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175話「ハッピーエンドへ」


 部屋を支配する沈黙は、まるで薄い硝子のようだった。


 私は、壁際で私を射抜くように見つめるザラの瞳を真っ直ぐに見返し、深く、肺の奥に溜まった(おり)を吐き出すようにして口を開いた。



「――私の魔法は、日が沈まないと使えないわ」



 ザラの眉が、僅かにピクリと動いた。


 私は構わず続ける。これが私の正体であり、この世界で"ノクティア・グラスベル"として生きる私が背負った、美しくも残酷な(まじな)いの全容。


「聖典――"シンデレラ"の物語に沿って、私の力は夜にしか顕現しない。そして、その持続時間は夜中の12時まで。……零時の鐘が鳴れば、私が創り出した硝子も、身に纏った加護も、すべては灰となって霧散する。……これが、私が先の戦いで動けなかった理由よ」


 打ち明けてしまった。

 己の喉元を晒すような、あまりに致命的な弱点。


 それを聞いたザラは、驚いたように三白眼を大きく剥いた。彼女の唇が僅かに戦慄(わなな)き、その表情に困惑と、信じがたいものを見たという色が混ざり合う。


「……いいのですか、お嬢様。私に、そんなことを。……私は、あなたを憎んでいると言ったはずですが」


「ええ、いいのよ。これから始まる"銀髪祭"のセレモニー……そして、グリスや反"姫"派との決戦に向けて、私たちの間に隠し事があるべきではないわ。……それにね、ザラ」 


 私は自嘲気味な笑みを浮かべた。


「あなたが私に、あんな"期待"……スピカが守った価値を証明しろなんて重たい呪いをかけているうちは、その弱点を突いて私を殺したりはしないでしょ? 少なくとも、今はね」


 ザラは毒を飲まされたような顔をして、腕を組み、深く考え込むように何度も頷いた。その沈黙は長く、重かった。けれど、次に彼女の口から飛び出したのは、予想していた冷徹な分析ではなかった。


「……そうですか、よく分かりましたよ。なら、あたしから一つ、言いたいことがあります」


 ザラの纏う空気が、一瞬にして変わった。


 氷のような殺気ではない。それは、もっと熱を帯びた、激しい爆発のような何か。


「……なにかしら?」



「そんな状況で、どうして前に出たんだ、あんたは!!」



 物理的な衝撃波でも発生したのではないかというほどの凄まじい剣幕。


 その怒号の余波で、部屋の隅で蜂蜜パンの欠片を拾っていたシャウルが、椅子ごとひっくり返って派手な音を立てた。


「ひゃ、ひゃあ! びっくりしたっす!」


「アルフェッカ様の分体がいたから、あと、あたしが間に合ったからよかったものの! もし一歩遅れていたら、今ごろあんたは真っ二つ、あるいはその綺麗な顔がグチャグチャになっていた可能性もあったんですよ!? 魔法が使えない? 非力な子供? だったら、四の五の言わずに後ろに隠れていなさいって話でしょうが!」


「ち、ちょっとザラ、落ち着いて。……いい、聞いて。"姫"は、普通の人間とは違うのよ。ちょっとやそっと斬られたくらいじゃ死なないし、不死性だって――」


「死なないからいいわけじゃないでしょう!! 痛覚はあるんでしょう!? 傷は残るんでしょう!? というか、魔法が使えない昼間の間、本当にその不死性が完全に機能している保証はどこにあるんですか!? 普通に死んだらどうするんですか! あんたが死んだら、スピカの想いは……あたしが抱えてるこのドス黒い感情の行き先は、どうなると思ってるんですか!」


「ああ、もう! お説教は止めて頂戴! あの時は、ああするしかないと思ったのよ! シャウルを助けるためには一分一秒を争ってたんだから!」


 私が必死に言い返すと、ザラはさらなる怒気を孕んで詰め寄ってくる。その様子は、もはや騎士が主君を諫めるというレベルを通り越し、妹の不始末に激怒する姉そのものだった。


「お嬢様が……お嬢様が本気で叱られてるっす……。あんなに顔を真っ赤にして言い返してるお嬢様、初めて見たっす。ゲラゲラ笑えるっすよー!」


 シャウルがひっくり返ったまま、腹を抱えて笑っている。


 私はザラの罵声(という名の叱咤)を浴びながら、不思議な感覚に陥っていた。


 うるさい。怖い。耳が痛い。

 けれど、どこか温かい。


 前世の私にも、そしてこの世界のノクティアにも、こんな風に理不尽なまでに自分の身を案じて怒ってくれる存在はいなかった。


 自分にもし、歳の離れた"お姉ちゃん"がいたとしたら、きっとこんな感じなのだろうか。


 ひと通り、怒鳴り散らしてスッキリしたのか、ザラは「はあ……」と大きな溜息を一つ吐き、痛む肩を押さえながら椅子に腰を下ろした。


「……まったく。心臓に悪いお嬢様ですよ。……で、いいですか、ノクティア様。もう二度と、魔法が使えない時間に無茶はしないでください。約束ですよ」


「……わかったわよ。善処するわ」


「"善処"じゃなくて"絶対"です。……まあいいでしょう。それで」


 ザラの瞳から、先ほどの熱い怒りが引き、鋭い"騎士"の光が戻った。


 彼女は包帯の隙間から覗く自身の負傷を一度見つめ、それから私を真っ直ぐに射抜いた。


「信用ならない私に、そこまでの秘密を打ち明けてまで決行しようという"作戦"……。陛下にも断片的にしか話さなかったその全容を、今ここで教えていただけますか?」


 部屋の空気が、再びピンと張り詰める。


 私は、窓の外で刻一刻と迫る、夜半へのカウントダウンを感じながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 

 "雷帝"グリス、そして反"姫"派。


 彼らは、明日の式典でアルフェッカが人前に現れるその瞬間を狙っている。


 ならば、その"物語"の前提条件を、こちらから壊してしまえばいい。


「なあに、簡単よ」


 私は、物語を知る"こはる"としての冷静さと、"シンデレラ"としての不遜さを混ぜ合わせた、歪な笑みを浮かべた。

 

「暗殺者が彼女を殺しに来るのが確定しているのなら、その先に結末を作ってしまえばいい」


「……それは、つまり?」


 戸惑うように聞き返すザラに、私は目一杯、悪戯っぽく笑うのだった。




「先に私たちで――()()()()()()()()()()()()()()()()



 その言葉が発せられた瞬間、シャウルも、ザラも、そして肩の上で気配を消していたアルフェッカの分体までもが、凍りついたように絶句した。

 

 王都を祝福するはずの銀髪祭。


 その最悪のシナリオを回避するために私が選んだのは、これ以上ないほど冒涜的で、かつ"完璧なハッピーエンド"への、あまりに危険な賭けだった。


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