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197話「根源(ルーツ)」


 崩落した屋根の隙間から、冷徹な月光が差し込んでいた。


 私は、砕けた石材と硝子の破片が散らばる床に両手をつき、震える膝をどうにか押し上げた。アルフェッカの銀髪が、悲鳴を上げる私の神経を無理やり繋ぎ止め、熱い魔力を流し込み続けている。


「……まだやんの? もう、そこまでにしときなよ、ノクティア」


 カノンは、肩に担いだ斧を無造作に下ろし、呆れたように、けれどどこか寂しげな溜息を吐いた。


 戯けたような口調。けれど、その瞳は先ほどまでのように笑ってはいない。


 目の前の少女――私という存在が、単なる"攻略対象(エネミー)"ではなく、自分の諦めを否定するために何度でも地獄から這い上がってくる、理解不能で不屈な異物であることを、彼女は本能的に悟り始めていた。


「いいえ、やめないわよ。……あなたがその、すべてを分かったような顔で……斜に構えた枯れたフリを止めるまで、私は何度でも立ち上がるわ」


「何言ってんだ、ケツの青いガキが。……口ではご立派なことほざいたって、結局、お前じゃあたしは止められねえだろうが! 力量(レベル)差は、もう嫌ってほど分かっただろ!」


 カノンが苛立ちを露わにし、銀色の靴の踵を激しく打ち鳴らす。


 キィィィィィン、という耳障りな高周波の音が、再び塔の頂上に響き渡る。


(――そう、今の私じゃ、カノンは止められない)


 私は、自身の内側に意識を向けた。


 加速する思考。どこかに、この絶望的な戦力差を覆すための、たった一筋のヒントがあるはずだ。


『この世界において、あたしとあんたの持つ"物語の力"……その根源の価値は、完全に等しいもんなんだよ』


 不意に、カノンが先ほど吐き捨てた言葉が脳裏をよぎった。


 あらゆる"姫"の持つ力は、本来、同格。


 ならば、この圧倒的な差はどこから来る? 百年の月日という"練度"だけが理由ではないはずだ。


『ノクティア、あんた頭硬すぎ』

『そんなんじゃ、せっかくの"シンデレラ"が勿体ないよ』


(――もっと、発想を柔らかく。……"シンデレラ"の力の、解釈を拡げれば……!)


 私は必死に魔力を練り、自らの"物語"を引き出そうとした。


 だが、生み出されるのは、いつも通りの冷たい硝子の防壁。機能的で、美しく、けれど無機質な"盾"だ。

 

 その間にも、カノンは容赦なく地面を蹴る。

 銀の閃光。

 

 ――バリィィィィィィィン!!


 咄嗟に構築した盾は、彼女の蹴りの一撃で呆気なく粉砕された。


 衝撃で再び壁に叩きつけられ、口内に鉄の味が広がる。


(――違う。何かが、決定的に足りない。私には、この溢れ出す魔力を流し込むべき……強固な"鋳型"のような、何かが欠けている……!)


 カノンを、そして彼女の魔法を分析する。


 彼女がなぜ、あんなにもノータイムで変身を繰り返し、己を書き換えられるのか。

 

 それは、彼女がこの世界にいる自分を、本当の自分だと思っていないから。


 ここは偽物の世界であり、自分は帰り道を失った異邦人に過ぎないという"疎外感"。


 自分という存在への執着を捨て去り、ただのキャラクターとして自身を記号化しているからこそ、彼女は躊躇なく、その姿を案山子にも獅子にも変えられるのだ。


(なら……私の根源にある感情は、一体何なの?)


 答えが出ない。


 ノクティアとして目覚めてから、私はずっと、義務感と焦燥感とに追い立てられてきた。


 それを間違っているとは思わない。けれど、それは魔法を爆発させるための、魂の叫びとしてはあまりに理性的すぎた。


『……今なら、あの"マッチ売りの少女"の気持ちが、少しだけわかるような気がする』

『……マッチを擦って、全部、焼き尽くしちまいたいよな』


 再び、カノンの寂しげな言葉が去来する。

 

 焼き尽くす。


(――炎)


 

 そうだ、と私は思い出す。


 

 この世界――王国ヴァルゴに来る前の、私の最後の景色。


 それは、美しい硝子の庭でも、舞踏会の華やかさでもなかった。

 

 夕闇を赤黒く染め上げる、猛烈な炎。

 崩れ落ちる生家の梁の音。

 瓦礫に押し潰され、動かなくなった妹の細い腕。


 喉を焼く熱い煙と、すべてを飲み込んでいくオレンジ色の絶望。


 

 "こはる"としての終わり。



 それは、思い出したくもないほどの……逃げ場のない"熱"に満ちていた。



「…………ああ、そうだったわね」


 私は、自分の手のひらを見つめた。


 冷たい硝子を生み出す指先が、微かに震えている。

 けれどそれは、恐怖によるものではなかった。

 

 自身の魂の底に沈殿していた、あの日の"熱"が、今、アルフェッカの銀髪を通じて流し込まれる魔力と混ざり合い、沸騰を始めていく――。


「ほら、見たことか! 何を言っても、あんたは結局――!」


 ブリキの鎧を纏ったカノンが斧を振り上げ、トドメの一歩を踏み出そうとした。


 叫びながら私を視界に捉えた彼女が、唐突にその場で、彫像のように固まった。


「…………え?」


 カノンの声が、裏返る。

 彼女の三白眼が、驚愕に見開かれた。

 

 膝をついたままの、ボロボロの、取るに足らない敵。


 しかし、私から立ち上っていたのは、先ほどまでの冷たい魔力の残滓ではなかったのだろう。

 

 ――陽炎(かげろう)

 

 自分でもわかるほどに、私の周囲の空気は、凄まじい"熱"によって歪んでいた。


 流す汗は瞬時に蒸発し、足元の石畳は赤く熱を帯び、先程生み出していた硝子の破片は、もはや、形を保てていなかった。


 

 それは、溶けていた。

 

 

 冷たく透明なはずの硝子が、ドロドロとした真っ赤な"溶岩"のように脈動し、私の周囲で巨大なうねりとなって渦巻いている。

 

「……な、……なによ、これ……!? あんた、一体、何をしたっての!?」


 カノンが、本能的な恐怖に顔を歪め、一歩後退る。

 

 私を殺した、あの日の炎。

 私からすべてを奪った、あの日熱。

 

 それを今、私は、"シンデレラ"という物語の鋳型へと強引に流し込む。

 

 魔法は、理屈をねじ曲げるためのもの。

 物語は、エゴを貫き通すためのもの。

 

 なら、私の――。



◆◇◆


 灰被りの姫は、願いました。


 願いが閉ざされ、時間切れの絶望に閉ざされた日々の中でも、ただ一心に、まっすぐに生きられるようにと願ったのです。


 その願いはどこにも、届きませんでした。

 

 弱い彼女は、全てを失いました。

 間に合わずに、全てを失いました。


 彼女に残されたのは、暖炉に留まる、真っ白な灰。


 けれど、まだ、煮え滾るような熱を残した、一握の灰――。



◆◇◆



「――私の根源(ルーツ)は、灰と炎の中にある」



 私は、溶け落ちた硝子を、空中に大きく広げる。


 それはまるで、巨大な焔の翼のように。この夜空に、その灼けた表面を晒すのだった。


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