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188話「甦る灰光」


 その場にいた誰もが、これで終わりだと悟っていた。


 死を運ぶはずだった雷帝の拳。それを真っ向から、たった一本の、それも、半ばほどで折れた剣で、受け止められるなど、誰一人として予想していなかった。


 ましてや、既に倒れたはずの"壊刃"が、だ。


「――ほう。我が一撃を受け止めるか、小娘」


 グリス・トール=レオンテスの口元が、歓喜に歪んだ。


 その笑みは、老練な戦士のそれというよりは、新しい遊び道具を見つけた子供のような、どこか不気味な未熟さを孕んでいた。戦の愉悦、それは彼が圧倒的な力を持っているが故に。相手が強ければ強いほど、彼はその命を弄ぶことに悦びを感じている。


「……ざ、ザラ、あなた……!」


 私は声を絞り出した。


 私の隣、僅かに先の方で踏みとどまっているザラ。その姿は、一目見て重傷だとわかるものだった。肩の傷は開き、全身の至るところから血が流れ、ドレスは煤と泥にまみれている。


 先ほど、彼女が気絶する前に放たれたあの一撃。もし私が咄嗟に構築した多層盾がなければ、そして彼女自身の反射的な防御がなければ、今頃彼女は間違いなく物言わぬ肉塊になっていたはずだ。


 だというのに。


 今のザラからは、死の気配が微塵も感じられなかった。


 それどころか、彼女を包む空気は凪のように静まり返り、どこか悟ったかのような、人間の域を超えた超然とした気配すら漂わせている。


「……お嬢様。あたしなら、もう大丈夫です。やっと、気付いたので」


「気付いたって、何がよ……!? いいから下がってて。その傷、すぐに治療しないと……」


「だから、大丈夫ですよ。お嬢様は、随分と心配性ですね」


 ザラは、役目を終えた鉄屑――半ばで溶け落ちた愛剣を、静かに石畳の上に置いた。 


 そして。


 彼女は大剣を構える重厚な"壊刃"の構えを捨て、空手のまま、天に届くようなしなやかな構えをとった。




「――ここからは、あたし"たち"に任せてください」




 ザラがそう口にした、その瞬間だった。


 私の胸元、ドレスの襟元に留めていた硝子のブローチが、内側から爆発するような眩い光を放ち始めた。


(……どういうこと!? このブローチの中には、スピカの――あの子の、レグルス砦で散った時の欠片が収められているはずなのに……!)


 私が思考を完結させるよりも早く、ブローチの輝きに呼応するように、ザラの全身から膨大な魔力の奔流が溢れ出した。


 それは、今までに幾度となく見てきた、魔法の"(チカラ)"が殻を破って芽吹く瞬間の光。


 銀色の粒子が夜の(とばり)を塗りつぶし、彼女の傷だらけの身体を包み込んでいく。


 泥にまみれた衣服が、瞬く間に光を編み上げたような銀色の軽装鎧へと作り替えられていく。それは堅牢な鉄の塊ではなく、月光そのものを鍛え直したかのような、幻想的な輝きを帯びていた。


 そして、彼女の右手に現れたのは――。


 重厚な大剣ではない。一筋の銀光を描く、繊細で鋭利な"細剣(レイピア)"だった。


 けれど、そこに帯びているプレッシャーは、見た目の繊細さとはあまりに不釣り合いな、山をも穿つほどの力強さに満ちていた。


(……あの子に、似ている)


 私の脳裏に、あの日、獅子座の砦で散っていった儚い彼女の姿が重なる。


 ザラ・シューエ。


 その身は、あの日に砕けた"硝子(グレーザーネ)(・シューエ)"の如く。今、時を超え、姉の身体を媒体に、その物語の続きが結実しようとしているかのように見えた。


「――とても」


 ザラが、ぽつり、ぽつりと。


 噛みしめるようにして、重厚な沈黙の中に言葉を落としていく。


「とても、不思議な気分です。長くて、暗い、悪い夢からようやく覚めたような。……それでいて、まだ、美しい熱に浮かされているかのような。……そんな気分です」


 彼女はゆっくりと細剣を構えた。


 それは、妹であるスピカを彷彿とさせる、洗練された、無駄のない、天上の舞のような構え。


 かつて届かなかったことを、守れなかったことを呪い、自分を卑下していた少女が、愛憎のすべてを乗り越えて到達した、究極の"守護"の形。


 それは奇しくも、最愛の妹と、同じ構えだった。


「……ほう。……はは、がっはっはっは!!」


 グリスが、野獣のような笑い声を上げた。


 彼の纏う雷撃が、その歓喜に応えるように肥大化し、周囲の石畳をドロドロに溶かし始める。


「面白い! 実に面白いぞ、グラスベル! 貴様の創る物語は、死にかけの小娘すらもこうして戦列に引き戻すか! よかろう、どうやらここからが、真の本番のようだな!!」


 呼応するように、グリスも太い腕を引き絞り、ミョルニルを正面へと突き出した。


 凝縮される青白い雷火。


 対するザラの細剣には、不純物の一切ない、純白の銀光が収束していく。


 張り詰めた空気が、極限まで引き絞られた弓のように震える。


 観測するだけの私や騎士たちでさえ、その余波だけで皮膚が裂けそうなほどのプレッシャー。

 

 そして、その緊張が限界を突破し、弾けた刹那。



 ――放たれた稲光と、銀色の閃光がぶつかり合った。



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