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231話「"遺棄層"」


 プレアデス聖教国の首都アルキオネは、天を衝くような巨岩の断崖の上に築かれている。見上げれば、そこには神の御座の如き白亜の都が、月の光を浴びて神々しく輝いていた。


 しかし、その直下――垂直に切り立った岩壁の根元に位置する"男性領"の最奥部は、光すらも辿り着くことを拒まれた、この世の終わりのような場所だった。


 湿った冷気が岩肌を伝い、足元には行き場を失った汚泥が溜まっている。


 先導するバナビーの背中は、深い影に溶け込んでいた。その後ろを、右目の眼帯を締め直したアルトと、警戒を緩めぬギエナ、そしてバナビーの影に寄り添うメロフィが静かに歩を進める。


 不意に、バナビーが前を見据えたまま、乾いた声を響かせた。


「お二人は、"姫降ろしの儀"について、どこまでご存知ですかな?」


 その問いは、場違いなほどに理知的で、同時に不穏な響きを帯びていた。


「……そりゃあ、この世界の女の体に、"聖典"を媒介にして異世界の人間の魂を降ろす。……そんで、その魂が持ってる"物語"を魔法として出力する……。おじさんたちが知ってるのは、そのくれえですよ」


 ギエナが、足元のガラクタを蹴飛ばしながら答えた。


 バナビーは一度だけ、重々しく頷く。


「ええ。その認識で間違いございません。我が主、ミラク様も。そしてあなた方の主、ノクティア様も……。この世界を生きる肉体に、本来は存在し得ぬ別世界のお方が宿っている」


「……それが、どうしたんですかい? 今さら基本をおさらいしようってわけじゃねえでしょう?」


 ギエナの鋭い眼光が、バナビーの横顔を射抜く。


 傭兵として数多の戦場を渡り歩いてきた彼は、この老紳士が情報を小出しにして、自分たちの精神を特定の方向へ導こうとしていることに気づいていた。


「では、その儀式の"成功率"はご存知でしょうか?」


「成功率……?」


 アルトが思わず言葉を漏らした。


 そんなことを考えたこともなかった。王国において、ノクティアやアルフェッカ――"姫"たちは、当然のようにそこにいたからだ。


「そんなの、一介の騎士が知る由も……」


「……いや、待てよ、坊っちゃん」


 アルトの言葉を遮るように、ギエナが口角を皮肉げに歪めた。


「細けえ数字はわかんねえですがね……おそらく、低くはねえでしょうよ。もし成功率がギャンブルみたいな数字なら、グラスベル伯のお嬢様や、帝国の貴族令嬢が率先して自分の体を差し出すなんてたぁ考えづれえ。名門の跡取り娘を、ドブに捨てるような真似はしねえはずだ」


 ふむ、とバナビーが足を止めずに鼻を鳴らした。


「流世は、"砂の鬣"ですな。……全く、その通りですとも」


「男に褒められたって嬉しかねえですよ。それがどうしたって――」


「……もっとも、それは"他国に輸出された聖典"を使えば、という前提条件がつきますがね」


 その言葉に、ギエナの眉がピクリと跳ねた。


 アルトもまた、眼帯に覆われていない左目を大きく見開く。


「……そりゃあ、どういう意味ですか?」


「簡単な話ですよ。プレアデスは世界で唯一"聖典"を産出している国だ。彼らが他国に卸しているのは、長い年月をかけて選別され、安定性が保証された高品質な"聖典"なのです。……故に、他国で行われる"姫降ろしの儀"は、成功率が非常に高い。……失敗して外交問題になることを、彼らは嫌いますから」


 バナビーはそこで一度言葉を切り、頭上の白亜の都を、冷徹な目で見上げた。


「……ちょっと待ってください。その言い方だと、まさか……!」


 アルトの顔から血の気が引いていく。

 騎士としての直感が、この先に待つ最悪の結論を予見していた。


「ええ、そうです。……物語の整合性が取れないもの、魔法の出力に疑問符がつくもの。そういった"質の低い聖典"は、すべてプレアデス国内で消費されている。……他国で儀式が失敗すれば騒ぎになりますが、自国内であれば、いくらでももみ消せます。……ここは、世界で最も"姫"が生まれ、そして消える場所なのです」


 バナビーの言葉は、冷たい刃となって一行の心臓を抉った。


「……バナビーさんよ。あんた知ってんのか? 質の低い"聖典"とやらを使って……儀式に失敗した場合、その"器"になった娘たちは、どうなるのかを」


 ギエナの声は、低く、押し殺した怒りに震えていた。

 バナビーは振り返らず、ただ静かに答える。


「――ええ。そして、あなた方もすぐに、知ることになります」


 その瞬間だった。


 今まで湿り気とカビの匂いしかしていなかった風に、耐え難いほどの腐敗の臭いが混じった。


 それは単なる肉体の腐爛臭(ふらんしゅう)ではない。


 魔力が暴走し、焦げ付き、魂が摩耗して消え去った後のような……。この世の終わりを濃縮したような、悍ましい死臭。


「……っ、これ、は……!!」


 アルトが咄嗟に口元を押さえた。

 眼帯の奥にある、かつての戦傷が疼く。魔力で灼かれた傷痕が、警鐘を鳴らしているようだった。


 バナビーが足を止めたのは、崖の基部にぽっかりと開いた、巨大な縦穴の縁だった。


 そこには、かつて"聖域"から廃棄された資材や瓦礫、そして――。



「……そう。ここは、聖教国の暗部。……"失敗"した"姫"たちの墓場。――"遺棄層(グレイブヤード)"です」


 

 バナビーが掲げたランプの光が、穴の底を照らし出した。


 そこに横たわっていたのは、無数の、少女たちの残骸だった。


 華やかなドレスを纏ったままのものもあれば、下着同然の姿で折り重なっているものもある。


 ある者は肉体が変異し、ある者は虚空を見つめたまま焦点が合わず、ある者はただの物言わぬ肉塊へと成り果てていた。


 彼女たちは、異世界の魂を完全に降ろすことができず、かといって元の自分に戻ることも叶わなかった。物語という名の毒に冒され、中途半端に壊れた人形のように、ここに投げ捨てられたのだ。


「……なんて、ことだ……」


 アルトの膝が、ガクガクと震え始める。


 この美しき聖教国の繁栄。その礎には、こうして不良品として処理された無数の少女たちの命が、ゴミのように積み上げられている。


「プレアデスは、この屍の山の上に"物語"を綴り続けている。……ノクティア様も、ミラク様も、彼らにとっては代替の利く"優れた標本"に過ぎないのです」


 バナビーの声が、墓場の底に冷たく反響する。


 ギエナは言葉を失い、ただ目の前の光景を睨みつけていた。


 メロフィはバナビーの服の裾を強く握り、静かに目を閉じている。


 死臭が、夜の帳を支配していた。

 

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