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205話「凍星の忠言」


 それは、グラスベル領で過ごしていたある日のことだ。


 この世界の知識を少しでも取り入れようと躍起になっていた私の前に、彼女は現れた。


「やあ、お嬢様。精が出るねえ」


 父であるグラスベル伯爵に仕え、屋敷の図書室の主のように居座っていた女性――ポーラ。


 全身を覆う漆黒のローブに、天を突くような高いエナン帽という、いかにも"童話の魔法使い"を体現したような格好をしている彼女だが、その実態は魔法を使う者ではなく、失われた魔法という概念を追い求める学者に近い。


「あら、ポーラじゃない。そうよ、時間のあるうちに、ちょっとでも勉強を進めておきたくて」


「それはいい。きみの"知恵"は武器であるが、この世界のことをよく知っておいて、損はないだろうからね」


 そう、彼女が言ったから。ちょうどいい機会だと、尋ねることにしたのだ。


「……なら、一つ教えてもらえるかしら? 私たち、"姫"の成り立ちについて。この図書館には、詳しい資料が無いみたいで……」


 その言葉に、一瞬だけポーラは考え込むように眉を寄せた。


 "姫"という存在についての情報は、あまりにも資料に残っていなさすぎる。調べど調べど、まるで指の間からすりぬけていくかのよう。


 それでも、"魔法使い"である彼女なら、何か知っているのではないかと、そう思ったのだ。


 図書室の、埃っぽい香りと古い紙の匂いが立ち込める空間で、ポーラはしばらく目を閉じた。


 そして、ゆっくりと、その黒黒とした瞳を開く。


「……まあ、少しならいいだろう。話すと長くなるけど、いいかい?」


「ええ、お願いするわ。頼れるの、あなたしかいないもの」


 そうかい、と気のない返事を一つ置いて、ポーラは語り始める。


「そもそも、この世界における"姫"の始まりは、プレアデス聖教国からなんだ」


「……ええ、それは、聞いたことがあるような」


「時は、二百年近く昔に遡る。聖教国にて、多くの"聖典"が発掘され、それが強い魔法の力を帯びていることが判明した。それがすべての発端さ」


「……"聖典"。それって、いわゆる、私たちの世界の童話のことよね?」


 私が問い返すと、ポーラは大きな帽子を揺らして頷いた。


「そう。"聖典"は、遺跡などに残っているものの他、各国に伝承として伝わっていたものも僅かにあったが、複数冊がまとめて、しかも良好な状態で発見されたのは、この時が初めてだったんだ」


「それが、"姫"誕生のきっかけになったの?」


「一つではあるだろうね。きみは、この世界における"魔法"がどんなものか、知っているかい?」


 それも、聞いたことがあった。


 かつては体系化され、誰もが使うことができたという超常の力は、年月と共に、あるいは人々の技術の向上と共に、失われていってしまった。


 今や、その残滓として"遺物"が残るほか、私たち"姫"のような存在でもなければ、扱うこともできなくなってしまっている。


「その通り、魔法は失われ、今や、何人かの物好きな学者が研究するばかりになってしまっていた。……私のようにね」


 ポーラは肩を竦め、けれどその声には隠しきれない興奮が混じる。


「そんな"死んだ技術(ロストテクノロジー)"を復活させるために、聖教国は"聖典"を研究し始めた。それこそ、躍起になってね。自分たちの国で見つかったそれを、何か神秘的な意図と結びつけたかったんだろうさ」


「じゃあ、もしかして、それが?」


「ああ、長い、長すぎる沈黙の時間を経て、聖教国は一つの術式を完成させることができた」


 それが、現在この世界の勢力図を根底から変えてしまった禁忌の儀式。


「聖教国は、"聖典"を媒介にして、この世界の女性に人格を上書きする形で、異世界の人間の魂を降ろすことに成功した。"聖典"に記された"物語"の役割を、生きた人間に演じさせる……いや、同化させることで、失われた魔法を再現したんだ」


 ポーラは机の上に、空中に円を描くように指を動かした。


「彼女らは皆、"聖典"――童話や寓話、物語に因んだ魔法の力を持って現れた。やがてその、圧倒的な力から畏怖を込めて、彼女たちは"姫"と呼ばれるようになる」


「……それが、"姫降ろしの儀"」


「察しがいいね。聞きつけた各国は、聖教国と秘密裏に取り引きをし、莫大な対価と引き換えに"聖典"や"姫降ろしの儀"の情報を手に入れた。そうして、各国に"姫"が生まれることになったんだ」


 ポーラは指を一本ずつ折って数え上げる。


「エリダヌスの"人魚姫"アケルナル、プレアデスの"小夜啼鳥"リラ、王国のカノンやアルフェッカ。彼女たちは皆、その頃から存在している最古の部類……いわば、"姫"という機構(システム)試作品(プロトタイプ)に近い存在と言ってもいい」


 そこまで話すと、ポーラは一つ、深く息を吐いた。


 まるで、あまりにも巨大な怪物の足跡を辿ってしまったことに、恐怖と歓喜を同時に覚えているかのような、複雑な吐息だった。


「とまあ、こんな風に、"姫"そのものに関する歴史は、ある種、プレアデスを軸に回っていると言っても過言ではない。……すべてはあそこから始まり、あそこから伝播した」


 ポーラはそこで、意味ありげに片方の眉を上げた。


 その視線は、私の内側を覗き込み、その奥にある"物語"を暴こうとするかのように鋭い。


「なら、君に一つ質問だ、ノクティア。プレアデスはどうやって、"姫降ろしの儀"なんてものを完成させたと思う? 聖剣"アルシャイン"のような"遺物"を除けば、魔法の概念がほぼ消滅しきっていた世界で、どうやって異世界の魂を呼び込むなんて離れ業を成し遂げた?」


「それは……膨大な研究の末に、とかじゃないの?」


 私の答えに、ポーラは「くくっ」と喉を鳴らして笑った。


「それだけじゃあ、説明がつかないのさ。どれだけ優秀な学者がいようと、ゼロから"魂の転移"なんて魔法を組み上げられるはずがない。彼らは何か……もっと根源的な"何か"を手に入れていたはずなんだ」


 彼女の声が、一段と低くなる。


「プレアデスは()()()()()()()さ。何もかもを宗教的ベールで覆い隠した、超不可思議で超秘密主義な、謎の国家。……いいかい、きみ。あそこは帝国なんかよりも、よっぽどタチが悪いかもしれないよ」


 まるで子供を怖がらせるような、けれど一切の冗談を含まない真実の響き。


「連中は何事もなかったかのように、今も笑って世界に"聖典"を貸し与えている。けれど、その裏で何かを隠してる。きっと、この世界の真実に近い所にある、どす黒い何かをね」


 ポーラは私の肩に手を置き、真っ直ぐに私を見据えた。


「だから、精々警戒しておくことだ。……あそこは自称するような"神の国"なんかじゃない。自分たちの目的のために、世界を丸ごと一冊の"書物"に書き換えようとしている、偏執狂の集まりなんだから――」



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