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225話「宴の最中」


 プレアデス聖教国の中枢に位置する大広間は、祝祭の場というよりも、やはり厳かな礼拝堂の延長線上にあるように見えた。


 高い天井を支える白大理石の柱には、精緻な彫刻が施された燭台が並び、柔らかな蜜蝋の灯りが、室内を淡い黄金色に染めている。窓の外にはアルキオネの夜景が広がり、標高の高いこの地ならではの、刺すように鋭い星々が、沈黙を守る街を見下ろしていた。


 テーブルに並べられた料理は、王国の晩餐会のような華美な色彩を欠いていた。


 澄み切った黄金色のスープ、滋味溢れる山の幸を煮込んだ素朴な一皿、そして焼きたての無発酵パン。贅を尽くしたフォアグラやトリュフといった食材こそないものの、それらはどれも、素材の持ち味を極限まで引き出した、誠実な祈りの味がした。


 けれど、私の喉は、その滋味豊かなスープの一口すら受け付けようとしなかった。


(……美味しいはずなのに。何も、味がしない)


 私は銀のカトラリーを持ったまま、自分の皿を見つめていた。


 脳裏にこびりついて離れないのは、数時間前に"狂想の庭"で見せられた、あの灰色の幻影だ。

 

 温かなシチュー。ちはるの笑い声。


 そして、奮発して買った、あの赤いイチゴの乗ったクリスマスケーキ。

 

 あの日、私がどれほど望んでも叶わなかった"やり直し"の光景。


 それは、幻影であるとわかっているはずなのに。

 

(……今度こそ、お腹いっぱいケーキを食べさせてあげられると思ったのに。また、私は間に合わなかった。……ううん、私は、間に合うことを拒んでしまったんだわ)


 自分が選んだ道。ノクティア・グラスベルとして生きる決意。


 それが正しいと信じようとすればするほど、かつての"こはる"としての魂が、剥離した傷口のように疼く。


 周囲では、シャウルが「これ、お野菜の味が濃いっす!」と無邪気な顔で感心し、ザラが騎士らしい礼儀正しさで黙々と食事を進めている。カノンは酒の代わりに供された葡萄ジュースに「甘ったるいんだよ」と毒づきながらも、意外に量はこなしていた。


 皆、前を向いている。私だけが、泥のような未練に足を囚われている気がして、私は深く頭を垂れた。



「……何しょぼくれた顔してるのよ。見てるこっちの食欲まで減退するじゃない」



 不意に、すぐ隣から鋭い、けれどどこか聞き覚えのある高慢な声が届いた。


 顔を上げれば、そこには少しだけ顔色の戻ったミラク・シュピーゲル=セプテニアが座っていた。先程見た時に比べ、彼女の白い肌には少しだけ血の色が戻ってきている。


 そして、その双眸が、決して折れることのない意志を宿して私を射抜いていた。


「……ミラク」


「一度や二度、試練に失敗したくらいで、そんなに沈み込まないの。無様だわよ、ノクティア・グラスベル」


 ミラクは、繊細な手つきでグラスを傾け、澄んだ水を一口含んだ。


 私を突き放すような言葉。けれど、その横顔には、つい数時間前、あの門からボロボロになって弾き出された者同士にしか分からない、共鳴の響きがあった。


「……あなただって、ひどい状態だったじゃない。あの門の向こうで、何を見てきたの?」


「私? ……そうね。一発で突破できたわけじゃないわよ、私も。何日もかけて、あの"狂想"の中に身を浸して、少しずつ……少しずつ、自分の犯した罪と過去を受け入れていったのよ。……それだけの話」


 ミラクは自嘲気味に口角を上げた。


 かつて帝国の"姫"として、融和を叫び、奔走していた彼女。その彼女が、プレアデスに落ち延び、今は自分自身を削るような修行を強いている。その理由が、単なる"負けず嫌い"ではないことを、私は本能的に感じ取っていた。


「……あなたも、そこまでして力が必要だったの?」


「……ええ。必要よ。今の私には、守るべきものが多すぎるもの」


 ミラクは視線を落とし、絞り出すような声で続けた。


「アケルナルを失って、エリダヌス連邦は弱体化の一途を辿っているわ。今はまだ機能を守っているけれど、実態はボロボロよ。腑抜けてしまった人魚兵団じゃ、もう迫りくる帝国の物量と兵力は抑え込めない。……私が、私自身の物語を極限まで純化させなければ、あの国は今度こそ地図から消えるわ」


 ミラクの言葉には、かつての自己中心的な傲慢さではなく、一国の守護者としての重すぎる覚悟が宿っていた。


 そして、彼女は一つの深い息を吐くと、その視線を一段と鋭く、冬の刃のように研ぎ澄ませた。


「それに、……私は、リベンジしなきゃいけないの。あのふざけた女――"かぐや姫"に」


「……"かぐや姫"? それって、もしかして……」


「そう、帝国の"姫"の一人よ。……バナビーと共にお祖父様を連れて脱出する際、私たちの前に立ち塞がった……月夜に狂った、化け物」


 ミラクの手が、白大理石のテーブルの上で白く染まるほどに握り締められた。

 

「私とバナビーの二人がかりでも、多くの犠牲を払って、辛うじて、本当に辛うじて撤退させるまでが限界だった。……圧倒的だったわ。物語の密度も、魔法の出力も、そして何より……一切の意思疎通を拒絶する、あの"狂気"が」


 ミラクの目には、恐怖を塗り潰さんとする憤りの炎が灯っていた。


 帝国の"姫"。


 アンタレスやアダーラ、アルゴラ。それらに並ぶ、あるいは凌駕するかもしれない新たな脅威の名前を、私は初めて耳にした。


 この世界は、物語たちの死骸を積み重ねてできている。その"竹取物語"の具現者は、一体どれほど歪んだ物語を抱えているのだろう。


「……悪いけど、足並みを揃えてなんてあげないわよ。さっさと自分の殻を破って、その試練を越えなさい、ノクティア。……じゃないと、置いていくから。あんたに、私の背中を守る資格がないと判断したらね」


「ふん」と鼻を鳴らして、ミラクは私から視線を外した。

 けれど、その言葉の端々には、「あんたならできるはずだ」という不器用な鼓舞が隠されていた。



 ――置いていく。



 その言葉が、私の凍りついていた心臓に、小さな、けれど確かな熱を灯した。


(そうね。……いつまでも、灰の中で泣いているわけにはいかない)


 私が救いたいと思った人々。

 隣で戦ってくれる仲間たち。


 そして、今、こうして私をライバルとして認め、焚きつけてくれるミラク。


 彼女たちの未来を、帝国に塗り潰させるわけにはいかない。


 私は、深呼吸を一つした。


 鼻を突いていた消毒液の匂いが、ようやく、聖教国の清浄な空気の匂いへと上書きされていく。


 食事を摂り、体力を戻し、精神を立て直す。

 明日の朝、もう一度、あの"門"に向かうために。


「……ありがとう、ミラク。……お肉、一口もらうわよ」


「……勝手にしなさいよ。行儀の悪いシンデレラね」


 私は、自らの皿に向き直り、銀のフォークを伸ばした。


 失われかけていた感覚が、指先から戻ってくるのを感じながら。


 しかし。


 

 一口目の料理を口に運ぼうとした、まさにその瞬間だった。



「……っ!?」


 私の視界の端。


 この広大な、潔癖なまでの大広間の、その一角に、私はとんでもないものを見つけてしまったのだった――。


 

 

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