213話「白亜の回廊にて」
カリオペとの謁見を終え、大聖堂の深部へと続く回廊を進む。
天井の高い回廊は、ステンドグラス越しに差し込む色とりどりの光で彩られているが、その色彩すらどこか冷たく、血が通っていないように感じられた。
コツ、コツ、と白大理石の床に響く私たちの足音だけが、この静止した世界に唯一存在する動きであるかのように錯覚してしまう。
先導するリラ・マイアの白い法衣が、風もないのにゆらりと揺れる。その後ろを、相変わらず不機嫌そうにカノンが歩き、ザラとシャウルが警戒を緩めぬまま続いている。
私は、さっきから脳裏に焼き付いて離れない光景を思い返していた。
最高司教カリオペの、あの思考を麻痺させるような声。そして、その左右に控えていた二人の聖女。
一人は、ヴェールで顔を隠した、石像のように動かない女性。
一人は、髪を厳しく結び上げ、意志の強そうな眼光を宿した女性。
あの時、彼女たちから感じた圧倒的な魔力の密度は、決して気のせいではない。
私はリラの背中に向かって、思い切って声をかけた。
「ねえ、一つ聞いていいかしら、リラ」
「なあに、ノクティア。私に答えられる範囲のことなら、答えられる範囲で答えるよぉ」
彼女は足を止めることなく、肩越しにこちらを振り返った。
ヴェールの隙間から覗く口角が、楽しげに吊り上がっている。カリオペの前で見せたあの恭しい態度はどこへやら、いつもの掴みどころのない調子に戻っていた。そのことに、私は妙な安堵を覚えた。
「いえ、簡単なことよ。さっきの謁見の間……カリオペの隣に控えていた、あの二人の聖女。……彼女たちも、私やカノンと同じ、"姫"よね?」
私の問いに、リラは「そ、正解〜」と歌うような口調で言った。
「二人とも、それなりに経験を積んでる歴戦の"姫"だよぉ。プレアデスが誇る、物語の守護者たち。……もっとも、後ろをしかめっ面でついてきてる、そこのオバサンには一歩譲るかもしれないけどねぇ」
「あ? 何か言ったか、雑魚キツツキ」
すぐさま、後ろからドスの利いたカノンの声が飛んだ。
「……キツツキじゃなくて、小夜啼鳥。老化で記憶力まで悪くなっちゃったぁ? 困ったもんだねぇ、これだから旧世代はぁ」
「お前だって大差ねえだろ! その無駄に伸びた語尾、切り落としてやろうか?」
再びバチバチと火花を散らす二人。
カノンは拳を固く握り、リラは「やだやだ、これだから短気な"ドロシー"はぁ」と、のらりくらりとかわしている。
どうやら、本当にこの二人の相性の悪さは筋金入りのようだ。百年の間に、どんな諍いがあればこれほどまでに険悪になれるのか、少し興味はあるけれど……今はそんな場合ではない。
「ご、ごほん。……喧嘩はそれくらいにして。そ、それはいいとして、リラ」
私は強引に咳払いをして、話題を戻した。
「彼女たちがどんな魔法を使うのか、教えてくれないかしら。やっぱり、プレアデスは"姫"の本場だし……私たちが今まで出会ってきたどの"姫"よりも、凄い力を持っていたりするの?」
私の脳裏には、エリダヌスで見たアルゴラの鏡の迷宮や、ガーランドで見たアダーラの圧倒的な蹂躙が浮かんでいた。あの二人の聖女からは、それらに匹敵する、あるいは凌駕するような、不気味な静謐さを感じたのだ。
だが、私がそう尋ねた瞬間、後ろからぐい、と襟元を乱暴に引っ張られた。
「あだっ……ちょ、カノン、何するのよ」
「だーかーら、お前。こないだあたしが教えたこと、三歩歩いて忘れちまったのか? ……耳の穴かっぽじってよく聞け」
カノンは私の顔を自分の方へ向けさせると、朱色の瞳を据わらせて、噛み締めるように言った。
「いいか、"姫"の力に貴賤はねえんだよ。あいつらがどんなに威張ってようが、プレアデスの歴史がどれだけ古かろうが、あいつらに宿ってる"物語"の影響力と、お前に宿ってるそれの価値に、上下なんてねえんだよ」
「……カノン」
「あいつらが強く見えたのは、魔法の凄さじゃない。……あいつらが、その物語にどれだけ深く呑まれてるか、それだけの違いだ。勘違いすんじゃねえぞ」
カノンの言葉は、荒っぽいが真理を突いていた。
彼女は以前の戦いで、"姫"の力は、使い方次第で様々な可能性を秘めていることを教えてくれた。
つまり、あの二人は私よりもずっと深く、自身の"物語"を読み込んでいるのだろう。
「……癪だけど、そこのオバサンの言う通りだよぉ、ノクティア」
リラが、カノンの手を制するようにして、静かに口を開いた。
「この国だから、最初から強力な魔法を使える"姫"がいるわけじゃない。でも、プレアデスには他国にはない"体系的な鍛錬法"がある。…私たちは"自分に宿った物語"をどう演じ、どう現実に干渉させるかを磨き続けてるんだぁ。……だから、力の熟練度という点では、他の国の"姫"たちよりずっと上かもねぇ」
「熟練度……」
私はその言葉の意味を噛みしめた。
私には、まだ自分自身の物語を"使う"という感覚が欠けている。
これまでは、ただ溢れ出す力に振り回され、硝子を作り出すのが精一杯だった。あの"根源"の力も、制御しきれなければ自分自身を砕きかねない劇薬だ。
「……わかったわ。じゃあ、私はここで、その熟練の技とやらを教えてもらえる、って認識でいいのかしら」
「間違ってないと思うよぉ。それに――」
リラはそこで、ヴェールの下で怪しく目を細めた。
「――たぶんいずれ、あの二人のうちどっちかとは、本気で戦うことになると思うよぉ」
「……っ、どうして? 修行をつけてもらうだけでしょう? 別に、敵じゃないんだから、そんな――」
私が首を傾げると、リラは事も無げに返した。
「だって、あなたたちの修行の面倒を見るのは、彼女らのどっちかだものぉ。……プレアデスでの教導は、甘いものじゃないよぉ。相手の心臓を止めるつもりで物語をぶつけなきゃ、自分が上書きされて終わっちゃうからねぇ」
「……上書きされて、終わる……?」
「まあ、今から怖がっても損なだけだよぉ」
リラは再び歩き出した。彼女の言葉には、いつも救いと絶望が交互に混ざっている。
「本当ならリラに修行をつけてほしいところだけど……」
「私は、別の仕事があるのぉ。最高司教サマから直々にねぇ。だから、私の役目はここまで、案内だけ。……本当は案内もあの子らに任せる予定だったんだけど、たぶん、既知の間柄だから、カリオペ様が気を利かせてくれたんだねぇ。私のこと、信頼してくれてるみたいで嬉しいなぁ」
リラは「ふふふ」と上機嫌に笑いながら進む。
それが彼女自身の仕事への純粋な悦びなのか、それとも、私たちをこの"檻"に閉じ込めたことへの達成感なのかは、今の私には判別がつかなかった。
回廊の突き当たり。
そこには、これまで見てきたどの扉よりも巨大で、重厚な石造りの扉が立ちはだかっていた。
扉には、複雑に絡み合った茨と、それを見つめる無数の目のような彫刻が施されている。見るだけで精神が摩耗していくような、異様な意圧。
「さぁ、着いたよぉ」
リラがその扉の前でピタリと足を止めた。
彼女が手をかざすと、扉の隙間から、冷たく研ぎ澄まされた魔力の奔流が漏れ出してきた。
「この扉の向こうが、プレアデス聖教国が誇る"第一鍛錬場"。……物語の純度を極限まで高めるための、聖なる戦場だよぉ」
リラが静かに扉に手をかける。
その背後で、カノンが小さく舌打ちをし、ザラが剣の柄を握り直す音がした。シャウルは私の服の裾を強く握りしめ、不安そうに扉を見上げている。
私は、震える手を隠すように、胸の前で強く拳を握った。
この扉が開いた瞬間、私の新しい"物語"が始まる。
硝子の器に、私自身の意志を注ぎ込むための、過酷な試練が。
「……行きましょう」
私の言葉に応えるように、巨大な扉がゆっくりと、重低音を響かせながら口を開き始めた。




