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214話「狂想の庭」


 大聖堂の厚い扉が開かれた先、私たちはリラ・マイアに導かれて、"第一修練場"と呼ばれる場所へと足を踏み入れた。


 回廊を抜けた東側に位置するその施設は、外観から想像していたよりもずっと広く、天井が高い。石造りの壁面には、プレアデスの潔癖さを象徴するように一点の曇りもない白銀の装飾が施されている。窓は高い位置に細く開けられ、そこから差し込む直線的な光が、浮遊する微細な塵を白く照らし出していた。


(広い……。前の世界で通っていた、高校の体育館くらいはあるかしら)


 ふと、そんな場違いな比較が頭をよぎる。けれど、ここで行われている"授業"の内容は、私が知る世界のそれとは天と地ほども違うはずだ。


 床には魔力伝導率を高めるためか、複雑な幾何学模様の銀細工が埋め込まれている。空気がピンと張り詰め、肺に吸い込むたびに喉の奥が微かに痺れるような、高濃度の魔力密度。


 そして、その広大な修練場の最奥。


 壁際に、異様な存在感を放つオブジェが鎮座していた。


 二本の石柱を立てただけの、簡素な"門"。けれど、その柱の間にあるはずの景色は、異常な歪みを帯びていた。まるで、そこだけ空間が水飴のように溶け、あるいは陽炎のように激しく揺らめいている。


 見つめているだけで平衡感覚が狂い、意識が吸い込まれそうになる不気味な光景。


「……リラ、あれは何?」


 私が尋ねると、先導していたリラがゆらりと足を止め、ヴェールの下で満足げに頷いた。


「あそこはねぇ、"狂想の庭(リメンバー)"と呼ばれているんだぁ」


「狂想の、庭……?」


「そう。プレアデスで目覚めた"姫"は皆、ここで自分の"根源"を見つめ直すんだよぉ。そうして、自分の中に宿る"物語"との親和性を高め、真に自分自身の力として定着させていく。……いわば、"姫"としての再誕の儀式場だねぇ」


 リラは細い指先で、揺らめく空間――門の向こう側を指差した。


「あの門の先に進めば、あなたは自分の"根源"を体験することになる。条件は簡単だよぉ。最後まで自分の"根源"を見つめて、自分の足で帰ってくること。それができればこの修練は達成。晴れて、実戦形式の魔法教導に移行できるっていう寸法だねぇ」


 リラの朗らかな説明を、後ろから冷ややかな声が遮った。


「……けっ、相変わらず趣味の悪い装置だねぇ、プレアデスは」


 カノンが、吐き捨てるようにそう言った。


 彼女は門を見つめる瞳を険しく細め、不快感を隠そうともせずに腕を組んでいる。


「別にぃ、オバサンは参加しなくていいよぉ? あなたはもう、嫌というほど自分の"根源"を使いこなしちゃってるしねぇ。……というより、()()()()()()()()()()のかなぁ?」


「そりゃお前もだし、言われたってやんねーよ、こんな糞ったれな真似。……ノクティア、これ多分、お前が思ってるよりずっとキツいぞ」


 カノンが、私の隣まで歩み寄り、低い声で忠告してきた。


「……私が、思っているより?」


 正直、ピンと来ない。


 あの門の向こうに行き、自分の物語――私なら"こはる"の真実を見つめる。それは、あの夜に見た"間に合わなかった自分"と再び向き合うということだろうか。


 精神修養、あるいは瞑想のようなものだと、今の私は楽観的に考えていた。門の先に座り、自らの内面を深く掘り下げていく。確かに辛い作業かもしれないけれど、血を流すような戦いに比べれば……。


「……甘いねぇ。お前、これがただのイメージトレーニングだとでも思ってんのか?」


 カノンが私の内心を見透かしたように、鼻で笑った。


「あそこは、物語の残滓が形を持って襲いかかってくる場所だ。お前を"悲劇"に引きずり戻そうとする、自分自身の過去との殺し合いだよ。……お前が呑み込まれれば、お前の人格はその物語に上書きされて、二度とこっちには戻ってこれねえ。……文字通り、中身が"物語の住人"に入れ替わっちまうんだよ」


 カノンの言葉に、私は背筋が凍るのを感じた。


 リラが言っていた「完結させられる」という言葉の真意が、ようやく冷たい現実味を帯びて迫ってくる。


 ザラが私の前に一歩出た。


「お嬢様をそのような危険な場所に通すわけにはいきません。リラ・マイア、もっと安全な修練法はないのですか」


「ないよぉ。これは、プレアデスが百年かけて磨き上げた唯一無二の、最短ルートなんだから。……嫌なら、今の未熟なままで帝国と戦うしかないねぇ。……どうする? ノクティア」


 リラはヴェールの下から、私に問いかける。


「……私、は」

 

 答えを出そうと唇を震わせた、その瞬間だった。


「……っ、何!?」


 突然、修練場の空気が悲鳴を上げるように軋んだ。


 最奥にある"門"――あの空間の歪みが、まるで意志を持った巨大な生き物のように、激しく波打ち始めたのだ。


 水面に大きな石を投げ込んだかのように。あるいは、何かが内側からその膜を破ろうとしているかのように。


 ザラが即座に私を背後に隠し、剣の柄に手をかける。カノンもまた、遊びを止めた猛獣のような鋭い視線を門へと向けた。

 

 ゴウ、と。


 重厚な石の空間に、暴風が吹き荒れるような風切り音が響き渡る。


 そして、歪みが最大に膨れ上がった刹那。


 ――バリンッ!


 空間そのものが割れるような硬質な音が響き、門の向こう側から"何か"が猛烈な勢いで弾き出されてきた。


「――っ、人!?」


 私はザラの制止を振り切り、床を滑るようにして飛び出してきたその影へと駆け寄った。


 弾き飛ばされた影は、冷たい銀の床を数メートルも滑り、力なく横たわる。


 肩で激しく息をし、身体中に、まるで硝子の破片で刻まれたような無数の細かい傷を負っている、一人の少女。


 その白磁のような肌は土埃と汗に汚れ、トレードマークだったはずの強気な瞳は、今は焦点が合わず、虚ろに虚空を彷徨っている。


「……嘘!? なんで、なんであなたがここに……!?」


 私は、倒れ込んだ彼女の身体を必死で抱き起こした。


 間違いない。


 エリダヌス連邦での戦いの後、帝国の追及から逃れ、アケルナルを失った故郷の守護者として残ったはずのライバル。



 "鏡を砕いた白雪姫"――ミラク・シュピーゲル=セプテニア、その人だった。



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