210話「小夜啼鳥との再会」
認識すると同時、私の耳に、緊張感を霧散させるような間延びした声が届いた。
「やあ、久しぶりぃ。王国からの長旅、ご苦労さまだったねぇ」
白いヴェールの隙間から、細い指先がひらひらと揺れる。
そこに立っていたのは、数ヶ月前、エリダヌス連邦の水の都で出会ったプレアデスの特使――リラ・マイアだった。
彼女は当時と変わらぬ、どこか浮世離れした空気を纏っている。純白の法衣に身を包んだ彼女は、この潔癖すぎるほど白い門の風景に、驚くほど自然に溶け込んでいた。
「ええ、あなたこそ。元気そうで何よりだわ。……でも、まさかあなたが直々にお出迎えしてくれるだなんて思わなかったけど」
私が驚きを隠さずに言うと、リラはヴェールの下で、くすくすと喉を鳴らすように笑った。
「最高司教サマの指示でねぇ。昨日、あなたのところの国王サマから、正式な書状が届いたんだぁ。……『我が国の特使であるノクティア・グラスベルの一行を、プレアデスの慈悲で迎え入れてほしい』……ってねぇ」
「……セファス王から、手紙が?」
思わず、私は背後の馬車を振り返った。
あの不器用で、けれど思慮深いセファス王が、私たちが到着するよりも早く手を回してくれていたというのか。あるいは、王都を発つ前に相談したアルフェッカ辺りが、古い付き合いを利用して先んじて根回しを済ませておいてくれたのかもしれない。
「そう。最高司教サマも快くオッケーを出してくれたし、あなたたち一行は、一応わが国の国賓扱いってことになるわけだねぇ。……手続きは簡略化してあげるから、安心していいよぉ」
「国賓……。破格の待遇ね、助かるわ」
私は胸を撫で下ろした。帝国との緊張が高まる中、入国審査で足止めを食らうのは避けたかったからだ。
そんな私たちのやり取りを遮るように、馬車の扉が音を立てて開いた。
「ふああ〜……。もう着いたの? あたし、まだ寝足りないんだけど……。腰は痛いし、喉はカラカラだし……」
毛布を引きずりながら、カノンが欠伸を噛み殺して這い出してきた。乱れた髪を適当にかき上げ、眩しそうに目を細める。
その姿が視界に入った瞬間。
それまで揺蕩う雲のように穏やかだったリラの立ち振る舞いが、一瞬で鋭利なものへと変質した。
「……おや。これは、珍しいお客様だねぇ」
リラの声から、独特の間延びがわずかに削ぎ落とされる。
カノンもまた、リラの姿を認めるなり、寝ぼけ眼をカッと見開いた。
「お、なんだ。"小夜啼鳥"じゃん。おっひさー。……相変わらず折れそうなほど細いけど、ちゃんと飯食ってる? プレアデスは精進料理ばっかりで、栄養が足りてないんじゃないの?」
「そっちこそ、また少し背が伸びたんじゃないのぉ? おバカな子ほど骨は伸びやすいって言うしねぇ。……頭が軽いと、中身が詰まってない分、上に伸びるのも早いんだろうねぇ」
カノンの人懐っこい(けれど無遠慮な)問いかけに、リラがヴェールの奥から毒のある言葉を返す。
その瞬間、二人の間に目に見えるほどの火花が散った。
「……あ?」
「……おやぁ?」
一触即発。……というよりは、長年顔を合わせるたびに軽口(という名の罵倒)を叩き合ってきた腐れ縁のような、奇妙な熱量がそこにはあった。
カノンもアルフェッカと同じく、百年以上を生きる"姫"だ。同じく長寿のリラとは、私たちが生まれるよりずっと前から、互いの存在を知り、時には戦場や社交の場で鼻を明かし合ってきた"因縁"があるのだろう。
「ちょっと、二人とも……! 門の前なんだから、喧嘩はやめてちょうだい」
私が慌てて二人の間に割って入ると、カノンは「ちぇっ」と舌を出し、リラは再びゆらりと肩を揺らして元の柔和な雰囲気に戻った。
「ごめんねぇ、ノクティア。……古い知人が、あまりに以前と変わらない"お行儀"だったから、ついねぇ」
「こっちのセリフだっての。……相変わらず性格悪いなあ、この焼き鳥」
カノンがぼやき、リラがそれを柳に風と流す。
どうやら、この二人の同行は、想像以上に騒がしいものになりそうだった。
「それで、リラ。入国の手続きなんだけど……具体的にはどうすればいいのかしら」
気を取り直して私が尋ねると、リラは門の脇にある石造りの詰所を指差した。
「国賓としての登録はこっちで一括してやるよぉ。……だけど、ねぇ」
リラの視線が、御者席に座るギエナと、傍らで馬を引くアルトへと向けられた。
冷徹な選別。彼女の瞳には、同情も蔑みもなく、ただ、当然とも言える拒絶があった。
「お供の騎士様方は、ここまでだねぇ。……プレアデスの経典において、男性が聖域へ踏み入ることは、物語を汚す"禁忌"とされている。……分かっているよねぇ?」
アルトがわずかに悔しそうに拳を握り、ギエナが、やれやれと大仰に肩を竦めた。
「はいはい、分かってますよ。野郎どもは大人しく引っ込むことにしますよ。……お嬢様。これからは、そっちの騎士様と、あのはねっ返りの"姫"様に背中を任せることになりますが、よろしいですね?」
「ええ。分かっているわ。二人とも、無理はしないで」
「おじさんを誰だと思ってるんです。適当にまともな宿を見つけて、昼寝でもして待ってますよ。……行きましょうぜ、アルトの坊っちゃん」
「……はい。それでは、ノクティア様。お気をつけて。何かあれば、すぐにでもこの門を突き破って参りますから」
アルトが凛とした声で告げ、二人は馬車を伴って、雑多な空気が漂う"男性領"の方へとゆっくり歩き出した。
二人の背中が見えなくなるまで見送り、空いた穴を埋めるようにザラが私の一歩隣へと寄る。
「……お嬢様。それでは、ここから先は私が」
「そうね、頼りにしているわ、ザラ」
私たちは、リラの背を追って、ついに"潔癖の門"の境界線を越えようとした。
ところが、その時。
いつもなら「わー、真っ白で綺麗っすね!」と大騒ぎするはずのシャウルが、入り口の手前で足を止め、じっと門の奥を見つめていた。
「……シャウル? どうかしたの?」
私が声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせ、慌てて私の方を振り返った。
その褐色の顔には、いつもの天真爛漫な笑みはなく、どこか、嫌な匂いでも嗅ぎつけたかのような、微かな困惑が浮かんでいた。
「……なんでもないっす! ほら、お嬢様、早く行くっすよ! 置いていかれちゃうっす!」
シャウルは無理に元気な声を出し、私の背中をグイグイと押した。
その不審な態度に首を傾げつつも、私は促されるままに門の向こう側へと足を踏み入れる。
(……シャウルが、何かを感じ取っている?)
ストリートチルドレンとして生き抜いてきた彼女が、無意識に感じ取った違和感。
それが、プレアデスという国の欺瞞なのか、それとも、これから始まる物語の予兆なのか。
国賓として迎え入れられたはずの私たちの足音は、白大理石の地面に、どこか虚しく、そして重く響いていた。




