185話「刃の記憶-後」
グラスベルの屋敷を後にしてから、あたしはただ、強くなることだけを求めて剣を振り続けた。
グラスベル伯爵の口利きで、あたしは王国近衛騎士団の末端に名を連ねることができた。けれど、あたしはそれ以上の支援をすべて断った。
住む場所も、装備の手配も、昇進の根回しも。あの日、焼け跡から拾い上げてもらった恩を返すことさえできていないのに、これ以上あの人の慈悲に縋るなんて、あたしの矜持が許さなかった。
あたしは自分自身の腕一本で、この世界にスピカが安心して笑える場所を築きたかったんだ。
けれど、あたしの剣も、性格も、平和に慣れきったヴァルゴの騎士たちには""苛烈すぎた"らしい。
訓練での手加減を知らず、相手の防御ごと骨を砕くようなあたしの戦い方は、儀礼と体面を重んじる近衛騎士団の中では忌避の対象でしかなかった。
同僚たちの冷ややかな視線、上官たちの溜息。あたしはいつしか、組織の中で浮き上がった、文字通りの"壊れた刃"になっていた。
結局、あたしは入団から一年も経たずに僻地へと送られた。
左遷――周囲はそう囁いたけれど、あたしにはどうでもよかった。むしろ、中央の腐った空気から離れ、ひたすら武の鍛錬に打ち込める環境が得られたことは、あたしにとって唯一の救いだったと言えるかもしれない。
その転属先が、懐かしいスピカのいるグラスベル領のすぐ近くだったことも。
出世なんて、一欠片の興味もなかった。
ただ、あたしが最強の盾になれば、あの子は二度と剣を握らなくていい。
信じて、あたしは血が滲むほどに剣を振るい続けた。
そう、思っていたのに――。
「――レグルス砦が、襲撃を受けた?」
その報せが入ってきたのは、本当に、あまりにも唐突なことだった。
国境の要衝、不落を誇ったはずのレグルス砦に、帝国の強襲部隊が現れたというニュース。
一度は完全に占拠されたという信じがたい事態に、あたしの配属されていた部隊も騒然となった。
そして追い打ちをかけるように、王国の英雄であり、大戦を戦い抜いた名将――国境警備隊隊長、タラゼド・オレオーンが命を落としたという報せが届いた。
それだけでも、世界がひっくり返るような大事件だった。
けれど、あたしの心臓を凍りつかせたのは、その後に届いた、あまりに小さな、けれどあたしにとっては世界の崩壊そのものと言える悲報だった。
「……なんで、なんであの子が、レグルス砦にいたのよ……!?」
喉の奥が引き攣れて、うまく声が出なかった。
後から聞いた話は、まるでお伽話のように滑稽で、残酷だった。
グラスベル家の令嬢が、"姫"として覚醒した。
そんな彼女は、帝国の魔の手から逃れるために、あるいは戦うために、彼女は砦へと赴いたらしい。
その傍らには、常にあの子が――スピカが、影のように寄り添っていたのだと。
そして――帝国の"姫"との戦いの中で、彼女もまた、命を落としたのだと。
「………っ、なんで、なんでよ、あの子……!」
理解はできる。
スピカは真面目すぎるくらいに真面目で、誰よりも優しい子だ。
彼女は自分に与えられた侍女としての、護衛としての仕事を全うしようとしただけなのだろう。
"姫"という、人知を超えた力を手にしてしまったお嬢様……ノクティア・グラスベルを、あの子は見捨てることができなかった。
たとえ、自分の命が危ういと分かっていても。
けれど。
それでも、あたしの中の"悪魔"が、呪詛のように問いかけ続けるのを止められなかった。
(――彼女はあなたが命を捧げるだけの価値がある相手だったの?)
あのお嬢様は、世間知らずで、温室育ちで、あたしたちが啜ってきた泥の味なんて知りもしない、ただの幸運な子供じゃないか。
そんな奴のために。
(――あなたが、これから先の幸せを全部擲ってもいい、そんな尊い存在だったの?)
あたしがどれだけ自分を追い込み、どれだけの血を流して強くなろうとしても、結局あたしは何も守れなかった。
あたしが戦場を求めて家を出たせいで。
あの子の隣に、あたしがいなかったせいで。
あのお嬢様が、"姫"なんてものにならなければ。
あのお嬢様が、あの子の手を引いて砦なんて行かなければ。
スピカは、今も、温かい紅茶を淹れて笑っていたはずなんだ。
わからない。
あの子が何を思い、何を信じて、あの硝子の少女に命を預けたのか。
あたしには、どうしても、何一つ納得ができなかった。
だから。
あたしは、それをこの目で見定めることにしたんだ。
「力を貸してほしい」
そう口にした、あたしの最愛を奪った張本人。
硝子の仮面を被り、平然と「悲劇を回避する」なんて綺麗事を抜かす、あの少女。
あの子が命を懸けてまで守った命に、本当にそれだけの価値があるのか。それとも、あの子の死は、ただの無意味な犬死にだったのか。
もし彼女が、スピカの想いに値しない下劣な存在なら、その時は、あたしはこの刃で、彼女のすべてを粉々に打ち砕いてやる。
あの子の命を無駄遣いするような存在を、あたしは絶対に許さない。
抱いたのは、ただ、スピカが選んだ結末を、無価値なゴミにはさせないという、執念めいたものだ。
故に、私は見定めなければならない。
あたしから大切なものを奪った、呪われるべき"姫"の、その道行きを――。
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