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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
21章「信仰と舞踏と零落の聖女」
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279話「狂いなき舞踏会」


 パリィィン、と私の目の前で砕け散った二枚目のヴェール。


 その光の粒子が私の視界を緋色に染め上げる中で、私は自らのレイピアを握る右手に、今までにないほど確かで、熱い手応えを感じていた。


(――これだ。カノンが、あの時の戦いを通じて私に見せようとしていたのは、こういうことだったのね)


 私の胸の奥で、凍りついていた何かが音を立てて融解していく。


 カノンは、戦いを誰よりも楽しんでいる。不謹慎なほどにふざけ、システムをあざ笑い、命の削り合いの盤面(ステージ)そのものを弄ぶようにして、心底から愉悦を見出している。


 数日前の晩餐会、余興で目にした景色が、鮮烈なスローモーションとなって私の脳裏を駆け抜けていく。


 あの時、カノンは聖教騎士の凄まじい一撃に対し、"銀の靴"での回避を行わなかった。代わりに、"カカシ"に変身し、すぐにそれを解除することで、擬似的に高速移動し、回避した。


 その直後、"ブリキの木こり"に変身しつつ相手の足元に潜り込み、その体勢を崩すことにも成功している。


 ――そこには、戦術の教科書に書かれているような決まった型など、最初から存在していなかった。


 私は今まで、あまりにも生真面目に、優等生として世界のルールをなぞろうとしすぎていた。


 型にはまっているから、私の次の一手がエレクトリアに見透かされるのだ。

 

 型にはまっているから、彼女の組み立てる完璧な方程式を前にして、ただ解体されるだけの運命から抜け出せなかったのだ。


 大事なのは、戦いの中にすら自由な発想を見出し、その場で即興のステップを踏み散らすような、精神の柔らかさ。


(――もっとも、カノンのように本気で殺し合いを楽しめるほど、私は歪んでいないけれどね)


 私は自嘲気味に心の中で呟きながら、再びレイピアの切っ先を正面のエレクトリアへと固定した。


 けれど、勝つためなら、あの子をあの漆黒の扉の向こうから連れ戻すためなら、私は今ここで、おのれの生真面目さなどかなぐり捨てて、世界で一番不真面目な踊り子にだってなってやる。


(不規則に、軽やかに、そして何より――誰の指図も受けないくらい、自由に……!)


 私は深く息を吸い込み、次の瞬間に大理石の床を力強く蹴り上げた。


 今までの、最短距離を突っ走るだけの愚直な踏み込みは、もう二度と使わない。背中に宿る溶けた硝子の翼を、ただの攻撃手段ではなく、己の手足の延長線として完全に同調させる。


 羽ばたきの反動を利用して真上へと跳躍し、空中であえて翼の一端を床へと叩きつけ、その熱量を以て白亜の大理石を瞬時に融解――そこへ私の魔力を注ぎ込み、中空に輝く即興の硝子の足場を幾重にも精製していく。


 右へ、左へ、そして上空へ

 私は三次元的な座標を不規則に飛び跳ねながら、あらゆる死角からエレクトリアの肉体へと肉薄する、型なき玻璃の進撃を開始した。


「――ッ、その程度の小細工デ、この私ガ……!」


 空間を不規則に跳ね回る私の影を前にして、エレクトリアの瞳が初めて明確な焦燥を帯びて微振した。


 彼女は私の進行方向、その未来の座標を強引に測量し、手にしたあの銀色のトレイを、空間を切り裂くような鋭い弾道で投擲した。対魔法における絶対の切断能力を持つ銀盤が、キィィィィィン! と不快な摩擦音を立てて私の行く手を塞ぐように飛来する。


 その銀色のフチが、空中を舞う私の右腕へと、完璧なタイミングで吸い込まれていく。


 逃げられない。その刃は容赦なく、私の右の肩口から先を、骨ごと、魔力ごと、綺麗に空間から切り落とした――。


 ガギィィィィィィンッッッ!!!


 大聖堂の回廊に響き渡ったのは、肉が裂ける悲鳴ではなく、硝子のコップがハンマーで粉砕されたかのような、硬質で無慈悲な破砕音だった。


「――残念。ハズレよ、エレクトリア」


 切り落とされた私の右腕からは、一滴の鮮血すら流れ出さなかった。


 エレクトリアが切断してみせたのは――私が跳躍の瞬間に作り出していた、私自身の輪郭を模しただけの偽物の硝子の腕だったのだ。


 切り飛ばされた偽物の腕がもたらした、ほんの一瞬の、けれど致命的な計算の空白。


 エレクトリアの方程式に生じたその隙の真ん中をぶち抜くように、私はレイピアを、彼女の胸の防壁へと向けて全力で突き出す――。


「――なぁんてね!」


 私のレイピアの突きを予測し、エレクトリアは残されたヴェールを、自らの胸元へと抱き寄せる。


 だが、私はそのモーションを、彼女のヴェールが噛み合う直前の空間で、強引にピタリと停止させた。


 私は剣を引き戻すと同時に、自らの背中で燃え盛る、融解硝子の翼を、今度は推進力ではなく――巨大な一本の"大槌"の如く、彼女の無防備になった横腹へと向けて、勢いのままに薙ぎ払った。


 ――ドゴォォォォォォォォンッッッ!!!


「なッ、――ガ……ッ!?」


 想定外の方向、想定外の質量。


 正面への防御を完全に固めていたエレクトリアは、もはや理想的な受け流しの角度を計算する余裕すら与えられなかった。


 咄嗟に側面に差し出された一枚のヴェールが、翼の直撃を受けてメリメリと悲鳴を上げる。


 だが、横方向からの大質量を堪えきることができず、エレクトリアの華奢な身体は、大理石の床の上をコマのように激しく回転しながら、横合いの石柱へと勢いよく吹き飛ばされていった。


 激しい衝撃と共に、彼女の背中が白亜の柱へと叩きつけられる。


 その衝撃の余波の中で、彼女の身体の前面を回っていた半透明な布切れが、また一枚、糸の切れた凧のように力なく、はらりと床へ向かって剥がれ落ちていった。


 光の粒子となって消滅していく、三枚目の盾。


「これで残りは四枚……! いける、やれるわ……っ!」


 吹き飛んだエレクトリアが体勢を立て直すよりも早く、私は魔力を、さらに深く、より狂暴な密度を以て練り上げ始めた。


 私の脳裏に蘇るのは、あの白い吹雪の向こう側に君臨していた、"雪の女王"――アダーラの圧倒的な立ち姿。


 かつての私は、硝子の騎士や人形を生み出して動かすために、死者の魂や、何らかの物理的な媒介を戦場に要求しなければならなかった。


 だが、アダーラは違った。


 彼女は媒介など何一つない極寒の虚空から、ただ自らの魔力の出力だけを以て、自らの意志を宿して自立駆動する、完璧な氷像の軍勢を無限に創造し、私たちを数の暴力で徹底的に蹂躙してみせたのだ。


(アダーラの氷の魔法は、私の硝子の上位互換。なら、"根源"の領域にまで魂の爪先を突っ込んだ私にだって、同じことができないはずがない……!)


 シンデレラという物語の真骨頂は、ただ灰を被って泣くことではない。


 それは、魔法使いの不条理な力によって、何もない虚空から、煌びやかな馬車を、美しいドレスを、そして城中を熱狂させる最高の舞踏会を瞬時に作り出すことなのだから。



「――立ち上がりなさい、私の硝子の騎士たち……ッ!!」



 私はレイピアを高く天へと掲げ、自らの物語の最高潮(クライマックス)を、高らかに叫んだ。




「――“シンデレラ城の舞踏会(ヴァルツァー)”!!!」




 パキパキパキパキパキパキパキッ!!! と、回廊の床面から、目も眩むような緋色の光の柱が同時に十数本も立ち上がった。


 大理石の破片を巻き込みながら、融解した硝子の熱流が虚空で瞬時に固まり、おのれのカタチを形成していく。そこに現れたのは、かつてのような死者の影を宿した人形などではない。


 私の純粋な魔力と意志だけを動力源として顕現した、全身が硬質な玻璃で形作られた、十数体の"硝子(グラス・)の騎士(ガーディアン)"の軍勢だった。


「な二……これハ……!? 媒介もなしニ、これほどの自立人形ヲ……ッ!」


 石柱を背にして立ち上がったエレクトリアの顔が、今夜一番の圧倒的な驚愕によって完全に引きつった。


「踊りなさい、騎士たち! 彼女の意思も打算も、その剣で叩き潰して!」


 私の意志に応えるように、十数体の硝子の騎士たちは、まるで本物の魂が宿っているかのような滑らかな、かつ不規則な突進速度を以て、一斉にエレクトリアへと襲いかかっていった。


 ある者は大剣を振り下ろし、ある者は槍を突き出し、ある者は自らの肉体を硝子の弾丸に変えて空間を駆ける。


 計算不能な、数の暴力。


 エレクトリアは自らの銀盤を狂ったように振り回し、迫りくる騎士たちの首を次々と切断し、残されたヴェールを滑り込ませてその突進を受け流そうと必死の方程式を組み立てるが――もはや、その波状攻撃のすべてを、彼女の脳内資源(キャパシティ)だけで凌ぎ切ることは、物理的に不可能だった。


 ――パリィィィンッ!!!


 硝子の騎士の一体による、死角からの不意の盾強打(シールドバッシュ)


 それを正面から受け止めきれず、エレクトリアの防御の城壁から、また一枚、はらりとヴェールが剥がれ落ちて光の粒子へと消滅していった。


「これで残りは、あと三枚……! あなたの絶対防衛の限界が、ハッキリと見えてきたわね、エレクトリア!!」


 硝子の騎士たちの猛攻の背後で、私は自らのレイピアにすべての熱量を集めながら、さらに次の一手を練る。


 手は緩めない――このまま一気に、畳み掛ける。


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