281話「測量士は目を閉じて」
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二つの"根源"が真っ向から噛み合い、世界の整合性を力任せに引き裂いた爆発の瞬間。大聖堂を震わせたのは、天地を覆すほどの轟音ではなく、むしろすべての物質の悲鳴を吸い尽くしたかのような、静寂であった。
赤黒く焼け溶けた流動硝子のマグマと、あらゆる文脈を強制的に切断せんとした白銀のギロチン。互いの魂のすべてを注ぎ込んだ眩い光の奔流は、回廊の中央座標で激しく相殺し合い、臨界点を超えた魔力の自壊によって、凄まじい衝撃波を全方位へと撒き散らした。
白亜の太い石柱が次々と内側から爆裂し、歴史ある大聖堂の堅牢な天井が、まるで脆い硝子の細工のように音を立てて崩落していく。瓦礫が雪崩となって床を叩き、激しい白煙が視界を完全に遮断した。
やがて、狂暴に吹き荒れていた焦熱の爆風がなだらかに引き取り、空間に充満していた硝煙がゆっくりと薄れていく。
崩れ落ちた天井の巨大な穴の向こう側。そこには、ただ底無しに冷徹で、けれど息を呑むほどに美しい、吸い込まれそうな星空が、ぽっかりと覗かせていた。
その、きらめく星々の光が降り注ぐ静まり返った死地の中央。
パチパチと、未だに超高熱の火花を散らす液体硝子の二対の翼を、静かに、けれど力強くはためかせながら、中空からゆっくりと大理石の床へと着地する少女のシルエットがあった。
ノクティア・グラスベル。
彼女の衣服は激しい戦闘の摩擦によって激しく破れ、肌の至る所には熱傷の痕が刻まれていたが、その右手に握られたレイピアの切っ先は、未だに一点の曇りもない不条理な熱量を帯びたまま、鋭さを保っていた。背中の硝子の翼は、夜空の星光を浴びて、まるでダイヤモンドの粉を撒き散らすかのようにキラキラと美しく輝いている。
そんな、彼女の視線の先。
粉々に砕け散った大理石の瓦礫の山に背を預け、力なく床へと横たわっているのは――エレクトリアだった。
彼女の身体を守っていたヴェールは、今や最後の一枚にいたるまで完全に剥ぎ取られ、虚空へと消滅していた。銀色のトレイも、中央から見事に真っ二つに叩き割られ、ただの無機質な鉄の破片となって、床の血溜まりの中に転がっている。
エレクトリアは、崩れた天井から覗く星空を、影の消えた冷ややかな瞳で見上げたまま、薄い唇から微かに、本当に小さく息を吐き出した。
「――私ハ、負けたのですネ」
ぽつり、と。
静寂の空間に、彼女の感情の起伏を取り払った声が寂しく響いた。
「……ええ、そうよ。あなたは負けて、私が勝った。……ただそれだけの、単純でわかりやすい決着よ、エレクトリア」
ノクティアはレイピアを静かに鞘へと収め、横たわる聖女の側へと歩み寄った。
慰めの言葉など、今の彼女たちには必要なかった。事実を事実として冷徹に突きつけること。それこそが、命を懸けて自分のすべてをぶつけてきてくれたエレクトリアに対する、ノクティアの最大級の誠実さの証明だった。
「単純、ですカ。……ふフ、確かにあなたの言う通リ、実ニ明瞭な算式でス」
エレクトリアは、自らの上に影を落とすようにして見下ろしてくるノクティアの姿を、その銀色の双眸の奥で、じっと見つめ続けていた。
彼女の脳内を支配していた冷徹な世界の図面が、ノクティアという異質な存在によって、内側から美しく書き換えられていく。
「……一ツ、聞いてもいいですカ、ノクティア様」
「……何?」
ノクティアは立ち止まり、彼女の次の言葉を待った。
「私はこの世界に来る前二……あちらの世界デ、完全な終わりを迎えましタ」
エレクトリアの視線が、再び崩れた天井の向こうの、遠い星空の果てへと向けられる。
彼女の脳裏に鮮烈なフラッシュバックとなって蘇るのは、ハイスクールの卒業を目前に控えたあの金曜日の夜、フロリダの美しいシナゴーグを襲った、凄惨な硝煙の闇。
厳格に戒律を守り続けていた敬虔な両親が、ただの鉛の弾丸という物理法則によって呆気なく頭部を粉砕され、ただの動かない肉塊として処理されていった、あの圧倒的な理不尽。
ミリ単位の狂いもなく計算し尽くされていた自らの輝かしい未来が、赤黒い血に汚れ、炎に包まれて一瞬で灰へと変わっていった、絶対的な諦絶の記憶。
「あの惨劇の夜、私は神の不在を完全に悟りましタ。人間がどれほど美しい信仰を抱こうト、どれほど規律を全うしようト、世界の天井の向こうにハ、私たちを救ってくれるメシアなど最初からただの一人も存在しなイ。……ならバ、すべての方程式は誤りであリ、人生の設計図など無意味な幻想に過ぎないト、そう理解した上デ、私はこの世界に流れ着いたのでス」
エレクトリアの言葉に、ノクティアは静かに耳を傾け続けた。
「だからこソ、私はこの世界において、形而上の神などという実体のない幻影を信じることを完全にやめましタ。己の目で測量した数値のみを世界の真実とシ、最高司教様から与えられた完璧な役割を遂行することだけを指標としてきたのでス」
エレクトリアは、再びノクティアの緋色の瞳を真っ直ぐに見据えた。その瞳の奥にある問いかけは、彼女の魂の最深部から放たれた、切実なものだった。
「ノクティア様。……あなたモ、私モ。そして"ドロシー"や"小夜啼鳥"モ、この世界に転生させられた“姫”たちは皆……等しク、向こうの世界で一度完全に"終わった"存在のはずでス。……なの二。何があなたをそこまで動かすのですカ? あなたはどうしテ、この残酷な世界で戦い続けることができるのですカ?」
エレクトリアの魂を削り出すような本質的な問いかけに、ノクティアの眉が歪んだ。
そして、自らの胸元にそっと右手を当てる。そこには、確かにこの世界に存在する肉体の鼓動が、確かにトクトクと温かいリズムを刻み続けていた。
「……最初は、ただの義務感だったと思うわ」
ノクティアは自嘲気味に微笑みながら、自らの旅の始まりを静かに振り返った。
日本の一般的な家庭に生まれ、普通の学生として生きていた彼女が、ある日突然、このノクティア・グラスベルという令嬢の肉体を上書きする形で転生してしまったあの日から、彼女は、自分が彼女の人生を強引に奪ってしまったという罪悪感を抱えていた。
「けれど……たくさんの人と出会い、たくさんの血と涙をこの目で見ていくうちに、私の胸の中の熱は、ただの義務感なんかじゃ収まらなくなっていったの」
ノクティアの脳裏に、これまでの戦いの景色が、大切な人たちの笑顔と共に鮮烈に蘇ってくる。
レグルス砦で潜った死線。"灰刃"との別れ、無力感を噛み締めたエリダヌスやガーランドでの経験。
いつも半歩後ろを歩み、その冷徹な暗殺の技を以て背中を支え続けてくれたアルト。
その策謀を振るい、幾つもの障害を砕き続けてくれたギエナ。
そして、ヴァルゴ王国で出会った、アルフェッカをはじめとする人々の笑顔。
そして、あの無垢で食いしん坊で危なっかしい、ノクティアにとって大切な――侍女のシャウル。
「――今の私にはね、エレクトリア。この両腕で抱えきれないくらい、守りたいものが、あまりにも多すぎるのよ」
ノクティアは一歩、エレクトリアのすぐ側へと歩み寄ると、その場に静かに片膝を突き、彼女の視線と同じ高さで、確固たる意志をその瞳に宿らせた。
「みんなが私に、ノクティア・グラスベルとしての生きる意味をくれた。だったら、私はそのすべての想いに応えるために、この戦いを最後まで戦い抜いてみせる。神のいない残酷な檻の中だろうと、戦況がどれほど絶望的だろうと……私のこの硝子の靴は、そのすべての不条理を、みんなのために引っくり返すためにあるんだから」
そして、と。ノクティアは自らの魂の最深部に刻み込まれた、最大の、そして絶対にブレることのない誓いを、静かに唇から紡ぎ出した。
「……そのすべての戦いが終わった末に。私はこの身体を、私が奪ってしまった本来の、元のノクティアへと完全に返すの」
「……身体ヲ、元の方ヘ、返ス……?」
自らの生存のためではなく、自らの利益のためでもなく。ただ、守りたい人々のために戦い、最期には己の存在そのものを放棄するという、あまりにも不合理な献身。
エレクトリアの目は、そのノクティアの言葉の裏にある熱量の正体を、ここにきてようやく捉えることができた。
――彼女は、神の不在を理解した末に、全てを諦めた。
しかし、ノクティアはそうしようとしていない。愚直に、どこまでも愚直に、進み続けようとしている。
世界は確かに残酷で、理不尽な暴力の方程式に満ちている。けれど――目の前のこの少女の紡ぐ物語は、その冷酷な式すらも、いつか本当に引っくり返してしまうかもしれないという、奇跡の予兆。
「……あハ、ハ。本当二……あなたハ、どこまでも私の測量値を狂わせてくださル……、とんでもない人、でス……」
エレクトリアの鉄面皮に、今夜初めて、元の世界で経験したあの慘劇以来、ただの一度も浮かべることのなかった、穏やかで、どこか救われたような、心からの優しい安息の笑顔が、美しく咲き誇っていた。
「……でモ、不思議ト……悪くなイ、心地よい計算結果、でス……」
彼女はそう、満足げに最後の一言を唇から零すと、ゆっくりと、その重たくなった目蓋を閉じていった。
手足から完全に力が抜け、彼女の身体は、まるで深い、穏やかな眠りの底へと落ちていくかのように、大理石の床の上で静かに静止した。
かくして、教国最高の測量士は静かな眠りにつき――。
大聖堂の回廊を緋色に染め上げた、少女たちの誇りと信念を懸けた激闘は、ノクティア・グラスベルの完全なる勝利を以て、静かに、その幕を閉じたのだった。
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