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209話「裏と表」


 聳え立つ、白亜の門。その向こうに見える垂直に切り立った断崖。見上げる首が痛くなるほどの高みに、その都はあった。


 プレアデス聖教国の首都、"アルキオネ"。


 太陽の光を余すことなく跳ね返す白大理石の建築群は、まるで雲を掴んで形にしたかのように白く、眩い。幾重にも重なる尖塔や、崖の斜面に沿って整然と並ぶ回廊は、ヴァルゴ王国の王都の美しさとも、エリダヌスの水の都の幻想的さとも違う――どこか病的なまでの、神聖な潔癖さを湛えていた。


「……すごい」


 私は窓枠を掴み、その光景を網膜に焼き付けた。


 この世界に来てからいくつかの国を見てきたが、これほどまでに現世から隔絶されていると感じさせる場所はなかった。そこはまさに、神の物語を綴るためだけに選ばれた、天上の仕事場のように見えたのだ。


 けれど、視線を崖の麓へと戻した瞬間、感嘆の声は喉の奥で凍りついた。


「……何、これ」


 崖の下。白亜の都の影に隠れるようにして広がっているのは、目を覆いたくなるような惨状だった。


 そこには石造りとは名ばかりの、今にも崩れそうなボロボロの建物や、布切れと板材を継ぎ接ぎしただけの粗末なバラック小屋が、無秩序に、そして過密にひしめき合っている。


 舗装もされていない地面は泥に汚れ、白亜の都の清潔感とは対照的な、澱んだ空気が澱のように溜まっている。


「知ってると思いますがね、お嬢様。この国には、はっきりした二面性があるんでさぁ」


 御者席から、ギエナが低く、どこか冷めた声で言った。


 彼はオンボロの街並みに目をやりながら、馬をゆっくりとした歩調へと変える。


「"姫"は皆女性であるが故に、女性がデカい力を持ってる。女にあらずんば人にあらず。……いや、"物語を宿せぬ男に、価値などない"。そんな極端な理屈がまかり通る国が、ここプレアデスなんですぜ」


「……じゃあ、この、ボロボロの街は?」


「プレアデスの領地内ではありますがね、便宜上は"国外"とされているはずの、"男性領"でしょうな。聖域を汚さぬよう、男たちはここから一歩も上へは上がらせてもらえない。いわば、巨大なゴミ捨て場のようなもんです」


「……場所が場所なら、炎上ものね」


 現代日本人の感覚が、思わず口を突いて出た。


 男女平等なんて言葉をこの世界に持ち込むつもりはないが、ここまで露骨な隔離と差別を目にすると、背筋に冷たいものが走る。


「えんじょう? まあ、街が燃えても、崖の上の神官サマ方は不干渉でさぁ。自分たちの物語を汚さなきゃ、下界で男が何人死のうが知ったこっちゃない。……そういうところなんですぜ、ここは」


 ギエナは私の言葉の真意を汲み取れぬまま、カカカと自嘲気味に笑った。その笑いは、かつての大戦で多くの理不尽を見てきた彼なりの、やり場のない憤りに聞こえた。


 アルトは、馬車の窓から"男性領"の街に鋭い視線を這わせていた。


 騎士として、これほどの困窮を放置している国家の在り方に、思うところがあるのだろう。彼は眼帯の下の瞳を細め、静かに問いかけてきた。


「……私とギエナ殿は、ここで待機になるわけですね。ノクティア様。せめて、どこかにまともな宿があるといいのですが」


「無けりゃあ、おじさんたちの宿はこの馬車、ってことになるねえ。カノン嬢の抱いてる毛布、返してもらわねえとな。あ、ザラ殿はあっちの"上"に行けるんだから、おじさんたちの分まで美味しいパンでも食ってきてくだせぇ」


 ギエナの軽口に、ザラは「ふん」と鼻を鳴らした。


「……食事などどうでもいいでしょう。私は美食のために行くのではありません。お嬢様の護衛です。貴方たちも、だらけて帝国に寝首をかかれないようにすることですね」


 そんな騎士たちのやり取りをよそに、シャウルは窓の外のどんよりとした空気に鼻をひくつかせ、不満げに頬を膨らませていた。


「えー、あたしは美食も楽しみっすよ。でも、プレアデスはお硬い感じの雰囲気で、美味しそうなご飯には期待できなさそうっすね。あたし、フォーマルハウトの市みたいに、賑やかで屋台の匂いがぷんぷんするようなところが好きっす……。ここ、なんか……消毒液みたいな匂いがするっすよ」


 シャウルの嗅覚は、鋭い。


 確かに、この国には生活の匂いがしない。白亜の都からは、清浄という名の拒絶が。そして足元の男性領からは、絶望という名の沈黙が漂っている。


 馬車はやがて、男性領の混沌とした雑踏を抜け、絶壁の基部に設けられた巨大な石の門へと辿り着いた。


 "潔癖の門"。 


 その門は、物理的な境界であると同時に、世界を"聖"と"俗"に真っ二つに分かつ断頭台のように冷たく聳え立っていた。


 門の周辺には、重厚な白銀の鎧に身を包んだ女性騎士たちが、彫像のように直立している。


 入国審査を待つのか、それとも追い返されるのを恐れるのか、周囲には不気味なほどの静寂が満ちていた。


「……ん?」


 私は、門のすぐ脇に立つ、ある人影に気が付いた。


 騎士たちの鋭い威圧感とは無縁の、どこか浮世離れした雰囲気を纏った影。


 白い、透けるようなヴェールを頭から被り、風に揺られる柳のように細い体躯。


 その人物は、私たちの馬車に気づくと、ひらひらと軽やかに、子供が遊び相手を見つけた時のように手を振った。


(あのヴェール、あの間抜けた手の振り方……)


 私は、エリダヌス連邦での騒がしくも命懸けだった日々を思い出した。


 あの時、帝国のアケルナルと共に、私にこの世界の真実の一端を伝え、得体の知れない言葉を吐きながら私たちを導き、あるいは試した特使の一人。


「――あれ? もしかして、リラ……?」


 私の呟きが聞こえたのか、あるいはその視線を感じ取ったのか。


 ヴェールの下から、楽しげに語尾を伸ばす、あの懐かしい声が聞こえてくるような気がした。


 門の前に立ち、優雅に、けれどどこかこちらを嘲笑うかのように手を振っている華奢な影。



 それは、かつてエリダヌスで出会ったプレアデスの特使――リラ・マイアだった。



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