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207話「危惧、そして」

◆◇◆


 "銀髪祭"から数日。

 王都の朝は、昨夜までの喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 再興への足がかりを固め始めたヴァルゴ王国。その正門前では、旅の準備を整えた馬車が二台、朝日を浴びて出発の刻を待っている。


「ノクティア様、忘れ物はないっすか? あたしの非常食はバッチリ詰め込んだっす!」


「お嬢様、あまり余裕はありません。一刻も早くグラスベル領へ向かい、そこから西方へ転進すべきです」


 天真爛漫な声を出すシャウルと、騎士らしい厳格さで手綱を握るザラ。二人を門前に待たせ、私は一人、都の中心にそびえる"星の塔"へと向かっていた。


 本来ならば、今すぐにでも発つ予定だった。けれど、出発の直前になって、アルフェッカから「どうしても話しておきたいことがある」と、至急の呼び出しを受けたのだ。


(アルフェッカのことだから、ただの別れの挨拶ではないはず……)


 崩れかけた石段を一段ずつ登りながら、私は思考を巡らせる。


 彼女は今回の"復活劇"を経て、名実ともにこの国の象徴となった。帝国との決戦を控えた今、彼女が私に託そうとしているのは、国家の命運か、あるいは……。


 塔の最上階、遮るもののない風が吹き抜ける展望の間に足を踏み入れた瞬間、私はその光景に言葉を失った。


「――よく来てくれたわね、ノクティア。今日、発つ予定なんでしょ?」


 銀色の髪を風に靡かせ、穏やかに微笑むアルフェッカ。


 その隣には、椅子に深々と座らされ、魔力封じのかせで厳重に拘束された一人の少女がいた。


「……ええ。準備は整っているわ。けれど、これは……一体どういうこと?」


 拘束されているのは、カノンだった。


 かつての無邪気な面影はどこへやら、彼女は猿轡(さるぐつわ)を噛まされ、不服そうに頬を膨らませてアルフェッカを睨みつけている。その様子は、凶悪な暗殺者というよりは、悪戯が見つかって捕まった子供のようにも見えたが、彼女が秘める戦力は知っている。


「そうよね、そりゃあ、驚くわよね」


 アルフェッカは困ったように眉を下げつつも、その瞳には確かな決意が宿っていた。


「実はお願いがあって。彼女、カノンをプレアデスへの旅に、連れて行ってほしいのよ」


「……っ!? 本気で言っているの?」


 私は思わず一歩、身を乗り出した。驚愕という言葉では足りない。


「驚くも何も……いいの? だって彼女は、あなたを殺そうとしていた相手なのよ? 王国の転覆を目論み、私たちを極限まで追い詰めた、反"姫"派の切札。それを……旅の仲間に加えるなんて」


「そうね、でも、それは仕事だったから」


 アルフェッカは事も無げに言った。


「彼女を動かしていた依頼主(クライアント)は、今回の騒動で根こそぎ捕まったわ。もう彼女に指示を出す人間は、この国にはいない。そして、この子は甲斐甲斐しくタダ働きするほど、勤勉な働き者じゃない。私はそれを、誰よりもよく知っているもの」


「……それは、そう、かもしれないけれど」


 私はカノンに視線を向けた。彼女は轡の隙間から「ふんっ」と鼻を鳴らし、そっぽを向いた。 


 確かに、彼女は盲目的な忠誠心で動くタイプではない。けれど、だからといって背中を預けられる保証がどこにあるというのか。


「なら、決まりね。彼女はきっと、あなたたちにとって、大きな戦力になってくれるはずよ」


 アルフェッカは迷いのない手つきで、カノンの枷を一つ、また一つと解いていった。


 金属の重苦しい音が響くたび、私の心臓が警鐘を鳴らす。最後の一房が解け、カノンが自由の身になった瞬間、私は無意識のうちに魔力の収束を始めていた。


 けれど、カノンは襲いかかってくるどころか、大きく欠伸をして、面倒そうに首を回しただけだった。


「……ぷはっ! あー、顎が外れるかと思った。アンタ、案外えげつないことするよね、アルフェッカ」


 カノンは口元を拭い、手足を伸ばすように軽くストレッチをする。その動作に、先程までの殺気はない。


「そんなにビビらないでよ、ノクティア。別にもう、暴れたりしないっての。今のあたしには、アンタを殺すメリットも、逃げ出す理由もないんだからさ」


 彼女はそう言いながら、かつて私の心を抉り、そして救われたあの一夜と同じ、人懐っこくもどこか寂しげな笑みを浮かべた。


「……あたしが泣くのは、もう終わりなんだろ? あの時、あんたがそう言ったんだ」


 カノンは塔の窓際まで歩み寄り、眼下に広がる都を見下ろした。


「見せてもらうよ、ノクティア。あんたたち新しい世代の"姫"ってやつが、この泥沼みたいな世界で、どんな風に物語を書き換えていくのかをさ」


 どこか楽しげに、自分自身を納得させるように紡がれた言葉。


 その響きには、嘘を見抜く嗅覚を持つシャウルであっても、きっと偽りを見つけられないであろうほどの真実味が籠もっていた。


 私はゆっくりと、構えていた右手の力を抜いた。


「さて、と。それじゃあ二人とも、気をつけて行ってくるのよ」


 アルフェッカが、二人の間に割って入るようにして立った。


「特に、カノン」


 そこで言葉を切ったアルフェッカは、カノンの目をじっと見つめた。


 その瞳には、かつて同じ、最古の世代の"姫"として戦場を駆け、あるいは対立してきた者同士にしか通じない、言葉を超えた意志のやり取りがあるようだった。


(……何を話しているの?)


 アルフェッカの視線には、慈愛の裏に、どこか鋭い警告のようなものが混じっていた気がした。


「……わーってるって。ウン十年ぶりだってのに、アンタの心配性なところはちっとも変わってないんだから」


 カノンは閉口するように肩を竦め、けれどその瞳は、しっかりとアルフェッカの意志を受け止めていた。


「行こう、ノクティア。あたしを待たせてるのは、外の馬車だろ? あの怖い顔の女騎士に、また睨まれるのは御免だよ」


 カノンはひょいと、窓枠に腰掛けてから軽やかに床に降り、迷いのない足取りで階段へと向かった。


 私はその後ろ姿を見つめ、それからもう一度、アルフェッカを振り返った。


「アルフェッカ。本当に……信じていいのね?」


「ええ。彼女は、世界に裏切られた者の痛みを誰よりも知っている。……だからこそ、今のあなたに必要な、最も強固な盾になるはずよ」


 アルフェッカは満足そうに頷き、聖域へと向かう私たちを、その優しい銀色の光で見送ってくれた。


 その瞳に湛えていたのは――私たちの行く末を案じるような、心配の色だったのを、私は見逃していなかったが。



◆◇◆

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