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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
22章「災禍と目覚めともう一人の"不帰"」
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298話「匣の中にあったもの」


「う、く――、あ、あぁ……っ!!」


 大理石の床に両手を突き、私は必死に、肺へと酸素を送り込もうとしていた。


 聖壇の上。つい先ほどまで、シャウルの華奢な肉体から爆発的に噴き出した、魔力の奔流。それは、かつて戦ってきたどの"姫"とも、あるいは目の前に立ち塞がる"千の騎士"とも決定的に異なる、圧倒的な力を持っていた。


 空間全体の重力が十倍、二十倍にも膨れ上がったかのような圧迫感。大気そのものがドロドロとした熱い鉛のように変調し、私の皮膚を、髪を、網膜を覆う。


「……魔力の、密度が違うねぇ……っ! 戦うとかそういう次元の前に、私たち全員、すり潰されちゃうよぉ……っ!」


 私の背後、リラが悲鳴のような呟きを漏らした。


 けれど、そんな私たちの慄きを他所に、カリオペは、狂ったような哄笑を祭儀場全体へと響き渡らせた。


「あははははははは! そうですよ、リラ! 何もかもを、すり潰してしまうのです! "あのお方"が描き上げたこの美しい理想の世界に不要なものは、すべて、消されるのが正しいのですから……ッ!!」


 朗々と響く狂信の声。


 だが、その歪な言葉を聞いた瞬間、彼女の傍らに控えていた全身鎧の男は、鉄の面頬を僅かにカリオペの方へと向けた。


「……きみが"かのじょ"の、りそうをわかったようにかたるのは、すこし……しゃくだね」


「っ!? も、申し訳……!」


 カリオペが弾かれたように声を詰まらせる。しかし、鎧の男はそれ以上の視線を彼女に向けず、ただ冷酷な、絶対の調停者として続ける。


「でも……ちからのないものは、どうせ……このさきをいきのこることなど、できはしないからね。……いまのうちに、まびいてしまおうか」


「……っ! クソが、ムカつく物言いだが……あいつの言う通り、この出力はヤバすぎるぜ……! こうなりゃ、もう……!!」


 隣で、カノンが歯噛みする。戦闘経験の豊富な彼女の目は、もしかすると、私が見ているよりも絶望的な景色を映しているのかもしれない。


 それを裏付けるように、シャウルを中心に渦巻く魔力は、さらにその風圧を増し、周囲の空間を引き裂き続けていく。


「っ、はぁ、はぁ……!」


 荒い息を吐きながら、私は薄れゆく意識の淵で、脳味噌を回す。


 このままでは、全滅する。


 私たちがここで何もしなければ、魂を上書きされたシャウルによって、回避のしようがない終わりがやってくる。


 どうする。どうすれば、目前の破滅を回避できるのか、私の脳はそれで占められていく。


(残された私の魔力は、いいとこ数%もない……。カノンとリラも満身創痍で、正面突破は絶対に無理ね)


 冷酷に、そして客観的に、事実のみを並べる。


 悲観もせず、楽観もせず――そうすれば、見えてくるものもある。


(――一か八かの、博打ね。……もう、これしかないわ)


 もしも、私がこの身に残った全ての力を、"根源"の翼へと一気に注ぎ込んだなら。一度だけではあるが、それなりの威力を出すことはできるだろう。


 狙うのは、白銀の全身鎧と、カリオペの二人。


 彼女らを撤退、あるいは無力化させることができれば――シャウルのコントロールを、強制的に失わせることができるかもしれない。


 もちろん、コントロールを失ったシャウルが、その後どうなるかは分からない。


 "女神パンドラ"の力がそのまま大人しく眠りについてくれるのか。あるいは、枷を失ったことで暴走し、この聖教国ごとすべてを焼き尽くす災厄の獣と化すのか――状況が悪化する可能性もある。


 むしろ、全命を賭した一撃が、白銀鎧に難なく防がれ、頓死する可能性の方が極めて高かった。


 負ける確率の方が圧倒的に高い、救いようのない悲壮な博打。


 けれど――。


(ごめんね、みんな。……でも、私は、あの子をこのまま見送るわけにいかないの)


 私は、背中に燃え盛る緋色の流動硝子の温度を、自らの命ごと焚べる覚悟を以て、一気に最高出力で稼働させようとした。


 まさに――その、極限に至る瞬間だった。



 ――フッ。



 突如として、祭儀場全体を圧殺せんばかりに荒れ狂っていた魔力が、まるで電源を唐突に切られた機械のように、ピタリと停止した。


「え……?」


 私は思わず、素っ頓狂な声を上げる。


 見れば、シャウルの身体を中心に、増大し続けていたあの禍々しい魔力が、信じられないほどの速度で、みるみるうちに萎んでいくのが分かった。


 それは、すべての不条理を超克していたはずの、神話の領域ともいえる魔力の密度から――。


 私たちと同じ、"姫"レベルの出力へと、急速にダウングレードし。


 それでもなお、その萎縮の秒針は止まることなく、ついには――。



「なっ……何、これ……? 神話の気配が……!?」



 ――魔法も使えない一般人と何一つ変わらない程度にまで、その気配は萎んでしまったのだった。




 私は激しくなる呼吸を抑えつつ、目の前の不可解な現象を受け止めようとした。


 しかし、私よりもずっと狼狽している者――カリオペは、そんな冷静さすらも持つことができなかった。


「なっ……!? な、何ですか、これは……! まさか、儀式の失敗!? そんなはずはありません! 彼女の精神の適合率は高く、使用した"聖典"も、教国の最奥に伝わる最も純度の高いものであったはずです……!!」


 カリオペは自らの頭を抱え、後ずさりながら、狂ったように喚き散らした。


 彼女がどれほど目を剥いて現実を拒絶しようとも、椅子の前から立ち上がったシャウルの全身からは、もはや一筋の魔力も放たれていなかった。


 カリオペの悲鳴のような問いかけに対し、シャウルは、ゆっくりと、カリオペの方へと振り返った。


 あの子の顔には、冷酷で超然とした女神の表情など、全く見られることはなく。


 そこにいたのは、お腹が空けば喚き散らし、いつも勝手に駆け回る、あの無邪気で、純朴な私の――。





「――あたしは、あたしっすよ、カリオペ様」





 シャウルの唇から零れ落ちた、いつも通りの、衒いのない声色。


 その一言が、冷え切っていた祭儀場の空間を、じわりじわりと溶かしていく。


「……そ、そんな! あり得ない! あなたは、神の依り代として、世界で最も適した"器"であったはずなのに……! なぜ、魂の上書きが、失敗したのですか……っ!!」


 カリオペの醜い狼狽を、シャウルはただ、優しく、けれどこれ以上ないほどに強い光をその目に宿し、真っ直ぐに見つめ返した。


「別に、大したことじゃないっすよ、カリオペ様。あたしは、あんたたちの言うような、大層な器なんかじゃなかったんす」


 シャウルは自らの胸にそっと手を当てて、凛とした声で、カリオペに向け、高らかに宣言した。


「あたしは、どこまで行ったって、グラスベル家の侍女……。ノクティアお嬢様の侍女のシャウルっす。それ以上でも、それ以下でもないんすよ!」


「まさか、シャウルちゃん……。"姫降ろしの儀"による魂の上書きを……意志だけで拒絶したってのか……!?」


 私の隣で、カノンが目を見開いて、信じられないというように叫んだ。


 "姫降ろしの儀"について多少は知見があるはずのカノンがここまで驚くのだ、滅多にないことなのだろう。


 その辺りの詳細は、もう一人の有識者が知っているんじゃないかと、私は背後に跪くリラに目を向けた。


 彼女は、現状を飲み込むだけの間を置いてから、どこか納得したかのような、穏やかな溜息と共に口を開いた。


「――"姫"の中に入れられる中身はさぁ、私たちと同じ、あちらの世界で無残に命を落とした、死した魂なんだぁ……。彼女らは基本的にはみんな、新しい体で生き返ることを望むものだけど……。もしも、その魂自身が拒絶選択したのなら。その魂は定着せずに剥がれ落ちちゃうこともある」


 リラは、おどけた調子で「レアケースだけどね」と付け加えたが、その声の震えは隠せていなかった。


 その言葉を肯定するかのように、シャウルは一度だけこちらを振り向くと、力強く、深くその首を縦に振ってみせた。


 その奥底には、いかなる不条理にも負けることのない、気高き意志の光が、眩く、そして美しく灯り続けていた。



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