263話「零落の聖女」
――ガギィィィィィンッ!!!
白亜の回廊に、耳を切り裂くような硬質の衝突音が絶え間なく鳴り響く。
私の放った硝子の破片と、プレアデスの信徒たちが掲げる十字の杖から放たれる白光が正面から激突し、空間を狂暴な火花で満たしていく。
私の意志で上書きされ、流動する魔法の硝子へと変貌した床や壁から、熱された玻璃の細かな欠片が、星の屑のようにきらめきながら周囲へと飛び散っていった。
(――くっ、こいつら、強い……!)
長槍を構えた甲冑の兵士、そしてその後ろから呪文を紡ぐ白衣の神官たち。彼女らと正面から剣を合わせ、魔法をぶつけ合う中で、私は内面的な戦慄を禁じ得なかった。
ただの雑兵ではない。ここにいる信徒たちの一人ひとりが、ギエナやアルトのような、魔法を使える高位の騎士に匹敵する魔力を行使していた。前衛の放つ光の結界や、後衛の放つ神聖な雷撃の密度は、かつて戦った帝国の"ハンプティ・ダンプティ"、サダルスウドをも遥かに凌駕しているほどだ。
それどころか、いくつかの集団が連動して放つ複合魔法にいたっては、"姫"が振るう暴力にすら肉薄するかもしれない。
これが、世界で最初に"聖典"を手にし、数多の"姫"を現世へと降臨させてきた宗教国家、プレアデス聖教国の底力。
この国がその長い歴史の裏で蓄えてきた、神聖という名の軍事力は、他国の常識を踏み躙るほどにデタラメで、理不尽だった。
ドォォォン! と、私の眼前に迫る三筋の光の槍。四方から退路を断つように収縮していく光の檻。
あまりにも苛烈な、息継ぎすら許さない教国の広域攻勢を前に、私はほんの一瞬だけ、圧倒されそうになって身を怯ませた。
――だが。
その怯えは、今の私の肉体を支配する"熱"によって、瞬時に消し炭へと変えられた。
「――今の私で、本当によかったわ」
私は冷徹に呟き、背中の奥に燻る焦熱の"根源"を強引に爆発させた。
もしもこれが、二日前の私だったなら。エレクトリアとのあの地獄のような訓練を経験する前の私だったなら、この絶望的な包囲網の前に、物語の出力を制御しきれず自滅するか、あるいは呆気なく圧殺されていただろう。
けれど、今の私は違う。
砕かれ、切り裂かれ、自らの罪と過去を無理やり喰らい尽くさせられたあの"門"の試練の先で、私は手に入れたのだ。己の魂の最深部から、変幻自在の出力を引き出すための"根源"の力を。
「退きなさい……ッ!!」
私は二対の、どろどろに溶けた硝子の翼を大きく背後で羽ばたかせた。
空間を支配する数千度の熱波が、迫りくる光の槍を、神聖な結界の構造そのものを外側から強引に焼き切り、融解させていく。普通の魔法を行使しているだけの凡庸な兵たちでは、世界の理そのものを上書きする力の前には、そもそもの格が違いすぎる。
前衛の騎士たちが放った長槍の突きを、私は翼の一部を柔軟な硝子へと硬化させることで、その物理衝撃を完全に吸収して受け止めた。
直後、意識の同調と共に翼の輪郭を鋭利な処刑の刃へと変形させ、一閃。
――ザザァァァンッ!!
高熱の硝子の刃が、信徒たちの強固な甲冑を、盾を、その魔力障壁ごと容赦なく一刀のもとに打ち据え、薙ぎ払っていく。壁に叩きつけられ、武器を手放して動けなくなった兵たちの足元へ、私は流動する硝子の液体を瞬時に流し込んだ。
液体は彼女らの手足を絡め取ると、一瞬にして冷やされ、強固な硬質硝子の枷となって彼らを床へと縫い付ける。
防御、打撃、拘束、そして無力化。
かつてあれほど手探りだった硝子の操作が、今は私の呼吸と同じ速度で、完全に一分の隙もなく噛み合っていた。廊下を埋め尽くさんとしていた百を超える教国の兵列は、私が数歩前進するだけの間に、文字通り一人残らず沈黙し、硝子の海の中に囚われていった。
私は、倒れ伏す信徒たちの間を、一度も視線を落とすことなく、ただ真っ直ぐに駆け抜けた。私の足を止めるべき鎖は、もうこの回廊には存在しない。
(――シャウル、シャウル、シャウル……っ!!)
私の胸の内で、心臓の鼓動が、焦燥という名のドラムとなって激しく鳴り響き続けていた。
カリオペが、あの慈愛の仮面を張り付けた最高司教が、何を考えているのかは分からない。シャウルを呼び出し、彼女に何をさせようとしているのかも、私の知る由ではない。
けれど、大したことのない用事であるならば、これほどの武装兵を配置してまで、私の動きを、私の視線をシャウルから引き剥がそうとしてくるはずがないのだ。何かが、私の預かり知らぬ致命的な何かが、あの無防備な従者の身に刻まれようとしている。
私の脳裏に、かつてヴァルゴ王国において、セファス王が私に静かに告げた、あの警告の言葉が鮮明に蘇ってきた。
『プレアデスは、誕生の地であると同時に――最も多くの"姫"を、終わらせた場所でもあるのだ』
誕生と、終焉。
聖域という名の、巨大な屠殺場。
あの最高司教カリオペは、世界を帝国から救うという大義名分を掲げながら、その裏で、すべての"姫"を、そして"姫"の近くにいる者たちを、冷酷な薪として炉の中に放り込もうとしているのではないか。その最極北であるこの地で、今、何が起きようとしているのか。
「すべては、確かめれば済むことよ……!」
私は階段を駆け上がり、大聖堂の奥深く、シャウルが滞在しているはずの客室へと続くエリアへと飛び込んだ。
視界が開ける。そこは、天井を支えるための巨大な白大理石の柱が何本も突き立つ、広大な、神殿のような回廊だった。ここを抜ければ、シャウルの部屋までは、あとほんの数十メートル。
確信と、ほんの少しの安堵とともに、次の一歩を踏み出そうとした、まさにその瞬間だった。
――キィィィィィィィィィィィンッ!!!
空間の整合性を、根こそぎ切り裂くような、不快で鋭利な金属音が、私の真横から飛来した。
「――っ!?」
肉眼で捉えるよりも早く、私の本能が、背中の翼を強引に防御の形へと展開させる。
直後、私の視界を過ったのは、月の光を乱反射させながら高速で回転する、一枚の磨き上げられた銀の円盤だった。
パリン――ッ!!!
「あ、ぐ……ぅっ!?」
激しい衝撃と共に、私の背中から伸びていた右側の硝子の翼が、その構造を根底から否定されるようにして、鮮やかに切り裂かれ、霧散していった。
ただの物理的な切断ではない。あの銀盤に触れた瞬間、私の魔力の脈動が強制的に断絶させられる、あの感覚。
私は床を滑るようにして数メートル後退し、手元に硝子の細剣を生み出した。そして、円盤が飛んできた方向――広い回廊の出口、シャウルの部屋へと続く唯一の扉の前へと、鋭い視線を向ける。
白煙と霧が、ゆっくりと引いていく。
そこに立っていたのは、真っ白な信徒のヴェールを頭上から厳かに垂らし、感情の読み取れない怜悧な双眸で私を見つめる、一人の少女の姿だった。
「――残念、あなたはここでモ、間に合わないのでス、ノクティア様」
エレクトリア・ヴェイル・シャロウム。
この二日間、私を徹底的に叩きのめし、私の魔法を文字通り喰らい尽くしてきた、聖域を閉ざす零落の聖女が、そこに立っていた――。




