200話「予定通り」
肺の奥が、熱い。
呼吸をするたびに、灼熱の蒸気が喉をせり上がってくるような錯覚に陥る。
私は、砕け散った瓦礫の山に背を預け、ただ激しく上下する肩を抑えることしかできなかった。
「……はぁ、……っ、はぁ……」
目の前には、仰向けに倒れ伏したカノンの姿がある。
あれほど変幻自在に世界を弄んでいた彼女の面影は、もうどこにもない。月光に照らされた彼女の顔は、どこにでもいる、ただの疲れ果てた少女のそれだった。
(どうにか、勝った――けれど)
代償は、あまりに重い。
ドレスはボロボロに裂け、露出した肌には幾重もの火傷と、カノンの鋭い攻撃が刻んだ裂傷が走っている。何より、先ほど強引に引き出した"熱"が、今も私の血管の内側を焼き続けていた。
(――っ、なんとか、乗り切った……けれど。これは、マズいわね……)
意識が遠のき、世界がぐらりと揺れる。
内側から焼かれるような熱。それは"シンデレラ"という冷たい硝子の物語に、私が無理やり"こはる"としての末期の記憶――火災の熱――を流し込んだ結果の拒絶反応だ。
私は、その場で膝をついた。
指先一つ動かすのも億劫な絶望的な疲労。その時、視界の端から、穏やかな月の光を纏ったような銀色の髪が、するりと伸びてきた。
「しっかりしなさい。……今、なんとかしてあげるから」
耳元で、アルフェッカの声がした。
次の瞬間、彼女の髪が私の全身をやさしく包み込み、血管に直接冷たい水を通すような、清涼な魔力が流れ込んできた。
「……あ、あぁ……」
内側の熱が、アルフェッカの魔力によって強引に吸い出されていく。
焼き付くような痛みが引き、私はようやく一息つくことができた。
「あ、ありがとう、アルフェッカ……。少し、楽になったわ」
「全く、無理をするんだから。……あなた、自分が何をしたか分かっているの? "根源"の力を引き出したばかりで、あんなに思うがままに振るったら、身体に負荷がかかって当然よ」
「……"根源"?」
聞き慣れない単語に、私は眉を潜めた。
「ええ。私たちに宿った物語の力ではなく、魂そのものの原風景に触れる力よ」
"根源"。
私が振るったあの力には、そんな名前がついていたのか。
確かに、今までに行使した魔法とは、明らかに一線を画す力があったのを、私も感じていた。
こんな力が――私の魂の、奥底に。
「……詳しいことは、機会があれば教えてあげるわ。それよりも、今はこっちよ」
アルフェッカの銀髪が、指し示すようにして倒れたカノンの方を向いた。
カノンはぴくりとも動かない。気絶しているだけだと分かってはいても、その静寂はどこか不気味だった。
「彼女をどうするか。……無論、あなたのことだから、殺すつもりは無いんでしょ?」
「……もちろんよ。……戦う以外の決着も、あればよかったんだけどね。彼女があんな風に、百年の孤独を抱えていたなんて……」
私はカノンの頬についた土を、震える手で拭った。
彼女は英雄だった。そして、迷子だった。
彼女を否定することは、いつかこの世界に絶望するかもしれない自分を否定することと同じ気がしたのだ。
「私は、これでよかったと思うわよ、ノクティア」
アルフェッカが、珍しく微かな笑みを浮かべて私の隣に立った。
「言葉で説得できる段階は、彼女はとっくに過ぎていた。……どこかで一度、彼女にはグーパンが必要だったのよ。理屈も魔法も通じない場所に、直接届く一撃がね」
私たちは、しばらくの間、崩壊した塔の頂上で静かに言葉を交わしていた。
だが、安堵したのも束の間。
不意に、私の視界が急激に暗転し、制御を失った私の身体が石畳へと崩れ落ちた。
「……ッ!? ノクティア!!」
アルフェッカの髪が慌てて私を支える。
ここまでの戦いのダメージ。グリスの放電、カノンの蹴撃、そして自ら生み出した高熱。それらすべてが、アルフェッカの一時的な処置を突き破って、私の肉体の限界を告げていた。
「ちょっと、あなた!! そのままじっとしてなさい。ゆっくり寝ていないと、本気で命に差し支えるわよ。いくら私にだって、救いきれないラインがあるんだから!」
「……大丈夫……大丈夫よ、アルフェッカ」
私は、激しい耳鳴りに耐えながら、アルフェッカの肩を借りて無理やり立ち上がった。
足元はおぼつかない。視界も二重、三重に重なっている。
けれど、ここで倒れるわけにはいかなかった。
「……それよりも。……急がなきゃいけないことが、あるの。……夜が、明ける前に」
私が描いた、この長い夜の筋書き。
混迷を極めた、アルフェッカ暗殺計画。
グリスを封じ、カノンを退け、真の敵を燻り出した。
けれど、これだけでは物語として完結していない。
民衆はアルフェッカが殺されたと信じ込み、近衛騎士団は混乱し、反"姫"派はまだ虎視眈々と次なる手を狙っている。
これらすべての矛盾を解決し、王都に真の平和を強引に引き寄せるための、最後のステップ。
それは、この暗殺計画そのものを逆利用した、物語の完成だった。
「それじゃ、予定通りいきましょう」
私は深呼吸をし、肺に残る熱をすべて吐き出した。
痛みは消えない。けれど、その痛みが私を繋ぎ止めている。
私は、不安そうに私を見つめるアルフェッカの瞳を、真っ直ぐに射抜いた。
死を演じ、闇に潜み、そして最後に光として現れる。
物語の構成として、これほどまでに王道で、これほどまでに大衆の心を掴む展開はない。
私は、傷だらけの顔に精一杯の不敵な笑みを浮かべて、彼女にこう、言い放つのだった。
「アルフェッカ、あなたには予定通り――甦ってもらうわ」




