223話「修行―"壊刃"と"ドロシー"」
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白い大理石が敷き詰められた"第一修練場"には、絶え間なく硬質な金属音が反響していた。
中心で立ち回るのは、ヴァルゴ王国の近衛騎士、ザラ。彼女は今、プレアデス聖教国が誇る"白銀騎士団"の精鋭三人を相手に、一歩も引かぬ組み手を繰り広げていた。
ザラの全身からは、青白い魔力の燐光が噴き出している。
亡き妹スピカの魂の欠片――魔法の"種"を宿した彼女の動きは、かつての重厚な剣筋とは一線を画していた。一瞬で間合いを詰め、硝子の刃が閃光の如く空を裂く。
だが、その一撃は、プレアデスの騎士が掲げた盾によって、まるで見透かされていたかのように弾かれた。
(――こいつら、一人ひとりがとてつもなく強い……!)
ザラは荒い呼吸を整えながら、背筋を走る戦慄を押し殺した。
相手は"姫"ではない。にもかかわらず、その身のこなし、剣の一振りに至るまで、一切の無駄がない。それどころか、盾や剣の表面に微かな魔力の揺らぎを感じる。
おそらく、プレアデス騎士団の構成員は、全員が何らかの形で魔法の"種"を授けられた、魔法の使い手なのだ。その練度は、魔法という一点に限っては、ザラを遥かに凌駕する。
(――焦るな、私。相手を、よく見ろ)
"第一修練場"を去る前に、リラがザラに言い渡した修行の内容は、とにかくただひたすら、"白銀騎士団"の精鋭と撃ち合うことだった。
「そっちの子に必要なのは、とにかく魔法の力を身体に馴染ませることだねえ。なら、実践が一番だよぉ」
退屈そうに指先でヴェールを弄びつつ、そう口にしたリラ・マイアの姿が、ザラの脳裏に去来する。
「"姫"と違って、自分だけの"物語"も、魂の底にある"根源"も持たない……ただ、溢れた力の一部を受け取っただけの存在はねぇ、とにかく反復練習で力を肉体に染み込ませるしかないんだよぉ。そうしないと、そのうち自分の中にある"種"に食い破られちゃうからねぇ」
(……っ、駄目だ、もっと、もっと魔法の力を馴染ませなくては……!)
ザラはそう思考し、再び地を蹴った。
だが、その表情は少しも晴れていない。速さと力は手に入れた。しかし、それを操る自分自身の感覚が、まるで他人の手足を動かしているような、剥離した感覚を拭い去れずにいた。
訓練の様子を、少し離れた場所で腕を組んで眺めていたカノンは、鼻を鳴らして溜息を吐いた。
(……筋は悪くないじゃん。センスはあるよ。でもさ、これじゃあ宝の持ち腐れだね)
カノンの瞳は、ザラの動きを冷徹に分析していた。
かつて百年の時を戦場に捧げた、旧世代の"姫"からすれば、今のザラの剣技は、脆く危うい砂上の楼閣のように映る。
(あの子、普段は肉厚の重い剣で、力任せに押し切る戦い方をしてたはずだ。それが魔法を使うと、細身のレイピアに変わる。獲物を持ち替えたのに、戦い方の"芯"が上手くスイッチできてないんだ。だから、ほんの一瞬だけ――加速する直前に、古い癖と新しい力が喧嘩して、迷いが動きを鈍らせてる)
カノンは視線を外し、天井の複雑な意匠へと向けた。
アドバイスの一つでも投げてやればいいのだろうが、あいにくカノンは親切な教育者ではない。何より、今はそれ以上に"嫌な気配"を感じていた。
「……よお、シスター女。あたしに何か用?」
カノンは視線を動かさぬまま、背後から音もなく近づいてきた気配に声をかけた。
そこに立っていたのは、最高司教カリオペの傍らに控えていた聖女――否、"姫"の一人だった。
銀白色の法衣は一点の汚れもなく、後ろでひっつめた髪型が、彼女の神経質そうな、それでいて鋭利な美貌を際立たせている。腰には、宗教的な装飾が施された細身の剣を帯びていた。
「……無いよ、深い意味は。見たかっただけ、音に聞こえる王国の"ドロシー"が、どれほどのものか」
少女はカノンの隣まで来ると、一度も彼女と目を合わせることなく、ザラの訓練を見据えた。
その喋り方は、奇妙なほどに倒置を多用する、プレアデスの古い言語体系の影響を思わせるものだった。
「へえ、なら、残念だったね。あたしは今、やる気も訓練の必要もないんだわ。だから、手の内も見せてやんないよ。見世物じゃないしね」
カノンが毒づくが、少女の表情は氷のように変わらない。
「わかってる。完成してるもの、あなたの力は。……無用です、あなたへの教導は。ただの確認です、現在の実力を。」
少女はそう言うと、わずかに目を細めた。
その視線には、慈悲も憎しみも、人間的な感情が一切欠落している。
カノンは内心で舌打ちをした。
(……やっぱ、聖教国の連中は信用ならねえな。このシスターも、あの最高司教も。何か、腹の裏っ側に、どす黒いものを抱えてやがる)
カノンが少女を睨みつけ、一触即発の空気が流れた――その、刹那だった。
修練場の最奥にある"門"――空間の歪みが、爆発するかのような脈動を始めた。
「――っ!?」
ザラが騎士たちとの組み手を止め、カノンが思わず立ち上がる。
歪みはドス黒い赤紫の閃光を放ち、内側から引き裂かれるようにして口を開けた。
バリン、という、巨大な硝子が粉々に砕け散るような異音が修練場に反響する。
次の瞬間、歪みの中心から一人の少女が弾き出され、純白の床面へと滑り落ちた。
「お嬢様!!」
隅の方で、震える手で祈るように待っていたシャウルが、真っ先に悲鳴を上げて駆け寄る。
「ノクティア……!」
床に倒れ込んだのは、間違いなくノクティアだった。
だが、その姿はあまりに異様だった。
先ほど帰還したミラクも酷い状態だったが、今のノクティアは、それすらもマシに見えるほどに憔悴しきっている。
顔面は死人のように蒼白で、唇は血の気が引いて紫色に変色している。
激しく肩を上下させ、呼吸は喘息のように絶え絶えだ。
何より、彼女の瞳は虚空を見据えたまま、焦点が全く合っていない。まるで、魂の一部をあの門の向こう側――"狂想の庭"の深淵に置き忘れてきてしまったかのように。
「……ぁ……っ、ち……は……」
ノクティアの震える唇から、掠れた、消え入りそうな呟きが漏れる。
彼女を抱き起こしたザラは、そのあまりの冷たさに息を呑んだ。
「お嬢様! しっかりしてください! 私です、ザラです!」
ザラの必死の呼びかけにも、ノクティアは反応しない。
彼女の指先からは、制御を失った硝子の欠片が、灰のように脆く崩れては消えていく。
「……お嬢様、一体何を、何を見たんすか……?」
慄く声と共に、シャウルが静かに門を見上げた。
物語の"根源"に触れた代償。
それは決して、小さくはなく。
静まり返った修練場に、シャウルの啜り泣く声だけが虚しく響き渡っていた。




