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間に合わなかったシンデレラは、硝子の靴で戦場を踊る  作者: 入江 鋭利
19章「決意と裏面と災禍の足音」
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237話「不帰の来訪」

◆◇◆


 プレアデス聖教国の夜は、呼吸を止めたくなるほどに静謐だった。


 標高の高いこの地では、空気が薄く、そして鋭い。窓の外に広がる星々は、ヴァルゴ王国で見上げるそれよりも一際大きく、まるで誰かの意志を宿した瞳のように地上を冷たく見下ろしている。


 ザラ・シューエは、ノクティアの寝室と薄い扉一枚を隔てた自室の窓辺に腰掛け、その星空を眺めていた。  


 騎士として、主君を守るための警戒を怠るわけにはいかない。だが、この聖域の静寂は、否応なしに彼女を内省の深淵へと引き摺り込んでいく。



(――世界は広いな、スピカ)



 ザラは胸にそっと手を当て、心中で今は亡き妹の名を呼んだ。


 彼女の声は、誰にも届くことはない。それは、騎士としての仮面を脱いだ、一人の少女としての呟きだった。


 胸の奥に意識を集中すれば、微かに脈打つ魔力の残滓を感じ取ることができる。


 レグルス砦での動乱、あの絶望的な夜。硝子の兵となり、己の魂さえも物語の犠牲として捧げた妹の、最後の"欠片"。それが今、魔法の"種"としてザラの血肉に溶け込み、仄かな熱を保っている。

 

 しかし、時折、その熱が自分を責めているような錯覚に陥ることがある。


 なぜ生き残ったのが自分だったのか。妹を救えなかったこの腕で、なぜ今、彼女の力を振るっているのか。


 ザラがどれほど問いかけても、心臓の鼓動に混じった硝子の欠片は、沈黙を守り続けるだけだった。


(……今日の訓練、聖教国の騎士たちは強かった。あたしの剣は、一体どこまで奴らに通じるだろうか)


 "壊刃"の異名で恐れられた、剛の剣。重厚な一撃ですべてを叩き潰すその戦い方は、ザラが誇る最強の盾であり矛だった。


 そこに、魔法にて得た"速さ"と"しなやかさ"が加わった。柔の剣。


 理論上、ザラの実力は以前よりも遥かに高まっているはずだったし、事実、そのとおりだった。けれど、今日手合わせをした聖教騎士たちの、迷いのない、極限まで磨き抜かれた身のこなしを思い出すと、背筋に冷たいものが走る。


 ましてや、相手が騎士ではなく"姫"であったとしたら。


(――カノン。あの人の強さは、あたしの想像を絶していた)


 ザラが今までに間近で見た"姫"は、主君であるノクティア一人だった。


 それも、"雷神"グリスという強大な脅威を打ち倒すための共闘という、極限状況での記憶だ。戦場を冷静に俯瞰し、彼女の魔法の特性をじっくりと観察する余裕など、あの時にはなかった。


 しかし、先刻の大広間で行われた、カノンと聖教騎士の余興。


 それを目撃した時の衝撃は、今もザラの脳裏に鮮明に焼き付いている。


 圧倒的、という言葉すら生温い。


 カノン・ドロテア=エメラルダ。彼女が展開した"ドロシー"の変身魔法は、もはや戦技の域を超えていた。物理法則を弄び、相手の攻撃を誘っては、最も残酷な形で物語の結末を押し付ける。


 先日の"星の塔"での決着、ノクティアはカノンに勝ったと話していたが、今のザラの目から見れば、それは到底信じられない御伽噺のようにさえ感じられた。


(……もし、帝国が抱える"姫"たちが皆、カノン様と同格、あるいはそれ以上の化け物だったとしたら。……あたしに、何ができる?)


 未だ、ザラはノクティアのことを完全に信じられているわけではない。唯一の肉親を巡る確執は、そう簡単に消えはしない。


 それでも、自分の納得のために、戦い抜くと誓った。


 けれど、その誓いを支える実力が、あまりにも頼りなく思えてしまう。自分の剣は、あの"カカシ"の軌跡を一分でも追えるだろうか。自分の盾は、あの圧倒的な物語の重圧を、一秒でも耐え凌げるだろうか。


 不安が、毒のように心臓を侵食し始めた、その時だった。



「――だめだよ〜、騎士ちゃん。そんなに眉間にシワ寄せて悩み過ぎてると、お肌の大敵だぜぇ?」



 不意に聞こえてきた場違いなほどに戯けるような声。

「っ!?」


 ザラは反射的に腰の剣へ手をかけ、窓辺から跳ね起きた。


 部屋の扉は施錠されていたはずだ。気配を殺すことには長けている自負があるあたしの感覚をすり抜け、いつの間にか、彼女は侵入したのか。


 部屋の隅。月光が影を作る場所から、漆黒の髪を揺らしながらカノンが姿を現した。


「……カノン様。一体、どこから入られたのですか」


 ザラは騎士としての佇まいを整え、厳格な声で問いかけた。心中では激しく警鐘を鳴らしている。この女の前では、一瞬の油断も命取りになると。


「いぇいいぇい。あんまり驚かないでよ。この世界の理を無視して動くのが、あたしたち、"姫"の特権なんだしさ。不可能なんて言葉は、あたしの辞書には載ってないわけ」


 カノンは巫山戯た言葉遣いでピースサインを作りつつ、ふらふらと、しかし確実にザラの間合いへと歩み寄ろうとした。


「私にそれ以上近づかないでください。……私はまだ、あなたを100%信用したわけではありませんから」


 ザラは抜剣こそしなかったが、明確な拒絶の意志を込めて制止した。


 ノクティアの仲間であることを認めてはいるが、カノンの背後に漂う、計り知れない闇と"不帰"の虚無。それがザラの本能に、全力の警戒を促している。


「なぁんだよ、つれないな〜。せっかくおねーさんが、世間話でもしてあげようと思ったのにさ」 


 カノンは肩を竦め、わざとらしく大袈裟なポーズをとって見せた。


「ま、でも正解だよ、騎士ちゃん。その警戒心は大事。……あたしは別にあんたらの仲良しグループに入ったわけじゃないしね。単に、百年来の友達……あの髪長姫のお願いで、退屈しのぎに付き添ってるだけ。いつ背中から刺したって、不思議じゃないからね」


 その言葉は冗談のようでもあり、同時に残酷な真実を含んでいるようにも聞こえた。


 だが、次の瞬間。カノンから発せられていた軽薄な空気が、一瞬で消失した。


 月の光を反射する彼女の黒い瞳が、不気味なほどに凪ぎ、真剣な光を宿す。


「……でもさ、ぶっちゃけ。そんな疑心暗鬼(スカしたこと)言ってる暇、もう無いかもなんだわ。騎士ちゃん、あんたにお願いがあって来たの」


「……私に、お願い?」


 ザラは眉を寄せた。カノンほどの実力者が、今のあたしに何を求めるというのか。


「うん。もう、あんまり時間が無いんだ。……このまま、お話がプロット通りに進んじゃったらさ――」


 カノンは一歩、あえてザラの死角へと滑り込むように移動した。


 その表情は、先ほどまでのふざけた様子が嘘のように、死線を潜り抜けてきた戦士そのものの冷徹さに変わっていた。



「――ノクティアも。あの生意気でうるさいシャウルちゃんも。……あんたの大事な仲間、みんな死んじゃうかもしんないからさ」



 夜の冷気が、一層厳しく部屋の中へと吹き込んだ。


 カノンの宣告が、ザラの心臓を凍りつかせていった。



◆◇◆

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