178話「羊飼いの夜が来る」
窓の下では、数万の民が偽りの死を嘆き、祈りを捧げている。
その光景を、"星の塔"の最上階から見下ろしながら、私はセファス王に向かって、次なる毒を吐き出した。
「――次は、アルフェッカの死は誤報だったという情報を流します」
その言葉を聞いた瞬間、セファス王は息を呑み、目を見開いた。
「なんだと……? ノクティア、それは一体どういうことだ。一度"死んだ"と公表したものを、今さら撤回するというのか。それでは情報の信憑性が……」
「ええ、崩壊するわね。でも、それでいいのよ。その次は、さらに"やはりアルフェッカは死んでいた"という情報を流す。これを数時間おきに、出所の分からない噂として交互に繰り返すの」
私は淡々と、情報の"賞味期限"を削り取る作業について語った。
「……呆れたわね。だからこそ、最初から王室による"正式発表"という形を取らせず、あえて信憑性の低い"確かな筋からの噂"として広めさせたのね」
「ええ、そうよ。流石に王室の権威を失墜させるわけにはいかないもの」
「協力してくれた情報屋たちは? そっちはたまったものではないでしょう」
「そこも、考えがあるわ。なあに、最後に全部"演出"ってことにして、彼らも仕掛け人にしちゃえばいいのよ」
「まったく、あなたは……よくもまあ、そう、とんでもないことを次から次へと言えるわね」
アルフェッカが、呆れたように、けれどどこか感心したように肩を竦める。
イソップ童話の『狼少年』は、嘘を重ねた末に、真実を言っても誰にも信じてもらえなくなった。けれど、この作戦における『狼少年』は、狼が来る前に自分たちの居場所を隠すための霧を吹く存在だ。
「さて、そんなこんなで情報が錯綜し、何が真実か分からなくなれば、相手はどう動くと思いますか? 陛下」
「……どうあっても、自らの目でアルフェッカの死を確認しなければならなくなるな。それも、可及的速やかに、だ」
セファス王は、私の意図を即座に汲み取った。王としての直感が、この情報の濁流がもたらす"焦燥"を理解したのだ。
「情報の信憑性が完全に失われれば、相手は"緩やかに時を待ち、王室が自滅するのを眺める"という選択肢を奪われる。死体が偽物かもしれない、あるいはまだ生きているかもしれない……その不確定要素を抱えたままでは、彼らも最終的なクーデターや帝国の侵攻へは踏み切れないはずよ」
「……そうなれば、奴らは無理矢理にでも遺体を視認しに来るだろうな。この、星の塔へと」
「そこを叩く。……それが、私の作戦よ。セファス王」
私は王の目を真っ直ぐに見据えた。
「だからこそ、この塔に近衛騎士団の精鋭たちを集めていただきました。ここなら、迷路のような構造と、階層ごとの仕掛けがある。多勢に無勢の状況でも、地形を利用すれば十分に渡り合えるわ」
「……貴様、やはりここを戦場にするつもりであったか」
はあ、と今日一番の深い溜息を吐き、王は力なく肩を落とした。
「……町中で暴れ回られ、民が巻き添えになるよりはマシ、ということか。……ふっ、まあいいだろう。余が避難し終えるまでは、せいぜい静かにしていてくれ。余まで戦火に巻き込まれるのは、御免被るからな」
王はそう言って自嘲気味に笑うと、背後の騎士たちに合図を送り、部屋を後にする準備を始めた。
彼にとっても、この賭けは恐ろしいものだろう。だが、他に道がないことも理解している。
王が去り、室内には私とアルフェッカ、そして影のように控えるザラだけが残った。
(……どっちにしろ、日暮れまでは動かれたら困るわけだし。時間は、こちらに味方しているとは限らないわ)
私は窓の外を見遣る。太陽はゆっくりと、けれど確実に西の空をオレンジ色に染め始めていた。
私の魔法が解禁される黄昏まで、あと数時間。そこまでは、なんとしても勝負を引き伸ばさなきゃならない。
それに、懸念事項はまだ他にもある。
私は、椅子に腰掛けていたアルフェッカに歩み寄った。
そして、この場所にたとえ、他の誰かがいても聞こえないほどの小声で、彼女の耳元に何かを囁いた。
「……ノクティア、あなた。……それは、本気なの?」
アルフェッカが、驚愕に瞳を揺らす。
私はその視線を正面から受け止め、静かに、けれど鋼のような硬さを持って頷いてみせた。
「備えあれば、よ。……グリスは、こちらの想像を軽々と超えてくる怪物なんでしょ? 今回ばかりは、どんな汚い手を使ってでも、負けるわけにいかないもの」
「……そう。そこまで言うのなら、私も、あなたの書いたに絵図に付き合うわ」
「ありがとう、アルフェッカ」
私は彼女に一礼し、踵を返した。
螺旋階段を降りる足音が、塔の静寂に規則正しく響く。
階下では、近衛騎士団の精鋭たちが、抜き身の剣を抱えてそれぞれの配置についていた。その中には、肩に包帯を巻いたまま、壁に凭れて目を閉じているザラの姿もある。
狼が来るのを待つ、羊飼いたちの夜。
嘘と真実が混ざり合い、王都が深い闇に包まれる時。
アルフェッカの生死を懸けた、文字通り命懸けの"遊戯"の幕が、今、静かに開けようとしていた。




