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233話「禁忌の番人」

 "遺棄層"の深淵に、重々しい地響きが残響していた。


 三人の連携によって叩き伏せられ、少女たちの死体の山へと沈んでいった"青ひげ"。その姿が見えなくなったのを見届け、ギエナはふぅと短く息を吐いた。


「――なんだい、あいつぁ。礼服にピン跳ねの髭なんて、随分と不気味で悪趣味なやつじゃねぇか」


 ギエナは手にしたナイフを軽く回し、未だに立ち込める死臭に顔をしかめる。隣では、右目の眼帯を外し、異能を解放したままのアルトが、肩で息をしながらも倒れた怪人を注視していた。


「……"青ひげ"。この"遺棄層"の管理を任された、禁忌の番人です」


 バナビーの声は、勝利を確信した者のそれではない。むしろ、かつてないほどの重圧を押し殺したような、峻烈な響きを湛えていた。


「"青ひげ"? なんだそりゃ、剃り残しでもしたってんですかい、緊張感のねえ名前ですねぇ」


「名前の通り、愉快な道化ならいいのですが。この程度で、聖教国の暗部を守る番人が息絶えるとは思えません。……構えを解かないでください」


「って言ったって、バナビーさんよぉ。あんだけアルトの坊っちゃんと連携してブチ抜いてやりゃあ、流石に――」


 ギエナが、呆れたように肩をすくめて言葉を続けようとした、その瞬間。



「――んっ、ンー! 今のは、少々痛かったですなァ!!」



 奈落の底から、舞台の幕が上がるような高らかなバリトンが響き渡った。


「なっ……!?

 返事をする暇さえなかった。


 穴の中から、まるでバネ仕掛けの巨人のように飛び上がってきた"青ひげ"が、空中で拳を振りかぶる。


 標的は、最も無防備だったギエナだ。


 ドォン!!

 凄まじい衝撃波。


 ギエナの身体は木の葉のように殴り飛ばされ、背後の岩壁を粉砕しながら瓦礫の中へと消えた。砂煙が立ち込め、視界を覆う。


「――ギエナ隊長!」


「んっ、ンー。他人を気にしている場合ですかなァ、若き騎士殿ォ?」


 砂煙の中から、ぬるりと現れた"青ひげ"。


 彼は礼服の埃を払う所作と共に、鋭いフックをアルトへ放つ。


 アルトは反射的に後退し、手にした聖剣に魔力を集束させた。


「……させるか! "アルシャイン"!!」


 聖剣が纏った眩い光が、、闇を焼き切りながら"青ひげ"の右腕を根元から消し飛ばした。


 肉が焼け、骨が断ち切られる嫌な音が地下空間に満ちる。


「ンンー! ワガハイのエレガントな右拳がァ! 何てことだ、これではサインも書けないではないかァ!」 


 その隙を、砂煙の中から飛び出した"影"が突いた。

 

 魔法によって変質した、銀色の魔力の奔流。


 硝子の鬣を荒れ狂わせ、巨大な獅子の魔力を纏ったギエナが、瓦礫を蹴り立てて肉薄する。


 獣の如き瞬発力で放たれた五筋の爪が、"青ひげ"の胸部を無残に、そして深く引き裂いた。



「――禁忌の番人だかなんだか知らねえですけどねぇ。殺して死なねえ人間なんて、この世にはいねえんだよッ

!!」


 ギエナの怒号と共に、今度こそ心臓を抉られたはずの"青ひげ"が、糸の切れた人形のように再び地面へ倒れ伏した。


 そして、静寂。


 ギエナは獣化を解き、荒い呼吸を整えながら、血に濡れた己の爪を見つめた。


 だが、バナビーの盾はまだ下りていない。


「……まだです。お二人とも、……まだ終わっていない!」


「いや、バナビーさんよ。流石に大丈夫だろ。右腕はアルトが消し、心臓は俺が引き千切った。ここまでやれば、どんな化け物だって――」


 そう、ギエナが呟いた、まさにその刹那。


 ――ガッ!!


「ぐ、ふぅっ!?」


 アルトの身体が、紙切れのように横合いから殴り飛ばされた。


 信じられない光景。アルトを殴ったのは、先ほど光の魔法で跡形もなく消し飛ばしたはずの、再生した"青ひげ"の右腕だった。


 地面を転がるアルトを、見下ろす巨体。


 "青ひげ"は、何事もなかったかのように立ち上がり、重厚な革靴でアルトへの踏みつけ(ストンプ)を放とうとする。


「この野郎ッ!!」


 獅子と化したギエナが再び飛びつき、その攻撃を阻止する。


 そして、超近距離で"青ひげ"の身体を抑え込んだギエナは、その瞬間に気がついた。


(――おい、冗談だろ……?)


 先ほど、確かに自分の爪でズタズタに引き裂いたはずの礼服の下。


 そこにあるのは、傷一つない、陶器のように滑らかな肌だった。


 引き裂いたはずの胸、消し飛ばしたはずの腕。それらすべてが、まるで最初から存在しなかったかのように、元通りに修復されている。


「――ネズミ如きが、おイタが過ぎるようですなァ……!」


 "青ひげが低く笑う。


 その瞬間、周囲に積み上げられていた失敗した"姫"たちの遺体が、不気味な青白い輝きを放ち始めた。


 光の粒子が"青ひげ"の腕へと吸い込まれ、彼の右腕がまるで空気を送り込まれたポンプのように、異常なまでに膨れ上がっていく。

 

 メリメリ、と筋肉が爆ぜる音。


 先ほどまで膂力で押していたはずのギエナが、逆に片腕一本で押し返されていく。


「……てめぇッ……不死身かよ……ッ!」


「んっ、ンー! 明察! 素晴らしい洞察力だァ!」


 "青ひげ"は芝居がかったように、空いた片手で敬礼をした。そして、その不気味な膨張した拳を構える。



「番人は死なずぅ! とりわけ、この禁忌を煮詰めた"開かずの部屋(コレクション・ルーム)"において、ワガハイは絶対にして普遍……! 屍の数だけ、ワガハイの物語は何度でもリセットされるのである!!」



 ドォォォン!!


 超近距離で放たれたアッパーカットが、ギエナの顎を正確に捉えた。


 獅子の筋骨さえも貫通する暴力的な衝撃。


 ギエナの身体は重力を無視してかち上げられ、天井の岩盤へと叩きつけられてから、力なく地面に落ちた。


「ギエナ、さん……!」


 立ち上がろうとするアルトの前に、再び"青ひげ"が、一糸乱れぬ礼服姿で悠然と立ち上がる。


「さァ。演目はまだ序盤だァ。次の方は、どなたですかなァ?」


 遺棄層の暗がりに、絶望的なまでに無欠な怪人の笑い声が、高く、高く反響し続けた。


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