280話「銀盆と灼熱」-前
私が顕現させた十数体の硝子の騎士たちが、大理石の床を不規則に滑走しながら、一斉にエレクトリアへと刃を突き出す。空間を埋め尽くす玻璃の不協和音。大剣が振り下ろされ、槍が空間を穿つたびに、エレクトリアの周囲を旋回していた絶対防衛の盾――残り三枚のヴェールは、その許容量の限界を迎えて次々と粉々に砕け散っていった。
このまま騎士たちの猛攻を絶やさず、さらに"根源"の熱量を上乗せしていけば、あと数分もしないうちに、最後のヴェールは剥ぎ取られ、その肉体は硝子の海の底へと沈むことになる。
確実な勝利。その確信と共に、私はレイピアを強く握り直してチェックメイトの瞬間を見届けようとした、まさにその時だった。
――スッ。
硝子の騎士たちが放つ、鋭利な刃の嵐のただ中で。
背中を白亜の石柱へと叩きつけられ、無様に法衣を汚していたはずのエレクトリアが、唐突に、自らの右の手札である銀のトレイを下げ、空いた左手の人差し指を一本だけ、天に向けて真っ直ぐに立てたのだ。
「……っ?」
あまりにも唐突で、あまりにも戦闘の文脈からかけ離れた、静かなジェスチャー。
私は本能的な警戒心とともに、突進せんとする硝子の騎士たちを、その場に留めた。
空間を支配していた激しい風切り音が止み、煙と熱波の向こう側から、エレクトリアは私を見据えている。
「……何の、つもり? 今さら降伏を申し出ようとしても、流石に容赦してあげられないわよ」
私がレイピアの切っ先を向けたまま冷たく言い放つと、エレクトリアは乱れた銀髪の隙間から、額の汗を拭うこともせずに、平然とを口を開いた。
「降伏なド、無駄であることくらいわかっていますヨ、ノクティア様。……ただノ、情報の開示でス。あなたがそこまでして救い出そうとしている彼女――シャウル様ト、カリオペ様ハ……現在、この大聖堂の最上階にあル、特別な"祭儀場"におりまス」
「――なっ!?」
心臓が、ドクンと大きく脈打った。
シャウル。あの子の名前を耳にした瞬間、私の脳内の方程式は一瞬にして掻き回され、激しい動揺が全身の神経を駆け抜けていった。
私の反応を無視して、エレクトリアは淡々と、機械のように事実を並べ立てていく。
「お二人がそちらの祭壇へ向かわれたのハ、ノクティア様がこの回廊へいらっしゃっタ、ほんの数分前のこト。……急げばまダ、カリオペ様が事を成す前二、間に合うかもしれませン」
「……親切、じゃないわよね?」
私は奥歯を噛み締め、彼女の言葉の裏にある意図を必死に暴こうと睨みつけた。教国の忠実な処刑人である彼女が、敵である私に対して、シャウルの居場所という最大の情報を無条件で差し出すはずがないのだ。
「えエ、当然でス」
エレクトリアは、手元に戻ってきた銀のトレイを、再び己の胸の前で抱え、これまでとは全く異なる独特の角度で構え直した。
「私もまタ、最高司教様の部下の一人としテ、急ぎ最上階へと向かイ、そこの儀式のお手伝いに馳せ参じなければなりませン。つまリ、私たちハ……互い二、この場所で無駄な小競り合いを続けている時間なド、ただの一秒たりとも残されてはいないのでス」
――ゴォォォォォォォォォォッッッ!!!
「――っ!」
彼女がその言葉を紡ぎ終えた瞬間、回廊を支配していた熱が、一瞬にして凍りつくような、異様な魔力の渦が起きた。
エレクトリアの身体を中心として、空間そのものが全方位へと激しく歪み、大理石の床に刻まれていた私の硝子の模様が、目も眩むような銀色の光の波動によって、砂の城のようにサラサラと解体されていく。
(――っ、これは……今までとは、レベルが違う……!?)
硝子の翼が、その圧倒的な存在感の前に、防衛のシグナルを鳴らすかのように、激しく火花を散らした。
彼女の全身から溢れ出す、世界の整合性を根底から書き換えるほどの、冷徹で、かつ絶対的な魔力の奔流。それは、私も手にした、あらゆる"姫"の行使する魔法の、原初にして最奥の領域。
――"根源"。
零落の聖女エレクトリア。彼女もまた、自らの魂を限界まで削り取り、その底に眠る物語の最大の不条理を、この現世へと直接引き摺り出そうとしていたのだ。彼女の周囲を回る、残された最後のヴェールが、まるで銀色の炎のように激しく燃え上がり、回廊の空間そのものを切断せんばかりの鋭い刃となって駆動を始める。
「……もウ、お分かりでしょウ、ノクティア様。これ以上の戦闘の継続ハ、互いの時間をただ無為に消費するだけでス」
銀色の光の嵐の中心で、エレクトリアは冷酷に宣告した。
「互いの持てる魔力のすべテ、魂のすべてを懸けタ――大技一発。……それで、このくだらない死闘の幕引きといたしませんカ」
「…………」
私は、激しく逆巻く魔力の風を全身に受けながら、一言も発せずに思考を加速させていた。
わかっている。そんな誘いに、乗るべきではないことくらい、私のような戦素人にだって痛いほどに理解できる。
現状、この盤面で、圧倒的に有利な立場を維持しているのは私の方なのだ。彼女のヴェールは残り一枚。このまま私が真っ向勝負を避け、周囲を完全に包囲している硝子の騎士たちを盾にして突撃すれば、彼女がその"根源"の魔法を発動させる余裕を与えず、騎士たちの数の暴力が残された防壁をすべて引き剥がし、彼女をノーリスクで圧殺することも不可能ではない。
わざわざ、そんな相手との一騎打ちに付き合う必要など、どこを探しても存在しない。無用なリスクは、すべて排除すべきだ。




