174話「西日に照らされて」
西日に焼かれた王都の喧騒が、厚い石壁越しに遠く響いている。
私たちはようやく、臨時の拠点としていた宿の部屋へと戻ってきていた。
部屋の隅、壁沿いに寄りかかっているのはザラだ。王宮の医務室で応急処置を受け、その華奢な肩には痛々しいほど白く厚い包帯が巻かれている。
出血は止まったようだが、顔色は依然として優れない。それでも彼女は、いつもの鉄面皮を崩すことなく、まるで石像のようにそこに佇んでいた。
「いやあ、本当に酷い目にあったっすよぉ! 命の危険を感じたっす!」
一方で、中央の椅子に深々と腰掛け、涙目で訴えているのは当の本人――シャウルだ。
縄の跡が残る手首をさすりながら、彼女は身振り手振りで"いかに恐ろしい体験をしたか"を熱弁している。
「もう、何回目よその台詞。いいから、順を追って何が起こったのか教えなさい。相手はどんな奴だったの?」
「……え、ええと。まずはお昼ご飯を食べに出たんすよ。ほら、お嬢様がお金、置いてってくれたっすから」
「そうね。……ちなみに、何を食べたの?」
私の問いに、シャウルの目が泳いだ。
彼女は指を折り曲げながら、急に声を小さくする。
「……いやあ、ちょーーーっとだけ、いつもより多めに食べたっすね。ほら、朝ごはんも食べ損ねたんで、その、補填というか、自分へのご褒美というか……」
「……シャウル、私の目を見て答えなさい。その"ちょっと"は、私が渡した小銭で足りたのかしら?」
「……うわーん! 怒らないでほしいっす! あたしだって最初は自制してたっす! でも、お嬢様のお友達が、すっごく美味しいお店を教えてくれるって言うから、ついついご相伴に預かっちゃったんすよ!」
「……お友達?」
私は眉を寄せ、記憶の海を浚った。
この王都ヴァルゴに、シャウルを誘い出すほどの"私の友人"なんていただろうか。少なくとも、私がこの世界に来てからそんな人物に出会った記憶はない。
(……もしかして、私……"こはる"が中に入る前の、本来のノクティア・グラスベルの友人だったりするの?)
だとしたら、私には知りようがない。
けれど、シャウルは路地裏育ちだ。相手が悪意を持っているかどうかを嗅ぎ分ける"野良犬の嗅覚"は、並の騎士よりも鋭いはずだ。その彼女が、ホイホイとついて行ったということは――。
「シャウル。その人は、どんな人だったの? あなたの鼻は、その人に反応しなかった?」
「それが、あたしの鼻は全く効かなかったっすよ。嫌な匂いも、殺気も、これっぽっちも。だからたぶん、あの人は悪い人じゃないと思うっすけど……。でも、最後にあのデカブツが出てきた時は、流石に腰が抜けたっす」
「……そうね。あなたがそこまで言うなら、少なくともその"お友達"とやらに、直接的な害意はなかったのかもしれないわね」
私は納得しかけた。けれど、どこか胸の奥にざらついた感覚が残る。
この状況で、偶然"友人"に会うなんてことがあるだろうか。
「ねえ、シャウル。ちなみに、その人は、どんな――」
その容姿を聞き出そうとした、その時だった。
部屋の隅、影に沈んでいた場所から、低く鋭い声が響いた。
「そんなことは、どうでもいいでしょう」
口を開いたのはザラだった。
彼女は壁に凭れたまま、一歩も動かずに、けれど射抜くような冷たい視線を私へと向けていた。
「シャウル様が無事だったのは、単なる幸運です。あるいは、敵がまだ彼女を殺す価値がないと判断したに過ぎない。……それよりも、解決すべき問題が他にあります」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
ザラの瞳には、先ほどの広場での戦いで見せた、あの"呪いのような期待"が混じった殺気が宿っている。
「私が聞きたいのは、ノクティア様――あなたがどうして先の戦いで、魔法を使わなかったか、ということです」
その問いに、私は息を呑んだ。
ザラの言葉は、容赦なく私の急所を抉ってくる。
「あなたは"姫"だ。本来なら、あの程度の刺客、指先一つで塵に変えられたはずです。なのに、あなたは戦わなかった。……いいえ、戦わなかったのではない。戦えなかったのでしょう?」
彼女は包帯を巻いた肩を僅かに動かし、自嘲気味に鼻を鳴らした。
「私があそこで割って入らなければ、あなたは今頃、冷たい骸になっていた。……答えなさい。あなたの魔法に、一体何の不具合が起きているのですか。それとも、あなたは私たちを欺いているのですか?」
私は唇を噛み締め、言葉を探した。
私の魔法――"シンデレラ"の秘密。
日没から零時までしか使えないという、致命的な時間制限。
これを話せば、ザラは納得するだろう。だが同時に、私は自らの最大の弱点を彼女に晒すことになる。
ザラは、いまだに私を憎んでいる。
スピカを失った原因として、私を殺す機会を伺っている。
そんな彼女に、「私は昼間は無力な子供です」と教えることが、どれほど危険なことか。もし彼女がその瞬間に私を裏切れば、私には抵抗する術がない。
けれど、隠し続ければ、また今日のような悲劇が繰り返される。
彼女は私を守るために再び血を流し、そして今度は……死ぬかもしれない。
信じるべきか。
それとも、最後まで口を閉ざすべきか。
ザラの射抜くような視線と、不安げに見つめるシャウルの視線。
二つの重圧の間で、私は自分の正体と未来を天秤にかけ、激しく思案するのだった。




