背負う『千夜一夜物語』の作中に登場する、千と一夜の騎士や魔神、守護神像たちになぞらえて力を与えられた、古の騎士たち……。いわば、世界が直接稼働させている防衛プログラムみたいなものだねぇ。……まあ、歴々の"姫"たちとの激しい戦いや、かつての大戦に介入して力尽きた者もいて、現存する騎士はかなりその数を減らしているはずだけどねぇ」


 私の脳裏に、大聖堂の最上階で私たち三人を一蹴し、カリオペの胴を躊躇なく貫いてみせた、白銀の全身鎧――その圧倒的かつ、不可解な姿が鮮烈に蘇る。


 "姫"すらも歯牙にかけぬ、戦うことすら諦めさせるほどの出力。あれほどの規格外の化け物たちが、かつては"千"という莫大な単位で世界中に配置されていたというのか。


「……シェヘラザードが自分の望む物語を描き出すために用意した、冷酷な兵隊ってことよね。……でも、わからないわ。あんな恐ろしい連中を揃えてまで……、彼女が見たがっている"理想の世界"って、一体何なの……?」


 私は胸元を強く握り締め、思考の深淵へと潜り込んだ。


 理解できなかった。カリオペも、全身鎧も、口を揃えて"あのお方の理想の世界"と語っていた。けれど、他人の命や魂を都合の良いコマとして弄び、世界に混沌を撒き散らしてまで手に入れようとするものなど、私には狂気としか思えなかった。


 私のその混迷の呟きに対し、リラはヴェールの下でふっと切ない苦笑いを漏らした。


「……さあねぇ。そればかりは、彼女本人の頭の中を覗いてみないことには誰にもわからないよぉ。……でもねぇ、ひとつだけ確かなことがあるんだぁ。彼女のその壮大計画はさぁ、"百年前"に本格的に動き出した……。"姫降ろしの儀"が完成して、自分以外の"姫"たちをこの世界へと召喚できるようになった、あの時からねぇ」


 百年前。


 リラの口から出たその数字の区切りに、私はふと、自分の思考の網の目に小さな引っかかりを覚えた。


「……百年前? ちょっと待って、リラ」


 私は前のめりになり、作業机越しにリラの灰色の瞳をじっと見つめた。


「じゃあ、百年前のその時に初めて呼び出されたリラたち"古き姫"が、この世界に召喚された最初の世代の"姫"ってことになるの?」


「そうだよぉ」


 リラは当然のことのように、静かに首を縦に振ってみせた。


「原初の"姫"であるシェヘラザードを除けば、私を含めて六人の"姫"が、この異世界に最初に降ろされた不条理の第一世代――ということになるのかなぁ」


「……」


 ふうん、と最初は深く考えずにその説明を聞いていた私だったが、違和感は消えなかった。


 リラが口にした数字――"六"人。それが、私の中の知識と、致命的なズレを起こしている。



(……六人……? おかしいわ……)



 私の知る限り、百年を生きている"古き姫"は五人。


 一人目。帝国の手に落ちた最強の"姫"――"喰らってしまった人魚姫"、アケルナル。


 二人目。ヴァルゴ王国中央、"星の塔"に構え、絶対の守護者として君臨する――"芽吹いてしまった髪長姫"、アルフェッカ。


 三人目と四人目。かつての大戦で絶大な戦果を挙げ、現在は自暴自棄の不帰の客として世界を彷徨う――"ドロシー"ことカノンと、今目の前にいる、"小夜啼鳥"リラ・マイア。


 そして何よりも、五人目。帝国軍の最深部にて、その圧倒的な業火の魔力で世界のすべてを焼き尽くそうとしている私たちの宿敵――"マッチ売りの少女"。


 アケルナル、アルフェッカ、カノン、リラ、そしてマッチ売りの少女。


 いずれも一国を傾け、歴史を一人で書き換えてしまえるほどの恐ろしい力を持った、伝説の"姫"たち。


 けれど――何度数えてみても、その総数は五人。六人目を、私は知らない。


(私がこれまでに聞いた話の中には、この五人に連なる六人目の古き"姫"の存在なんて、全く存在しなかった……)


 もしも、アケルナルやカノンたちと同等の圧倒的な力を持った不条理な"姫"が、歴史の裏側にあと一人存在しているのだとするならば。


 なぜその人物は、百年の歴史の中で一度もその姿を現さず、名前すら囁かれていないのか。


「ねえ、リラ……。六人目って?」



「ああ、それならねぇ――」



 私が疑問を口にし、リラがいつもの間延びした調子で答えようとした、まさにその瞬間だった。




 バンッッッッ!!!!!




 重厚な装飾の施された、地下書庫の分厚い鉄の扉が、激しい衝撃音と共に力任せに内側へと押し開かれた。


 静まり返っていた書庫の空間に、冷たい外気が爆発的に流れ込む。


 私とリラが思わずそちらへと視線を向けると、開いた扉の敷居を跨いで、息を激しく荒らげながら飛び込んできた一人の青年の姿があった。



「アルト……!?」



 私は思わず椅子から立ち上がり、驚きと安堵の混ざり合った声を張り上げた。


 そこに立っていたのは、他でもないグラスベル家に仕える私の騎士――アルトだった。


 大聖堂の最上階で全身鎧と激突した際には、少なからず戦闘の跡が見えた彼だったが、けれど、今目の前に立つ彼の肌には、傷の類は見当たらない。


「よかった……! アルト、あなたも無事だったのね……っ!」


 一週間もの間眠り続けていた私にとって、彼の元気な姿をこの目で確認できたことは、何よりの救いだった。私は安堵の笑みを浮かべ、彼の方へと駆け寄ろうとした。


 ――けれど。


「は、はい……、お嬢様……っ! って、そうじゃなくて、大変なんです!!」


 アルトは私との再会を喜ぶ余裕すら一切見せず、額に汗の粒を浮かべながら、膝に手をついて必死に肩を上下させていた。彼の握り締められた右手が、微かに震えている。


 ただ事ではない。彼のその瞳に宿る、切迫した危急のシグナル。


 私の隣で、リラが静かに椅子から立ち上がり、その瞳を鋭く細めてアルトへと視線を向けた。


「……随分と焦ってるねぇ、騎士くん。……一体、何があったのかなぁ?」


 リラの間延びした、けれど緊張感を孕んだ問いかけ。


 アルトはゴクリと唾を飲み込み、呼吸を強引に整えると、私を真っ直ぐに見つめ返し、最悪の報せを喉が裂けんばかりに張り上げた。




「……帝国軍が、本格的な進軍を開始しました……! 狙われているのは――エリダヌス連邦です……っ!!」





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