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196話「不屈の意志で踏み締めて」


 轟音と共に星の塔の屋根が崩れ落ち、舞い上がる塵芥が月光に照らされて銀色に輝いていた。


 露わになった夜空は、どこまでも高く、澄み渡っている。激昂し、すべてを切り裂いたカノンの心象とはあまりに不釣り合いな、静謐な全天の空。

 

 私は瓦礫の中に這いつくばりながら、アルフェッカの銀髪に支えられてどうにか頭を上げた。


 カノンは、巨大な斧を肩に担ぎ直すこともせず、ただ呆然と、自分が切り裂いた夜空を見上げていた。ブリキの鎧の隙間から漏れる蒸気は、もはや熱を失い、白く儚い煙となって消えていく。


「あたしだってな、そりゃあ……正しくいられるなら、正しくいてえよ。誰だって、そう願うだろ」


 独白。


 それは戦場に響く勝ち(どき)でも、敵を貶める罵倒でもなかった。


 月明かりの下、彼女の唇からこぼれ落ちたのは、百年の時をかけて積み重なった、純粋で、救いようのない本音だった。


「でもな、アルフェッカ。……戦えば戦うほど、わかっちまうんだ。あらゆる"姫"に正義なんてものは存在しねえ。……この世に、何一つとして"絶対"がないのと、同じようにな」


 カノンは視線を落とし、力なく笑った。


 かつてこの国を救うために戦った英雄の面影が、その寂寥とした横顔に重なる。


「それは……"姫"に力があるからだと言うの?」


「ああ、そうだ。物語に囚われたあたしたちは、その過ぎた力を持て余して生きていくしかねえんだよ。戦争の道具として使い潰されるか、あるいは、お前みたいに国や民に"守護者"なんて都合のいいレッテルを貼られて、綺麗なお飾りとして利用されるか……道は二つに一つだ」


「……それもまた、尊いことよ、カノン」


 アルフェッカの声は、どこまでも静かだった。


「その役割を全うすることが、この世界を守ることに繋がるのだから。貴女が守った命の連なりが、今のこの街の輝きを作っているのよ」


「ああ、そうだな。……立派だよ。……でもな、アルフェッカ。それは、あたしたちのものじゃない。お他人様の世界を守るのに、あたしたちは一生を捧げろってのか?」


 カノンの顔が、不意に激しい憎悪に歪んだ。


 それは特定の誰かに向けられたものではなく、彼女をこの世界に縛り付ける、運命そのものへの呪詛だった。


「結局、どれだけ血を流したところで、どれだけ骨を折ったところで、あたしたちは、この世界に居場所なんてねえんだよ。……あたしにとっての、あのつまらねえカンザスみてえに。砂埃が舞って、白黒で、なんにもねえけど……それでも、あたしという存在を無条件に受け入れてくれた場所なんて、このエメラルドの都(せかい)のどこを探しても、見つからねえんだよ!」


 カノンは叫び、そして、その瞳から大粒の涙を溢れさせた。


 頬を伝い、彼女の涙が石畳に落ちていく。


「……今なら、あの"マッチ売りの少女"の気持ちが、少しだけわかるような気がする。……世界中が自分を拒絶して、凍えるような孤独の中に一人残されるくらいなら。……マッチを擦って、全部、焼き尽くしちまいたいよな。そりゃあさ、そうなるよな……」


 私は、息を呑んだ。


 カノンの怒り。その根底にあるのは、燃え盛るような激情ではなく、冷え切った"諦め"だったのだ。


「――あたしたちはもう、終わってんのさ。……"姫"に転生する前、元の世界で死んだその瞬間に、あたしたちの物語は完結してんだよ。何もかもな。……そんな死に損ないのあたしたちに、今さら何かを守るとか、新しい何かを創るとか……そんな前向きなこと、できるはずもねえんだよ」


 彼女の言葉が、私の胸に重く突き刺さる。

 

 私は、自分が死んだことを、どこか冷静に受け止めていた。


 "こはる"として生きた日々を過去のものとし、ノクティア・グラスベルとして、新しい人生を歩もうとしてきた。グラスベル領のみんなのために、そしてこの王国のために、無私の精神で働くことに喜びさえ感じていた。

 

 けれど、カノンは違ったのだ。


 彼女は、この世界を"二度目の人生"とは認められなかった。


 彼女の中に眠る"ドロシー"と同じように、彼女はただ、帰りたかった。


 帰る場所を求め、得られない絶望を抱えながら、それでも"姫"として戦い、救い、そして疲れ果てた。


 だから彼女は、暴れ、離れ、人を殺し、自分を道化として偽り続けることでしか、その心を保つことができなかったのだ。

 

 彼女は百年間、一秒一秒が"ここではない場所"への切実な渇望を募らせていたのだ。



 ――ならば。



「カノン。……貴女は二つ、大きな勘違いをしているわ」


 アルフェッカが、鋭く、けれど慈愛を込めて言い放った。


 苦しみ、絶望し、道を見失ったかつての親友。彼女に、これ以上間違った結末を選ばせないために。


「ひとつ。貴女が感じたその絶望に、自分勝手な結論を出すのはまだ早すぎるということよ」


「……なんだと? 百年だぞ。あたしはこの地獄を百年も――」


「百年なんて、人々の紡ぐ歴史や物語の寿命に比べれば、まばたきのようなものよ。貴女や私の歩みは、まだ通過点に過ぎない。……そして」


 アルフェッカは、瓦礫の中に立つ私へと、真っ直ぐに視線を向けた。

 


「ふたつ。……私の知る限り、もっとずっと、貴女の想像以上に厄介なはずよ――ノクティア・グラスベルという女はね」



 その言葉が、私の魂に熱を灯した。

 

 アルフェッカは、私を信じてくれている。


 私がただの"死に損ない"ではなく、この世界で新しい物語を紡げる、厄介で、強情な女だと。

 

 ならば、その信頼に応えないわけにはいかない。


 私は、震える両腕に力を込めた。


 アルフェッカの髪が、私の血管に直接魔力を注ぎ込み、強制的に心臓を鼓動させる。

 

 身体中の骨が軋み、筋肉が断裂の悲鳴を上げている。


 けれど、カノンの流した涙を見て、私は確信した。

 

 ここで彼女を終わらせてはならない。

 彼女の物語を、絶望のまま閉じてはならない。


 彼女に「ここは自分の居場所ではない」と言わせたままにするのは、物語の書き手として、そして、この世界に生きる"姫"の一人として、絶対に許容できない。

 

 それができるのは――同じように外の世界を知り、それでもこの世界を愛そうと足掻いている、私とアルフェッカだけなのだから。


「……ふぅ、はぁ……っ!」


 私はゆっくりと、けれど確実な足取りで、瓦礫の中から立ち上がった。


 ボロボロになったドレスを夜風にたなびかせ、虹色の魔力が私の周囲で硝子の破片となって舞い上がる。

 

(カノン、あなたの絶望は、理解したわ)


 でも、その"諦め"だけは、ここで完膚なきまでに否定しなければならない。

 

 私は硝子の剣を再び右手に生成し、その先端をカノンの胸元へと向けた。


 アルフェッカの加護によって輝く私の瞳は、もはや迷いも、敗北感も宿してはいない。


「……待たせたわね、カノン。……私たちの物語の続きを、始めましょうか」


 私は真っ直ぐに立ち上がり、驚愕に目を見開くカノンを、毅然と見やるのだった。


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