201話「銀色は甦り」
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王都ヴァルゴの中央広場を支配していたのは、昨日までの狂騒が嘘のような、重苦しく、冷え切った静寂だった。
本来であれば、今は"銀髪祭"の最中であるはずだった。街中には銀色の装飾が揺れ、屋台からは芳醇な香りが漂い、楽士たちの奏でる旋律が夜空を彩っているはずだった。
しかし、今の広場を包んでいるのは、冷たい春の風と、人々の押し殺したような啜り泣きだけだ。
"白銀の精霊"アルフェッカの死。
その衝撃的な報せは、夜明けと共に王都中を駆け巡った。彼女はこの国が王国として産声を上げる遥か昔、大戦期の混迷以前より、この地を見守り続けてきた絶対的な守護神だ。ヴァルゴの民にとって、彼女は単なる精霊ではなく、自分たちのアイデンティティそのものであり、平和の象徴であった。
「まさか、アルフェッカ様がお隠れになるとは……。嘘だと言ってくれ」
「死因は何だ? 毒か、それとも暗殺か……。まさか、あの帝国の連中が、祝祭の裏で手を回したのではあるまいな……!?」
「エリダヌスとの通商が正常化して、ようやくこれからだという時に……。これでは、もう、この国は……」
広がる不安は、形を変えて絶望へと純化していく。広場のあちこちで、男たちは項垂れ、女たちは手を取り合って震えていた。守護者を失ったという事実は、彼らにとって明日を失ったに等しかった。
日が暮れるのに従って、人々の声は徐々にか細くなり、代わりに暗い予感だけが色濃くなっていく。日没の頃、王国政府は中央広場に質素ながらも巨大な献花台を設置した。
正式な崩御の発表こそまだ成されていなかったが、その無言の対応こそが、民衆にとっては残酷な肯定であった。
一人、また一人と、涙を拭いながら人々が献花台へと近づいていく。
手に持たれた花は、それぞれが持ち寄った祈りの形だった。気が付けば、中央広場は人で埋め尽くされ、誰もが言葉を失ったまま、一つの目的地を見つめていた。
献花台の中央に安置された柩は、硬く閉ざされていた。
その周囲には、王都中の花屋が空になったのではないかと思えるほど、鮮やかな花々が並んでいる。白、青、紫……。アルフェッカの髪色を思わせる色彩が、皮肉なほどに美しく、柩を囲んでいた。
花畑と見紛うばかりの献花台の前で、人々はただ、自分たちの無力さを噛み締めていた。
悪逆の限りを尽くす、帝国への根源的な恐怖。それに抗する人々の、心の拠り所となってくれていた守護者の喪失。
世界は今、急速に色彩を失い、灰色の絶望へと塗り替えられていこうとしていた。
そんな折、一人の小さな少女が、ふらふらとした足取りで献花台に近づいた。
彼女の目には涙が溜まり、その小さな手には、今にも折れてしまいそうなほど細い、一輪の野の花が握られていた。
少女は献花台の前で跪いた。
あまりに膨大に積み上げられた、色とりどりの豪華な花束の山。その僅かな隙間に、彼女は持ってきた細い花を差し込もうと、精一杯に手を伸ばした。
――その、瞬間だった。
不意に、柩の隙間から、太陽よりも鋭く、月光よりも清らかな白銀の光が漏れ出した。
ピシリ。
静寂を切り裂く、硝子が割れるような高い音が響き渡る。
次の瞬間、柩は内側から弾けるようにして開放された。
「きゃっ!?」
少女は驚きのあまり、尻餅をついて後ろに転げた。
同時に、柩の中から溢れ出してきたのは、視界を完全に白く塗りつぶすほどの、圧倒的な銀色の輝きだった。
それはまるで、月下に舞う幻の蝶が、永き眠りを経て羽化する瞬間のようだった。
光の粒子が粉雪のように舞い散り、絶望に凍りついていた広場の空気を、一瞬にして幻想的な温度へと書き換えていく。
光の渦の中から、一人の女性が、ゆっくりと歩み出てきた。
流れるような銀色の髪を夜風になびかせ、透き通るような白い衣を纏ったその姿。
死したはずの、王都ヴァルゴの守護者――アルフェッカが、そこにいた。
彼女は悠然と、呆然と座り込む少女に歩み寄ると、柔らかな動作で跪き、その細い手を差し伸べた。
「――驚かせちゃって、ごめんなさいね。……怪我は、無いかしら?」
鈴を転がすような、慈愛に満ちた柔らかな口調。
少女は戸惑いながらも、吸い寄せられるようにその白く温かい手を取った。アルフェッカの掌から伝わる確かな鼓動が、彼女が生者として戻ってきたことを何よりも雄弁に物語っていた。
一瞬の、真空のような沈黙。
そして、爆発。
「……あ、アルフェッカ様が、……アルフェッカ様が生きておられたぞ!!」
誰かが上げたその叫びが、導火線となった。
「おお、おおお! 神よ! 奇跡だ、本当に奇跡が起きたんだ!!」
「そうか、そうだよな! ヴァルゴの守護精霊様が、こんな簡単に死ぬわけがないんだ!!」
「死を克服されたのだ! アルフェッカ様は、より強くなって戻ってこられたんだ!!」
喝采。
そして、雷鳴のような歓声。
広場を埋め尽くしていた啜り泣きは、瞬時にして熱狂的な咆哮へと塗り替えられた。
「今からでも遅くない! 聖堂の鐘を鳴らせ!!」
「"銀髪祭"の夜を、やり直すぞ! 今夜は朝まで、祝祭を続けるんだ!!」
暗く沈んでいた王都に、再び、いや昨日まで以上の明かりが灯っていく。
消えかけていた街中の篝火が次々と燃え上がり、楽士たちが再び楽器を取り、人々の足取りはダンスを踊るように軽やかになった。
アルフェッカは、熱狂の渦に包まれる広場を見渡した。
少女を優しく立たせ、その頭を撫でながら。
彼女の視線の先――塔の上で、この光景を見守っているであろう"彼女"を思い。
そして、自分の死をあれほどまでに嘆き、今、狂ったように喜びを爆発させている民衆の、あまりに純粋で愛おしいエネルギーを感じて。
アルフェッカは、この計画の成功を確信し、満足げに、この夜一番の美しい微笑みを浮かべるのだった。
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