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228話「白羽の矢」


「――カノン、お願いできるかしら?」


 私の震える声が、静寂に包まれた大広間に響いた。


 視線の先、頬杖をつき、脱力しながらも、その立ち居振る舞いから隠しきれない"戦場の匂い"を漂わせている女性――カノン・ドロテア=エメラルダが、退屈そうに葡萄ジュースのグラスを弄んでいる。


 彼女は、私たちが保有する文句なしの最高戦力だ。


 百年の時を戦い抜いてきた経験を持つ、旧き時代の"姫"。そして、"ドロシー"の物語を宿す者。


 本来ならば、プレアデスという得体の知れない国に対して手の内を晒すべきではないのかもしれない。けれど、リラとカノンが旧知の間柄である以上、隠し立てする意義は薄かった。


 何より、試練に挑み消耗した今の私では、あの異様な圧力を放つ"聖教騎士"の相手を勤めることなど、到底不可能だった。


 しかし、私の期待に反して、カノンはグラスから視線を外すことすらしなかった。


「はぁ? あたし? ……なんでよ、だっる」


 心底嫌そうな、ぶっきらぼうな声。


「……え?」


「そりゃそうっしょ。あたしが、あの"髪長姫(わかづくり)"から頼まれてんのは、あんたらの護衛だけだもん。あんな中身のねえ筋肉ダルマ相手に、なんでおねーさんが踊ってやらなきゃいけないわけ?」


「そんな、でも、あなたしかいないのよ……! 見て、あの騎士のプレッシャーを。ザラはまだ魔法を馴染ませている最中だし、シャウルは戦えないし……」


 私が言い淀むと、カノンはついにグラスを置き、椅子の背もたれに深く体重を預けて私を睨んだ。


「そんなん、ノクティアちゃんが戦えばいいじゃん。こないだの戦いじゃ、あたしだって倒して見せたんだしさ。あんなデカいだけの鉄屑、余裕っしょ?」


「……今の私じゃ、そんな力は出せない。あなたも、わかってるはずでしょ」


 自嘲気味に呟いた私の言葉に、カノンは鼻を鳴らした。

 私は、あの"狂想の庭"で見た地獄に足を取られている。自分が"こはる"なのか"ノクティア"なのか、その境界線が曖昧になっている。


 少なくとも、カノンを倒した際に行使した"根源"の力は使えない。


 そんな私の情けない姿を見て、カノンの朱色の瞳に苛立ちの光が宿った。


「――っ!」


 突如、背中に凄まじい衝撃が走った。


 カノンが立ち上がりざま、私の背中を思い切り叩いたのだ。


「カノン、何を……!」


「あー、うるせえうるせえ! ノクティア、あんた。そのウジウジした性格、さっさと直した方がいいよん」


 カノンは面倒そうに頭を掻きながら、私の隣を通り過ぎてホールの中心へと歩み出していく。その歩調に合わせて、彼女が纏う空気の色が、倦怠から鋭利な殺気へと塗り替えられていくのが分かった。


 彼女は首をコキコキと鳴らし、指の関節を一本ずつ確かめるように弾いた。


「ま、いいや。今回はあのアホ鳥(ナイチンゲール)の口車に乗ってやるか。せっかくいいメシ食わせてもらったんだし、少しはカロリー消費しとかないとね。それに――」


 カノンは足を止め、肩越しに私を振り返った。その唇には、かつて戦場で多くの敵を恐怖させたであろう、不敵な笑みが浮かんでいる。


「――たまには後輩に、おねーさんのかっこいいところを見せてやんないとね」


「……カノン」


「ま、見てな。本物の物語の畳み方ってやつをさ」


 夜空のように黒い髪を風に揺らし、カノンが白大理石の舞台へと踏み出す。


 彼女は女性としては背が高い方だが、目の前に立つ巨像との対比はあまりにも残酷だった。


 二メートルを優に超え、分厚い白銀の装甲に身を包んだ聖教騎士。その脚はカノンの胴体ほども太く、握り拳は人の頭部ほどもある。


 並んで立てば、まるで巨木の前に立つ小鹿。あるいは、城壁の前に立つ子供にしか見えない。

 

 しかし、広間に集まったプレアデスの騎士たちの視線は、巨躯の騎士ではなく、その前に立つ小柄な影へと注がれていた。彼女が放つ、周囲の空気を焼き切るような圧倒的な実戦の気配。それは、どれだけ飾り立てた鎧でも隠しきれるものではない。


「それではぁ、ノクティア様側の代表者も揃ったようですのでぇ……。始めましょうかぁ」


 ホールの上階。小夜啼鳥を肩に乗せたリラが、鈴を転がすような、しかし底冷えする合図を告げた。


「今宵の座興、魔法戦闘演武――幕開けです!」


 その瞬間、大広間の空気が爆発した。

 

 ズォッ、という、空気が圧縮される不気味な音。


 先ほどまで彫像のように動かなかった聖教騎士が、その巨躯に見合わぬ爆発的な踏み込みを見せたのだ。

 

 白大理石の床が凄まじい衝撃でクモの巣状に砕け、石礫が周囲に飛び散る。


 聖教騎士の右腕が、巨大な鉄槌となって振り抜かれた。


 回避不能とも思える速度。ただの人間であれば、その風圧だけで肉を裂かれ、骨を砕かれるであろう破壊の奔流が、最短距離でカノンへと迫る。


 対するカノンは、ナイフすらもも構えぬまま、棒立ちでその巨拳を迎え撃とうとしていた。


「カノン、避けて――!!」


 私の悲鳴が広間に響くのと同時。

 巨拳が、カノンの眼前に肉薄する。

 

 しかし、その刹那。


 カノンの朱色の瞳に宿ったのは、恐怖ではなく――狂おしいほどの歓喜の光だった。


 激突まで、あと数センチ。


 轟音と共に、聖域の夜が、暴力の熱に包まれようとしていた――。


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