189話「零時の棺」
視界が、火花と銀の残光に塗り潰されていた。
覚醒したザラと、大戦の英雄たるグリス。二人の戦いは、もはや私の動体視力では追いきれない、神話の領域へと足を踏み入れていた。
ザラは、かつての重厚な剣筋を完全に捨て去っていた。
彼女は私が空中に構築した無数の硝子の破片を足場に、重力を無視した三次元的な軌道を描いて跳ねる。その姿は、かつてレグルス砦で見たスピカのしなやかさと、ザラが培ってきた剛健な意志が融合した、文字通りの"戦女神"だった。
「――シッ!!」
銀色の軽装鎧を纏ったザラが、空中を滑るように加速し、銀の細剣でグリスの首筋を突く。
グリスは"ミョルニル"を盾に受け流すが、ザラはその反動を利用して空中で身を翻し、死角からさらなる連撃を叩き込んだ。
硝子の鎧――絶縁体を纏った今のザラにとって、グリスの最大の武器である電撃は致命打にはならない。至近距離で放たれる放電を文字通り"滑らせ"ながら、彼女はグリスの巨躯を翻弄し続ける。
グリスに残された対抗手段は、ミョルニルに依らない純粋な近接格闘のみ。だが、超高速で多角的に迫るザラを、その巨体で捕らえることは困難を極めていた。
「がっはっは!! 素晴らしいぞ、小娘! 儂の反射速度に追いつくとはな!」
グリスの衣服には、ザラの細剣が刻んだ切り傷が幾つも増えていく。
けれど、流石は大戦を生き抜いた怪物。決定的な急所だけは、その超人的な戦闘勘で紙一重に守り抜いている。ザラもまた、岩のように頑健なグリスの肉体に、いまだ致命傷を与えられないままでいた。
私は、空中を舞うザラの足場を硝子で補強しながら、冷徹に眼前の怪物を観察し続けていた。
私の役割は、ザラのサポートだけじゃない。この不毛な消耗戦に、終止符を打つための"解"を見つけ出すことだ。
(――よく見て。彼は、決して無敵じゃない)
私は、グリスの挙動の一つ一つを脳内のグリッドに当てはめ、分析していく。
一瞬で距離を詰めてくる、あの雷速の踏み切り。
一見、魔法のように見えるが、あれは恐らくミョルニルから噴出される電磁的な推進力だ。しかし、彼はそれを連発しない。一度跳ぶたびに、ガントレットの火花が僅かに静まり、再チャージの"間"が生じている。
(身体能力の向上も、同じね。雷の力で筋肉を強制的に活性化させている。……でも、それは身体への負荷が大きすぎるはず。だから彼は、常に雷を纏っているわけじゃない)
雷帝、グリス。
彼の"雷"は無制限じゃない。ミョルニルという遺物が生み出せる電気量には上限があり、彼自身の肉体が耐えられる出力にも限界がある。
つまり、あの大規模な雷撃や、雷速の移動を繰り返させ、電力を"底"にまで追い込んだその一瞬こそが、彼を仕留める唯一のチャンス。
「ザラ、もっと追い込んで!! 彼の"電気"を全部吐き出させるのよ!」
「言われなくても……やってますっ!!」
ザラの細剣が、月光を切り裂くような速度でグリスの鎧を削り取っていく。
苛立ったグリスが、再び"ミョルニル"を最大出力でぶん回した。
「小癪な真似をォォッ!!」
広場全体を焼き尽くさんばかりの、全方位への雷撃。
効かないことは承知だろう。けれど、その雷によって視界が遮られる。
その隙を突いて、眩い輝きの中、恐らくは最後の特攻を仕掛けてくるであろう――しかし、私もまた、その瞬間を待ち望んでいた。
「――今よ、ザラ! 最大の盾を用意するわ!!」
私は、全魔力を指先に集中させた。
今から行うのは、単なる防御ではない。
私が構築したのは、グリスの周囲を包囲するように展開された、巨大な硝子の"蓄電器"だ。
六角柱の硝子の柱を幾十にも組み合わせ、グリスの放つ雷撃をすべて、その内部へと誘導し、貯蔵する。
バリィィィィィィィィン!!
グリスが放った絶大なる雷が、私の構築した硝子の檻に吸い込まれていく。
絶縁体である硝子の層の間に、極薄の導電膜を魔法で挟み込んだ特製の"罠"。彼の雷を散らさず、逃さず、すべてを硝子の檻の内側に閉じ込め、そのエネルギーを逆利用して檻の構造を強化する。
「なっ……何をした、小娘! 儂の雷が……吸い込まれる……!?」
「雷帝サマ、あなたの電気は、この"硝子の檻"が美味しく頂いたわ。……これで、お財布は空っぽよね?」
雷撃を放ちきり、ミョルニルの火花が消えたその瞬間。
グリスの巨躯が、初めて、僅かな硬直を見せた。
いつだってそうだ。物語の中で勝利するのは、強者ではない。
弱い者が、強い者を打ち負かすのは、物語の常だ。故に、私はそういうストーリーを編んだ。そして、彼はそれをなぞってくれた。それだけのこと。
決着の刻が、迫っていた。
「ザラ、トドメを!!」
「――はあああああああッ!!」
ザラが銀色の流星となって、無防備なグリスの胸元へと突っ込んだ。
細剣の先端が、グリスの分厚い胸当てを貫き、その心臓の数ミリ手前で、凄まじい風圧を伴って停止した。
否、ただ止まったわけではない。
止めたのだ。次の。一手のために。
その瞬間、私は叫んでいた――。
「――"零時の棺"!!」
ザラの細剣が穿った穴を基点に、私の硝子の魔力がグリスの身体へと浸透していく。
グリスの血管に走っていく魔力を起点に、彼の体内から、そして体表から、超高密度の結晶硝子が発生していく。
その様を見つつ、彼は自嘲的に嗤う。
「――ふん、ここまでか。殺さぬとは、つくづく甘い小娘だ」
「あら、別に、そんなことはないわよ。ただ、少し眠っていてもらわないと。素敵な女子会に乱入されたら、溜まったものじゃないもの」
「……ふん、まあいい。祭りはまだ、これからだ――」
そう吐き捨てると同時、彼の体表を覆うように、硝子の結晶が育っていく。
それはあっという間に、彼の全損を包み込み、一つの巨大な、硝子細工へと変えてしまった。
内に眠るその表情がどこか満足気だったのは、気のせいだろうか?
「――おやすみ、おじいちゃん」
その言葉を最後に、静寂が降りる。
ザラは、激しい呼吸を繰り返しながら、細剣を消滅させた。
彼女の銀色の鎧もまた、キラキラとした破片となって夜風に溶けていく。
「……終わったの、ですか」
「ええ。……とりあえずは、ね」
私は膝を突きそうになるのを堪え、自らの手を見つめた。
指先は震え、魔力は空っぽ。ドレスはボロボロで、お世辞にも"姫"なんて呼べる姿じゃない。
けれど。
私は、窓の上でこちらの様子を窺っているであろうアルフェッカに、そして空にいるであろうスピカに、小さく頷いてみせた。
物語の結末は、まだここじゃない。
けれど、最悪のバッドエンドの一つの可能性だけは、今夜、私たちの手で、硝子の中に封じ込めたのだ。
私は、静かに佇む硝子の像を見つめ、勝利の余韻よりも、さらなる深淵へと近づいた確信を抱きながら、深く、深く息を吐き出すのだった――。




